朝も、昼も、夜も。

小説。 短編。 最初。



真夏のこの町は本当にクソ暑い。
 この土地最大の砂漠の真中に位置する、オアシスを中心とした商業町、シャインの小さなベッドの上で、金髪を起用にも三つ網に編みこんだ少年が、その暑さではない何かにうなされながら寝ていた。
 その名をエドワード・エルリック。またの名を鋼の錬金術師。
 その小さい器からは考えもつかないほど、巨大な力を秘めている少年だ。
 しかし、今はその小さな身体があだとなったのか、昨晩のとある無茶な練成で力を使い切った上、多少負傷し、今は寝込んでいるのだ。
「うっ……」
 暑い…、恐い…、寂しいっ。
 大きな負の塊が押し寄せてきているようなイメージ。
 これは……夢?
 だったら早く覚めろっ、覚めろっ、俺っ。
「おい………大丈夫か?」
 その小さなシングルベッドの脇に粗末なイスを持ってきてすわり、寝ずに彼の様子を見ていた男は、彼のあまりの苦しみように額にのっけている濡らしたタオルを交換しようと覗き込んだとたん、ベッドに強い力で引き寄せられる。
「……っ!」
 小さな吐息とともに、小さく零れる言葉。
 エドから回された腕はいまだに身体を離してはくれない。しがみつくように、離さないように、ぎゅっと抱きしめていた。
 小さなベッドは、男が巨体ではないにしろ、大人の男の身体を受け止め、ギシリと軋んだ。
 男はニヤリと笑うと、寝ているエドの口に、軽く口付けをした。
「鋼の……」
 いつもならこんなことは出来ない。いや、出来やしないのだ。
 なぜなら、この少年には……俺は嫌われているからな。
「ん…」
 頭がボンヤリする…。
 俺、どれくらい寝てたんだろ。
 ってか、なんで俺寝てるんだっけ。
 ……。
 ………。
 えーと、確か……夜に、オアシスに変な強盗たちが入ってきて、弟のアルと一緒に追い払おうと鉄やら水やら砂やら使って、無茶苦茶な練成して、あ―――…倒れるわけだ。
 てか、覚えてないし。
 はぁ…っ。
 それであんな嫌な夢みたのか…。
「あー、アル悪かった。急に掴んで……」
 寝ぼけ眼で誰かを掴んだ記憶があったエドは、ベッドに引きづり込んだ相手に謝罪を述べようとして、これまでにないくらい驚いた。
「あ、あ、あ、あぁぁぁあんたがなんでこんな所にいるんだよっ」
 俺がガッシリ掴んでベッドに一緒に居たのは、軍の大佐。ロイ・マスタングだった。
 通称、炎の錬金術師。俺と同じ国家錬金術師で、主にっていうか、主流として炎を練成するタイプの錬金術者らしい。
 何かと俺の面倒を見る役になってるのか、小うるさく言ってくるし、こいつみたいなヤツがいるから、一般市民に軍の犬とかって悪名がつくんだよな。国家錬金術師って。
「なんでって、お前が引き込んだんだろ」
「!?」
「見てわかんないのか?」
 エドは改めて自分の周りの状況を見直した。
 小さなベッドがあるこの部屋は、自分が二日前に借りた部屋であることは確かだ。アルと一緒に遊んでて(組み手してて)思いっきりあけちゃった壁の穴がそれを物語っている。
 それに、寝ている主人は自分で、無理にベッドに入り込んできたのかと一応想像はしてみるけど、どうみても自分がこの男に抱きついている。
 状況判断に顔を歪めつつも、エドは男の言っていることが正しいと嫌嫌ながら納得する。
「悪かったなっ」
 左足で思い切り男の腹をけってやるつもりが、その足はどうやら昨夜一番負傷したところだったらしく、激痛が彼の頭からつま先までに響き渡る。
「痛――――ッ」
「大人しくしてるんだな、鋼の」
 再び男はにやりと笑うと、惜しいと思いながらも、これ以上エドを暴れさせて怪我を増やしては自分の来た意味がなくなるので、とベッドから体を起こし、そのまま腰掛けて軽く座った。
「くそーっ。直ったら見てろよっ」
「どうだかな。俺のほうがまだ分がいい」
 うぐぅ〜っ!いちいちムカツクやつ…。
 くそーっ、あんな夢みて恐がってたのが馬鹿みたいじゃないか。なんで俺、あんな夢みたんだよ。まったくっ。
「………アルは?」
「外で昨日の復興作業だ。配管が多少壊れてしまったんでな」
「違う。…怪我してないか、アイツ」
「………大丈夫だ」
 俺の弟アルフォンスの身体は、俺以上に鋼だ。
 昔の俺の無茶な計画で、死んだ母親を生き返らせようとしたとき、俺は片手片足を、アルはその身体を失った。
 その亡くした部分を、俺たちは鋼で補ってるから、こんなヘンピな名前がついちゃったんだけど。
 人間は怪我をしたら治る。
 ただ、アルの場合、その身体は鋼鉄ゆえ、簡単に壊れることはないけれど、一旦壊れるとやっかいなんだ。
 もし、練成が解かれたら…。
 いや、そんな事は考えない。とにかく、無事だったんだから。
「そうか、復興作業。それであんたも来てんのか」
 この男が軍のイスを離れる所はあまり見たことが無い。
 軍って、偉くなれば偉くなるほどイスに座る時間が長くなるような気がするから、階級があがるごとに、どんどん弱くなってるってるんじゃって思うのは、俺だけかな?
「まぁな」
 本当は違うけど。
「んぁ?なんか言ったか?」
「―――いや」
 なんか聞こえた気がしたんだけどなぁ…。気のせいか。
 それより…夢見の悪い夢と寝起きだなぁ…。
 はぁ…。
「お前は大丈夫か?随分うなされてたんだが」
「へ?」
 なんだかコイツが俺の心配してるって思うと、ちょっとどころじゃなくて半端なく笑えて来るんだけど。
 だって、たぶん…こいつは、俺のことなんてがんちゅーにない。
 よく会って話だってするのも、俺に興味があるわけじゃなくて、仕事だと思うし。
 ってか、別にいいんだけどさっ。
 そんなの………。
 あ〜、もう夢のせいだ!夢の!
 こんな変なこと考えちゃうのも、夢のせいっ!
「俺、うなされてた時………なんかしゃべった?」
 エドはいきなり下手に出て恐る恐る聞いてみた。
 もし、もしもだけど…しゃべってたら、一生の不覚。
「―――否。俺がここに来たのは、ついさっきだし。それまでの事は知らないな」
 そうだよな。
 エドはホッと胸をなでおろした。
「……どんな夢だったんだ?」
「ぇぇえ?」
「だから、どんな夢だったんだ?」
 自分の中でさっさと忘れてしまえたらいい事ナンバー3に殿堂入りの夢のことをいきなり聞かれ、エドは激しく咳き込む。
「ど、どんな夢って…」
 あんたには一生話せない夢だよっ。
 馬鹿にするから。
「うなされるほど、だ。それはそれは悪夢だったんだろうけどな」
「………」
 悪夢……だったのかな。あれ。
 違う、現実みたいだった。
 ああ!クソ暑くて……何も考えられない。
「知ってるか?この町の言い伝え」
「言……い伝え?」
 これまた唐突だなぁ…。
「砂漠には昔から不思議な力がある。その中にあるこんな水のある地域になんて、神様でか、悪魔でも宿ってると思ったんだろうな、昔の人は。だから、変な言い伝えがあるらしいな。自分の夢に出てきたことが、現実に見えるらしい」
 え………。
「見え……る?」
 見えるってどういうことだろう。起こるって事?
 恐い…恐いっ。
 どうしようもないあの恐怖感が再び戻ってくる。
 …お願いっ!やめてっ。
「まあ、俺はたんなる暑さで幻が見えたんだと……おい、どうした?」
 いきなり頭を抑えて枕に倒れこんだエドの小さな身体を、ロイは慌てて覗き込む。
 おでこに手を添えてみれば、さっきよりも熱が上がっているようだ。
 まずいな。
 砂漠のこんな小さな町での大病は厄介だ。
 医者を呼ぶにしても、数時間もかかってしまう。
「大丈夫か?」
 いつも真っ白い肌に健康極まるピンクがついているエドの顔が、真っ赤に熟された林檎のように火照っている。
 呼びかけても答えられないほど、その熱は彼を苦しめているのだろう。
 ロイは珍しく舌打ちすると、そのクールな顔を崩し、枕もとに落ちていた頭を冷やす用のタオルを氷水で絞ると、エドの頭にそっと乗せた。
「今、医者を呼んでくるからな。少し…少し辛抱してろっ」
 ロイが慌ててその部屋から出ようとして、思い切り急発進したのに、その身体は思い余って、ズデンと転がった。
 小さなその部屋に大きな振動が走る。
 こんな何も無いところで転ぶロイ様ではない。彼は気恥ずかしさと不思議な気持ちをこめて振り向けば、自身が身に付けていた青い軍服のすそが、ベッドで苦しそうに寝ている少年の小さな手の中に収まっている。
 まるで、さっき……抱きつかれたときのように、離したくないと言っているかのように。
「エド………?」
 名前を呼んでみれば、少年は無意識なのだろうか、その美しいくらいのオレンジの瞳は見せず、口だけが静かに開いた。
「行かないでっ……一人にしないで……」
 それは、さっきまで叫んでいた言葉と一緒だった。
 聞こえなかったなんて嘘。ちゃんと聞こえてた。
 エドの心の叫びが。
「行かない。どこにも行かない。ただ今は医者が必要だ。誰かに頼んでセントラルまで行ってもらう。それを言いに行くだけだ」
 宥めるように言ったのだが、熱に浮かされた少年は嫌、嫌と首を横に振るだけだ。
「誰も…みんな……じゃない………あんたが…ロイが…っ」
「エドワード…」
 これ、夢かな。現実かな。どうなんだろ。全然わかんない。
 ただ、悲しい…悲しいイメージ。
 違う、そんな悲しくない。
 俺にとって…俺とエドにとって、最悪の出来事は、あの日の事のはず。
 そう………身体を鋼として生きていくことになった、あの日のはずなんだ。
 だけど、俺自身の今の絶望は、それじゃなくて。
 この寂しい世界には、いろんな人がいる。
 アルフォンスも、ウィンリィも、ホークアイも、アームストロングも。
 みんながみんな幸せそうに笑って、手を振ってるんだ。
 アルだってちゃんと肉体をもっていて、ウィンリィにはちゃんと両親がいて、俺たちの母親だって、家でお菓子を焼いていて。
 俺は国家錬金術師になる事もなく、アルと毎日小さな練成を繰り返しては、母さんを笑わせている。
 そんな単調な日々。
 ただ、たった一人その俺の平和な世界には、出てこない人物がいる。
 どうして…?
 俺にとって、その人はなんなんだろう。
 友達なんかじゃなくて、まして親類じゃなくて、上司部下っていうのが一番不釣合いだ。
 けど、どうして、出てこないのさ。
 いるだろっ!後一人。
 ほらさ、いっつも女好きで、俺の傍になんかちっとも来ないでさ、雨の日は使えないやつ!
 上に上がることだけに執着しやがって、その割に俺の手助けなんかもたまにしてさ、馬鹿だよ。俺のしてることなんて国家錬金術師にあるまじき禁忌なのに。
 でも、とにかく、ほらソイツ。頼むから、ソイツも出してよ。
 そうすれば、同じなのに。
 どうして、アイツだけいないんだよっ!
 じゃないと、アイツがいないと………こんなとこ幸せでもなんでもないんだってば。
「あんたにとって………俺って……錬金術師…ってだけなのかよぉ……っ」
 これはどこの苦しさからなのか、自然と目の端から熱い綺麗なモノが零れ落ちていく。
「……俺がいつそんな事言った?」
 エドの寝言のような問いに、ロイは真剣な紳士の目で答える。
「エド、俺はそんな事思ったことは一度も無い」
 お前にあったときから。
 こんな小さな子の後姿に、俺は何か大きなものを見つけた。
 それはそこはかとなく大きく、そして重い荷物のような。
 そして、一生誰にも触れさせはしないと、覚悟を決めているかのようだった。
 エドくらいの歳で国家錬金術師の称号を取ることは、まずない。
 子供は、子供で練成に未熟が生じ、まだまだだとみなされる。
 だが、この子は違った。
 燃えた家、失った手足、そして、鋼の身体。
 彼に本当は何が起こったかなんて、彼しか知らないこと。それを深く追求することはしないつもりだ。
 けど、けど…それを守ってみたいと思ってしまったのは、仕方の無いことだろう。
 見守るだけでもいい、傍にいられなくても、彼を救いたいと思った。
 心から思ったんだ。
 実際、彼の成長振りは目を見張るほどだ。
 伸びない身長の変わりに、どんどん大きくなる錬金術師としての素質。そして、技術。自分の将来性など、取るに足らんものだ。
 そう考えれば、自分などがいる方が迷惑なのかもしれない。
 このエルリック兄弟の最終的な目標を叶えるためには、他人などただの邪魔にしかならないのかもしれない。
 実際、彼らの戦いに自ら参戦して巻き込まれてった戦友たちの死を、エドが毎晩のように苦しみ悩んでいることを知っている。
 でも、もし、エドが俺の死を悼んでくれるのだったら…。
 むしろ、本望なのだけれど。
「俺はお前の傍にいるよ」
 一生…一生ね。
 例え、それが心の中でも、遠いセントラルの地でも、同じ戦場でも。
 とにかく、第一にお前のことを思っているよ。
 それが今の俺に出来る、最善且つ最高のお前への思いの伝え方。
「………どこにも…行かない?」
 失うのは嫌。
 もう、何も失うのは嫌。
「ああ」
 まったく、誰のために俺は位をあげようとしてるのかわかってるのかな。こいつは。
 位があがれば上がるほど、動きやすくなるっていうのに。
 お前たちの望みだって……俺が、俺の手でかなえてやれるかもって思ってるのに。
 そうしたら、お前は錬金術だけじゃなくて、少しは………俺の事も見るかな、なんて淡い期待も抱いてるって言うのに。
 まったく………。
「夢の中だと、もう認めてくれてるんだな」
 ロイは先ほどよりは穏やかになったエドの表情を見て、苦笑した。
 現実で、嫌いだ邪魔だと言うたびにお前の顔が歪むのに気づいたのはいつだろう。
 最初は、俺の自惚れかもしれないって思ったけど。そうじゃない。
 確実にお前の目は俺を映し出し、俺を受け入れ始めている。
「いつだって傍にいてやるから………そろそろ気づいてくれよ…?」
 俺の気持ちと、自分の気持ちに。
 ロイはエドの上気した頬に手を伸ばすと、やや強引に顔をあげさせ、唇を合わせた。
「ん……っ」
 まだ熱いその唇は、とろとろに蕩けそうなほど甘く。
 一生、繋いでいられるんじゃ…と勘違いしてしまうほど。
「傍にいたいのは、俺の方…なんだがな」
 余裕のない囁きは、たぶん誰にも聞かれてない。
 だけど、本当の本心の本音なのだ。
「朝も、昼も、夜も…傍にいるよ」
 そう囁くと、少年の顔がホンワカと笑った。
 ドキッとするくらい綺麗なその笑みに、ロイはすかさずベッドから離れた。
 これ以上は、本当理性もたないから。
「はぁ…っ…ったく」
 ベッドから数センチ離してイスを置き直すと、ロイはエドの手から自分の軍服の端を抜き取り、その代りに自分の指を差し込んだ。
 小さい子供が親と手を握ろうとして、指だけを掴んでいるようなそんなほほえましい光景に、ロイは一人嬉しさをかみ殺せないで笑った。
「………具合悪くなっても知らないからな」
 そう言いながらも、掴まれた手を離して欲しくないと思っているのは、彼のほうなのかもしれない。
 砂漠でエドが倒れたと噂で聞いて、その日のうちに本当に飛ぶようにこんな土地にまで来れてしまほど、その思いは深く、大きいのだ。
「………ロイ…」
「っ…!」
 甘い口付けをかわしたその唇から、自分の名前が呼ばれ、ロイは再び転びそうになる。
 名前を呼ばれるなんて、めったにないことだ。
 さっき一度、抱き疲れる瞬間に呼ばれたような気はしたけど、こんなはっきり言ってなかった。
 名前を呼ばれただけで、こんな気持ちになれる相手なんて、そうそういない。
 ロイはイスに座り直し、少し近づき手をぎゅっと握る。
「夢の世界にも、俺は出てきたのか?」
 少し、ほんの少し嬉しそうに笑いながら、彼はエドの手に自らの頬をつけた。
「だったら良いな……」
 暑い、暑い真夏の砂漠の中の伝説。
 もしかしたら、本当に夢は現実になるのだろうか。
 二人分の思いを加えた熱は、ますます上昇傾向にありそうだ………。

 完。


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