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● やっぱり君じゃなきゃ嫌! --- -1- ●

やっぱり君じゃなきゃ嫌!
 はぁ…。
「憂鬱だぁ…」
朝っぱらから特大級のため息をついたのは、瀬川家の長男、瀬川葉月十五歳。今日は彼の念願叶って受かった超有名エリート男子高校、森重学園の入学式だ。ここは、有名も有名で、日本に有する資産家のほとんどが息子をここに入れたいと本願してやまない。しかし、裏口入学も金にモノを言わすことも許さない男気溢れる学園長ゆえ、入ってくるのは頭のよく出来た男の子ばかり。そんな学園長の性格をかって、なおも入学志願者は増える一方の、日本有数の秀才校だ。
 その学園に、別に対して金持ちでもなければ、医者になりたい、政治家になりたいと思ったこともない葉月が入りたがった理由は、自分の学力に合う中でたった一つの全寮制学校だったからだ。
 実は葉月、かなりの秀才だったりする。その外見はテレビのアイドルをしのぐほどのプリティフェイスで、性格もそれを裏切らない。人の意見を素直にきき、誰にもすかれる愛らしい笑顔。葉月に満点をあげなきゃ、世の中の誰に満点をあげられるのかといえるほど、純真無垢で、天使を想像させる、完璧少年だった。それなのに、本人は目立つことが嫌いときてるから問題だ。葉月は自分でどう思ってるか知らないが、その容姿、頭脳、性格から嫌でも周囲を引きつけるオーラ(フェロモン?)を持っていたのだ。
 そんな彼がなぜ入りたがっていた森重学園に入れることになったのに、暗いオーラを出しているかというと、彼は入学式が大嫌いのなのだ。
 というか、その大嫌いな入学式にもさよならを告げるため、誰も選ばないような全寮制の男子高校を選んだのに。
「葉月、どうしたんだよ。暗いな」
「やっぱり、もう何かされたか?」
そう、俺を暗くさせている原因は…この二人なのだ。
 俺は目の前のそっくりな二人を恨めしそうに見つめる。
 絶対男子校なんて入りたくないっていってたくせにっ。絶対家から通えるところがいいっていってたくせに。それなのになんで俺と同じ高校をいつのまにか受験してるんだよ〜!
「双葉…」
最初に話しかけてきたのは、俺の弟、次男の双葉十五歳。キリリと整った顔は男って感じで、俺より二十センチも高い身長を見せびらかすように、ダークブルーの森重の制服を着こなしている。
「蜜葉…」
そして、その右にいるのは俺の弟、三男の蜜葉十五歳。双葉より少しだけ色素の薄い髪色と目をしているが、他人から言わせてもらえれば、双葉と見分けがつかないらしい。俺から言わせてもらえれば、全然違うと思うんだけどね。
 けど、みんなからそっくりねっていわれるたび、俺のコンプレックスは膨れあがるんだ。
「別になんでもないから…」
俺はニコって笑って誤魔化すけど、二人は渋い顔するだけだ。
 当たり前、ばれちゃうよね。生まれた時から一緒なんだもん。こんな時だけ兄弟の繋がり感じちゃうよ。
 そう、俺たち三人みんな同じ制服着て、同じ歳ってことは、つまり、そういうことで。
 俺たちは世で言う、三つ子さんなのだ。
 しかも、二卵生と一卵生の、というありえない状況で生まれてきたため、長男の俺は一六五センチなのに、双葉と蜜葉は一八四センチ同士。俺の顔は童顔で、目が女の子みたいにでっかいのに、二人は大人でセクシーな格好いい顔立ち、目もスラリとしていて、中学校の女の子たちからもキャーっていつも言われてた。
 俺と、双葉と蜜葉の二人は、容姿をとっても性格をとってもまったく違うんだ。
 三つ子なのに……。
 そう思うと、切なくて、悲しくて。俺は双葉と蜜葉が好きで、大好きなんだけど、比べられるのが大嫌いだったんだ。
 そして、一番注目される入学式は、知らない人たちに驚愕の目で見られてばっかりで、説明するのも嫌で、だから大嫌いなんだ。
 だから高校は絶対一人で家からも離れたところのに入って、二人と疎遠な生活を送るって決めたのに…。二人ってば、俺が知らない間に、誰かに聞き出して、一緒に受験しちゃったんだ。
 受験一ヶ月前から、今までにないくらいの勢いで勉強しだしたあたりから、疑うべきだったのかなぁ?
 それでも俺はやっぱり憂鬱で、顔がひきつってしまう。
 寮に引っ越してきたのは昨日。俺の寮は一人部屋で、二人は俺の隣の部屋に一緒だったみたい。
 またも、俺の胸は痛むんだ。また俺だけ疎外された気分になっちゃってさ。
「朝食はどうすんだったっけか」
双葉が俺の調子がおかしいのに気付いたのか、いきなり話題を変えた。
「たしか、生徒食堂で食べられるはずじゃなかった?」
葉月がパンフレットを確かめながらいう。
「ほら、やっぱりそうだ。えーと今日は…あ!蜜葉の大好きなオムレツだよ〜。おいしいといいね」
 もう、いい!しかたないや。入っちゃったものは。
 悔やむより、この学園生活を楽しむほうに考えなくちゃ。
 ふっきれた俺は強いんだぞっ。
 俺は蜜葉に向って笑って見せる。
「うんっ!」
蜜葉がその切ないくらい格好いい顔で、笑顔飛ばすもんだから、俺もなんだか兄として嬉しくなっちゃうんだ。
 二人が入ってきちゃったのも、良いこととして考えればいいんだよね。俺は二人が大好きなんだから。
「じゃあ、食堂に行くか。ホラ、葉月…」
「うん、行こっ」
双葉の差し出した右手をぎゅって掴んで、葉月は歩き出した。
 やっとのことで笑顔になった葉月に二人共、内心ホッとしてた。この天使のような笑顔は俺が守らなくては…。

 双葉と蜜葉が葉月の森重受験のことを知ったのは、受験地決定三日前。たまたま葉月のクラスの担任が自慢気に職員室で話しているのを、部活のことで来ていた双葉と、日誌をだしに来ていて蜜葉がたまたまはちあったところで、聞いてしまったのだ。
 これには二人とも顔面蒼白ものだった。
『お前…知ってたか?』
『まさか』
『だよな』
ずっと仲のよかった三つ子の自分たちにも話さないということは、つまり、故意に隠しているということになる。
 あの子供みたいな葉月が、よもや自分たちにヒミツをつくるとは。
 しかも、入りたいと思っているのは森重だって!?あそこは全寮制の男子校じゃないか。葉月自身、自分は目立たない、暗いタイプだと思っているらしいが、実際まったくそうじゃない。葉月の周りにはいつも、その魅力に虜にさせられた男どもがわんさかわんさか寄って来ていたのだ。それも、はらってもはらっても。だから、男子校に入るなんてとんでもない話なのだ。
 葉月はてっきり自分たちと同じ高校に入りたいんだと思っていたから、男子校に行く気もないし、家から通えるところがいいとさりげなく伝えておいたのに。
 なのに、なぜ、葉月は森重なんかに入りたがったのだろう。葉月の学力は双葉、蜜葉より全然上だったし、森重ランクの学校を狙うのも普通と言えるだろうが、以前の葉月を思い返すと、考えられない行動だ。
 小さい頃から、三つ子なのに自分たちと似ていないことをコンプレックスに持っていた葉月は、それこそ三人で同じものを持ったり、三人同じ服を着たりすることが大好きだった。まあ、それで三つ子の繋がりを感じていたのかもしれない。そんな葉月が、わざわざ黙って俺たちと違う高校を選んだことに、ただいまれない不信を抱いてやまない男二人。
『これ、どう思う蜜葉』
『どうって…まさか双葉は、葉月に俺たち以上に大切なものができたなんていうんじゃないだろうな』
『…そう考えてもおかしくないだろっ』
もともと気性の荒い、体育会系双葉は、すでにメラメラと嫉妬の炎をあらわにしている。
『…考えられないこともないけれど、まずないよ、それは』
少し考えながら、蜜葉は冷静に言う。
『なんでだよっ』
『いっつも俺たちと一緒の葉月が、恋人…しかも男の恋人なんてつくってる暇があったと思う?』
『そんなの、どうにだってなる。現に今日葉月は先に帰ってるし』
『今日は俺がちゃんと家まで送ってったよ?』
『んなっ、いつのまに!お前…ずるいぞっ』
熱くなる双葉に、蜜葉は勝ち誇った笑みを浮かべる。
『双葉が部活の後輩に呼ばれた時だよ…それに、今日の予定はピアノのレッスンと、受験勉強だって。やましいことはない』
胸ポケットに入れてあった、丸秘葉月手帳をパラパラとめくりながら答える目の前の弟に、双葉はムカッとする。
『てめぇ…なんで葉月のスケジュールなんて知ってるんだよ』
『俺たちは兄弟なんだ、知っていたっておかしくないだろ』
『ふんっ』
 この二人、外見はそっくりでも、うちに隠したものは実は正反対だったりする。熱い情熱型の双葉に、冷静沈着な蜜葉。ただ、二人にいえることは、二人とも嫉妬深く、誰よりも何よりも、葉月を愛していることだ。
 『俺は葉月に付いていくぞ』
『無論』
葉月に拒絶されようが、嫌がられようが、地獄の果てまで付いていく覚悟はできているのだ。この世で最も愛しくて、この世で最も恋しい葉月に。
 お互いがライバルであることは承知の事実。たとえ、弟でも兄貴でも、葉月だけは譲れないのだ。
 生れ落ちた瞬間からきっと恋に落ちていたんだ。その終止符を高校生活の中で打ってみせる。
『まずは受験か』
『……葉月も森重を選ぶとは。よっぽど俺たちから離れたかったとみたな』
『何でかお前知ってるのか?』
なんでも訳知り顔で話す蜜葉に、双葉は牙をむき出す。
『さあ…、葉月は聡明だから』
二人はこのままではラチが開かないと、とりあえず受験校変更を申し出ようと、職員室にかけこんだのだ。

 そして、現在に至る。
 「ふ〜、おいしかったね」
もうすっかり機嫌が戻っている葉月は、お腹いっぱいに食べたオムレツの感想を述べた。やわらかくふわふわで、新鮮なミニトマトがなんともいえず美味だった。
「そうだね、思ったよりおいしいかも」
結構食にうるさい蜜葉も満足げで、葉月はニコッと凶悪な天使の微笑みをする。蜜葉は往来の食堂の場だと言うのに、思いきり葉月を抱きしめる。
「可愛い…葉月」
「ちょ、ちょっと…蜜葉ぁ」
恥ずかしいよ〜。ここはもうお家じゃないんだよ?
「は・な・れ・ろっ」
その光景を誰よりも憎らしく見ていた双葉によって、あっさり二人は引離された。
「双葉、これからは先手必勝、やったもん勝ちっていわなかったか?昨日」
「俺は葉月が嫌がってるから離したまでだ」
二人だけしかわからない会話が、自分の頭の上でかわされていることに、胸がズキンと痛む。やっぱり…俺って、三つ子扱いされてないのかなぁ…。
「あ、俺…もう…行くね」
今日の予定はこれから各自小ホールに新一年生が集まり、入学式の説明を聞いた後、第一体育館にて、入学式だ。俺は、なんだか淋しくなっちゃって、小声でそう呟くと、気付かれないうちにさっさと、小ホールへ行こうとした。
「葉月!?」
二人に同時に叫び呼ばれて、俺はギクリと振り返る。既に周りからは、あれって双子じゃない?双子君だ、格好良いね。等という会話がかわされており、それだけで十分胸がぎゅ〜ってなってるのに、これ以上有名になる気も、目立つ気もなかった。
 葉月は二人を待たず、一人で小ホールのほうへかけていった。

 「君…新入生?」
「え…は、はい…」
小ホールに入ったとたん、三年生の印である真っ赤な地に三本の黒いラインの入ったネクタイの、なかなかかっこいい先輩に声をかけられた。
「かわいいね…名前は?」
入学式の手伝いの生徒とかかな?
 葉月はその質問には答えず、先輩に見入ってしまう。
「僕がどうかした?」
「あ…す、すみません」
「やっぱり可愛い」
先輩は葉月の頬にそっとその美しい白い指を滑らせていく。葉月は緊張してしまい、不思議そうにその黒い目を大きく見開き、見つめることしかできない。
「あ…あの…?」
その手が頬を包むように優しく顔を這い、先輩の顔が近づいてきたような気がして、葉月は、さっ、と先輩の前に手をだし、顔をそむける。
 俺は先輩にそんな態度を思わずとっちゃったのに、優しく微笑んでくれた。
「フフ…誘ってる?」
「へ?あのぉ」
誘ってるって?何が?俺が?
「あ、っと、瀬川葉月です」
「え?」
「だから、名前ですっ」
俺はてっきり名前を聞かれたのに、答えてなかったことをいわれてるんだとおもって、とりあえずいってみたのに、先輩ってば目の前でお腹を抱えて笑い出した。
 さっきまで王子様スマイルで、その王子様みたいな容姿をキラキラさせていたのに、すっかり普通の人みたいに大爆笑だ。うん、こっちのがいい気がするけど。
「あはは、葉月君か。葉月君は、面白い子だね」
「な、そんなに笑わないで下さいよ」
葉月は顔を真っ赤にして、先輩の胸をこぶしで、軽く二、三度叩いた。
「ごめん、ごめん。そうだ、じゃあ僕も名乗っておこうね。僕は、ここの生徒会長、与那嶺 聖司。聖司って呼んでいいからね」
「生徒会長だったんですかぁ!」
俺はびっくしりして、ますます穴が開くんじゃないかってくらいに、目の前の聖司先輩を見つめてしまった。
「うん。葉月君、君とはなかなか仲良くなれそうだよ…」
聖司はフフっと再び不気味な笑みを浮かべた。こんなおいしそうな羊ちゃんは久々だ。体が透き通るような白色で、ホッペはぷっくり膨らんでピンク。目は潤みが混ざった黒い大きな瞳。そして長いまつげに、つやつやの髪は、きれいに黒色だった。どこをとっても、聖司の好みでできあがっていた葉月に、聖司が興味を抱かないわけがなかった。
「はい!よろしくお願いしま〜す」
葉月は頭はいいのに、こういったことはからきしだ。何も考えずにフェロモンむんむん笑顔を簡単に振りまいてしまった。
 その瞬間、葉月は顎を聖司に持ち上げられ、無理やりに上に向かされる。
「せ、聖司先輩!?」
そのあまりの苦しさに、葉月は喉もとのネクタイを閉め付けないように、指を体とネクタイの間に入れて隙間をつくった。なんてったって、先輩の身長は、双葉たちくらいあって、なかなかの長身。首も痛いし、顎も痛いし……。なんでこんな…。
 落ちそうなくらい目をまん丸にして、状況が飲みこめない葉月の首に聖司はその顔を押し付ける。
 生暖かい舌が何度かそこをチロチロやさしく舐めていたかと思うと、いきなりチクリと痛みが走る。
「ふぁっ…先輩っ!?」
葉月は嬌声を漏らす。その声がどんなに甘く、艶かしいかわかっていなから問題なのだ。
「入学のお祝いだよ」
??
 お祝いって何が?
 葉月はさっぱりわからない!と言った顔をする。それもそのはず、こんなこと誰にもされたことないんだもの。
 だから、さっきの痛みが、自分の首筋に赤いキスのマークを残しているなんて、気付かないわけで。
 そう葉月がおろおろしている隙を見計らって、聖司はその美しく整った唇を、葉月のバージンリップにおろした。
「んんっ!」
葉月はびっくりして、自分でも思ってもみない以上に体を過敏に反応させる。
「ん…ふぁ…せ、先輩…」
両手を思いきり振りかざしたと思ったのだけれど、先輩に達する前に、先輩の両の手に手首をがっちり掴まえれ、そのままの態勢で、壁際まで移動させられていく。もちろん、唇も繋がったままだ。
 やだっ、やだっ、やだぁ!双葉ぁ…蜜葉ぁ…!
 俺は心の中で、最も頼りになる二人の名前を呼びつづけた。けれど、どうしたんだろう。いつもうるさいくらいに付いてくるのに、今日に限ってあの二人はやってこない。
先輩は生生しい、ちゅぱちゅぱって音をたてながら、俺の唇を、舌でこじ開けようとしてくる。どうしよう…恐いよ…。これって、これって、キス…だよ…ね?なんで、そんなもの俺としようとしてるの?おかしいよ…俺たち男同士なのに…先輩!先輩!
 俺はどうにか抵抗しようとして、先輩の口が離れた瞬間を狙って、しゃがみこんだ。その俺の行動までは予測不可能だったみたいで、先輩の拘束は簡単に緩んだ。俺は、何も聞かず、何も見ないようにして第一体育館に猛ダッシュした。
 どうして、どうしてこんな〜!憂鬱プラス混乱の状態の葉月はパニックを起こしかけていて、自分が大切なものを落としたことに気付いていなかった。
「葉月君…」
唇が触れ合った瞬間、怯えきったように体を震わせた、その姿さえ、自分を欲情させた。
「君が欲しい…」
聖司は人知れず呟く。あんなに自分を夢中にさせる何かには久々に出会った。いや、初めてかもしれない。どうしても手にいれたい。そう切実に思った。何に変えても…。
 聖司はふと、自分の足元に落ちている白い封筒に気付く。
「―――ん?」
聖司はおもむろに拾うと、封のささっていない封筒を表にしたり裏にしたりして、あて先をみる。しかしそれらしくものはない。手紙としてのものではないのだろうか。失礼だとは思ったけれど、中身を出して見てみることにした。持ち主の手がかりがあるかもしれないからだ。
「これは…新入生代表アイサツ…」
そう、実はこの中身、今日葉月が入学式で読むはずの新入生代表アイサツの文章だった。なんと葉月はトップ入学だったのだ。
 聖司は葉月の名前を最後に見止めると、これを届けてあげたほうがいいと思い、体育館に行こうと向きを変えたが、すぐに回れ右してしまった。
「もし僕がこれを届けなかったら、彼はどんな風になるんだろうな…」
聖司はステージ上でうろたえ、涙を流す葉月を想像し、うっとり悦に入る。そして、その本物を見るために、その手紙はビリビリと裂かれ、ゴミ箱にポーンと捨てられてしまったのだ。

 入学式五分前。葉月はステージ右の暗幕の裏に控えていた。
どきどきどき…。
 心拍は、時間と反比例して増えていく。
 最後の原稿チェックだ…と葉月は自分の胸ポケットに入っている挨拶の文章を手探りで探す。
 あれ…?
 手が封筒にかすりもしない。おかしいなと覗いてみると、そこにはあるべきものがなかったのだ!葉月は一瞬にして体が冷たくなってしまう感じに襲われた。
ふ、ふうとうは!?あ、あいさつの文章…!
 葉月はぺったこんの自分の胸を何度も両の手の平でたたくが、やはりそこにあるのはぺったんこの胸で…。
 ない、ない、ないー!封筒がない。
 入学式三分前。
 葉月は鼻の頭に妙な汗を掻く。手もずっと握ったままになっていたのか、内側に爪の跡がくっきりついてしまった。
 どうしよう…。あれがないと…。
「葉月っ」
葉月が動揺に動揺を重ね、うろたえていると、後からずっと待っていた声がする。こういうとき、必ず来てくれるんだ!
「双葉ぁ〜」
今にも泣き出しそうな顔で、自分にしがみついてきた葉月の体を優しく上下に撫でてやる。
「ど、どうしたんだよ」
慰めているだけの行為でも、肌に触れているのは事実。双葉は自分の欲望が素直なくらい反応してきているのを感じて苦笑してしまう。
「げ、原稿が…ないぃ」
言ってしまったら歯止めがきかなくなっちゃって、俺の目からぼろぼろ涙がこぼれちゃう。情けない!男なのに、もう高校生なのに。
「原稿って、あれか?入学生代表の…」
もとより、そのアイサツをやること自体快く思ってなかった双葉は、思い出すように言う。あんなんやってしまったら、この可愛い我が兄貴葉月を、全校生徒に紹介しているようなものじゃないか。
「そう、それ!どっかで落としたんだよ〜…朝はあったんだよ」
新品のブレザーを何度も開いては閉じて、ヒラヒラさせている葉月は、パニック中のパニックだ。
「じゃあ、やらなければいいんだそんなもの」
「何冗談言ってるんだよ〜…こんなときに」
「冗談じゃない。そもそも入学式なんて俺は好きじゃないし」
―――え?
 葉月は我が耳を疑った。だって、自分はずっと一人だけ三つ子のくせに似てないから、それを指摘され、凝視されるのがいやで、入学式を嫌っていたんだけど、まさか、双葉も入学式が嫌いだとは思ってもみなかったからだ。
「双葉も…嫌いなの?入学式…」
「ああ、だって葉月をみんなに見せちゃうじゃないか」
双葉にしてみれば、率直な自分の意見を言っただけなのだが、葉月はがっくり肩を落としてしまった。
 どういう意味だかわかんないけど……俺の落ちこむ気持ちとは違うのね、やっぱり。
 そう思うとちょっとだけブルーになっちゃうんだよ。
「それより……どこで落としたか記憶ないのか?」
「へ?うーん…」
葉月は今日一日の出来事を考えていたが、ハッとついさっきの聖司先輩にうけた衝撃を思い出し、顔を真っ赤にさせる。
 それに気づかない鈍感双葉君ではなかった。
「葉月…」
双葉のちょっといつもより低音の声が聞こえて、俺はピクンって反応しちゃう。だって、さっきの出来事思い出して一人照れてるのって、おかしいよね?もしかして、俺って結構H……??きゃー!恥ずかしい。でも、でも、あれって…なんだったんだろう。
「どうした…顔が赤い」
「えぇ?」
平常心を保ったつもりだったのに、上手に声は裏返ってしまった。
「な、なんでも…」
「なくないよな」
双葉の顔がずんっと自分に近づいてくる。うう…どうしてばれちゃうんだろ。
「ちょ、ちょっと生徒会長さんと…会った…だけ」
「会っただけじゃないだろ、何話した。どんなやつだ」
「ふ、双葉ぁ…」
あんまり思い出したくないんだってば。
「言いなさい」
双葉ってばときどきこうなるんだ。命令口調って言うか、恐くなるって言うか。前に一回、母さんにちゃんと電話して、その時仲良かった浩二の家に泊まったときも、夕飯時にいきなり現れた双葉に強制送還されちゃったんだ。すっごい理不尽だ〜!って俺はムゥって顔で訴えたんだけど、逆に、何されただの、何話しただの、あれこれ尋問されて、それが朝まで続いちゃったり…。
 思い出しても、疲れてくるお話。
「…おしゃべり」
言ってみたものの、目の前の双葉は眉の間に二本線作って肩を落とした。
「どうして嘘だってわかるこというかな、葉月は」
「嘘じゃないもん」
「でも、それだけじゃないだろ。それだけだったら、封筒は胸ポケットから落ちないもんな。生徒会長とかいうやつに何されたんだ…」
双葉は俺の顔がそっぽむかないように、がっちり両手で固定しちゃった。そして、その時首筋の何かに気付いて、表情が一変した。
 今までも十分恐かったのに、さらに恐怖度数が上がった感じ。冷酷っていか、無情っていうか。
 恐いっ!なんで、なんで?
「……そういうことか…」
一人納得しちゃったらしい双葉の声がする。
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