ちょこっと オトナにおもちゃ。

リーマン。 くっきり。 小説。




 遊びに行きたい夏も、恋に溢れる秋も過ぎ、そして積もり積もった雪も溶ける頃、再び慌しく動き出している会社があった。
「海老名さん、こちらの企画書に目を通しておいて貰えますか」
「ああ、わかった。僕のデスクに置いておいてください」
「春日さん、倉科先生からお電話です」
「悪い、掛け直すって言っておいてくれ」
「海老名さん、社長がお呼びです」
「ああ、今行く」
 華奢なその身体から零れ落ちそうな書類とゲーム雑誌、イラスト数点を持って海老名春日は真新しいオフィスを走り回っていた。
 ここは、昨年開業したばかりの新米ゲーム会社「Practice」。
 「NANA」と呼ばれるロールプレイングゲームを作らせたら日本一と呼ばれていた会社の製作部門の社員を全員引き抜いたことは、新聞にも大体的に載り話題を呼んだ。それ以前に、会社が出来ると言う広告だけは出して、社長の顔もゲームの内容も何も明確にしない営業方法は既にゲーマーやゲーム業界で噂の的だった。
 その社長があろうことか「NANA」にヘッドハンティングに入り込み、結果的に製作部門の社員総勢百人近くを一気に引き抜いたのだから、話題にもなるというものだ。
 社長の長谷川八重はアメリカ帰りのエリートで、実力主義。仲間うちで製作し、協力し作り上げると言う行為を当初馬鹿にしていたにも関わらず、春日とであった事で影響を受け、春日だけを引き抜くつもりが、嬉しい誤算で製作者全てを引き抜くこととなった。
「春日、この間売り出したRPG『JUMP』が今月で十万個突破したらしいぞ」
 以前の「NANA」の社長室とは比べ物にならないくらい立派な社長室にある社長椅子に座った八重は、春日が入ってくるなり嬉しそうにそういった。
「知ってるよ、下で岡田さんたちが騒いでたから。情報通に関しては社長より社員の方が早いんだよ」
 一応社長だと言うのに八重に向かっての春日の言葉は普段より普段らしい。
 部下、同僚達には敬語で接し、気を許した相手にだけ打ち解けたしゃべりになるのは春日の自然な行動だった。
 まるで空気を吸って吐くように、それが素で出てしまうのだ。
 しかし、八重も怒るわけではなく、自分だけに心を許しているようで嬉しくなりますます笑顔になる。
「ああ、そうだな」
「そうそう、それでさ。シリーズ物にしようかって案があるんだ、どう思う八重」
 春日と八重とでは、春日の方が年上だが春日は行動力と応用力、そして発想力に長けている八重にしばしば相談事を持ち寄る。
 八重は社長の顔になって少し考えてから、小さく頷いた。
 春日を傍に置けて幸せだし、春日を独占したいと思うけれどここは春日が大好きな仕事をする会社。
 その場に居る以上、八重も春日と同じくらいの熱意で仕事を全うするのだ。
「……二作目となるともっと良いものを作らなきゃなくなる。その期待に答えられるだけの物が作れる保証は?」
 真面目な顔で聞いてきた八重に、春日はキリッとした表情で笑う。
「俺たちのゲームは前作を凌ぐんじゃなくて、前作すら再びやりたくなるようなゲームをつくることだ。俺たちが作ってて楽しくないゲームが、プレイヤーに楽しいと思ってもらえるなんてそんなおこがましい事思ってない」
 人には二種類あって、人の上にたつ人間と、そうでない人間だと八重は思っている。
 そして、春日は確実に前者だ。
「今、春日は楽しいって言うんだな」
「すっげー、楽しい。八重もまた製作部門顔出せばいいのに。机にばっか向かってると体力落ちるぞ」
 周りの人をも笑わせてしまう笑顔で、春日は実に楽しそうに笑う。
「NANA」に居たとき、春日はみんなの意見をまとめ、上からの注文も下からの切願も受ける大変な立場にいた。そのときも十分楽しそうに作ってはいたけれど、今から見ると比べ物にならない。
 会社が大きくなり、人も増えた分大変なことも多いけれどそれでも春日は好きなゲームが作れるこの場所が大好きだった。
「いいんじゃないか、シリーズ物やってみても。今から思えばうちはまだそういう表題作が出てないし、『JUMP』のこれからの売上も十分見込まれるし。業界内でも評判は高いからな」
 十万個売れるよりも、シリーズ物で続けられることよりも八重に良いと言われたことが春日には何よりも嬉しかった。
 個人主義でずっとやってきた八重は尊大な態度をとるときもたまにあるが、ゲームに関しては客観的に見れるから、嘘がない。
 既に十個以上の作品が、売り出す前に八重の検査でひっかかりボツにされている。その時は腹もたつが、八重の言葉は正しく納得できる。
 だからなのか、春日にとってプレイヤー以上に正直な意見をくれる人だった。
「よし、じゃあ制作にとりかかるかな」
 二月に入ったばかりのこの時期。計画的に制作をすすめていけたら四月のゲーム発売ラッシュに間に合うペースだ。
 春日は自分自信に言うように気合を込めると、社長室をそのまま後にしようとした。
 しかし、そんな春日に八重は話しを続ける。
「ただし、だ。頼みがあるんだ」
「頼み?」
 八重は年下なせいか、年上の春日に頼るのをめっぽう嫌がる。それで年下だと再確認するのが嫌らしい。
 もちろん春日は年下だとか、年上だとか気にしないので、ただの八重の考え過ぎなんだけれど。
 珍しい八重の言葉に、春日はその瞳の奥を除くようにして本心を探る。
「……何」
 以前不意打ちのような感じで何度も何度も八重からキスの洗礼を受けている春日は、最近少しだけ警戒をもつということを覚えたらしい。
 八重にしてみればそれは、期待しているのではと言う勘違いをおこさせてしまう要因でしかない。
 けれど今回は本当にビジネスな話しなので、そんな春日を八重はクスリと笑った。
「残念春日。仕事の話しだよ」
 八重の言葉のニュアンスを読み取ったのか、春日は顔を真っ赤にさせる。
「馬鹿八重っ!な、何が残念だよ……仕事の話しに決まってるだろ…で、なんだよ」
 おもちゃみたいにくるくる動く春日の表情に、笑いが収まり無くなりそうになりながらも、これ以上笑っていると本当に春日を怒らせてしまいそうなので、八重は無理に表情を硬くする。
「来年度の販売会議で、新たなジャンルに挑戦することになった」
「新たなジャンル?」
 弱小プロだったロールプレイング基盤の「NANA」とは違い、ここ「Practice」では多数のジャンルに手を出していた。シューティング、アクション、カーレーシング等など。あと、手を出していないといえば……。
「恋愛シミュレーションゲーム作成に、本田が嫌に乗り気なんだ」
「恋愛シミュレーション……」
 本田というのは秘書課部長で、この会社唯一の女性部長だ。
 仕事では女性、男性隔てなく接することにしている春日にとって、何故か扱いにくい相手でもある。
「……決定……下したんだ、お前」
 ゲーム大好き人間の春日が妙に嫌な顔をする。
「何か問題があったのか」
「……別に」
 それでも春日の表情は暗い。
「あ、それとそのチーフはあんただから、頼んだぜ」
「ゲッ!!」
 思わず春日は本音を八重の前にぶちまけた。
 咄嗟に出てしまった反応に、八重以上に驚いたのは春日だ。
 もしかして、という考えが頭に浮かび、八重は放心状態の春日に問いかける。
「あんた……恋愛ゲーム嫌いだったのか」
 今までどんなゲーム制作にも積極的に参加してきた春日は、その八重の言葉にピクッと身体を振るわせた。
「……嫌いとかそういうんじゃない、けど……」
 なんでもはっきりと言う春日が言葉を濁す。
 八重はこれは珍しいものが見れたと、心の奥でクスッと笑う。
「そういや春日、恋愛ごとに疎いよな」
 揶揄をこめた八重の言葉に、春日は社長室だというのに声を荒げる。
「悪かったなっ」
「ゲーマーならやったことはあるんだろ、恋愛シミュレーションゲーム。別に、あんたの実体験をゲームにしろって言ってんじゃないんだから……。まぁ、それでも俺は楽しいと思うけどな」
 興味の矛先がすっかり春日の恋愛ごとにむいてしまっている八重は、まるで子供のように楽しそうだ。
 馬鹿八重……。
 春日は小さく悪態をつきながら、頭を抱える。
「やったことくらいあるよ。あるけどさぁ……」
「ゲームん中の女には萌えない、とか?」
「萌え……るって、なんだそれ」
 八重の言葉に、春日は自らのハチミツ色の頭をぐしゃぐしゃに掻き回しながら質問する。
 ゲーム制作者として一目も二目も置く春日が、まさかこの単語を知らないとは思わなかった八重は、顎に手を置きうーんと考える。
「欲情する、とか……興奮する、とか」
 ワザと意味を誇張してしゃべれば、春日は再び頬をピンク色に染めて叫ぶ。
「なんだよ、それっ」
「あれ、でもあんたロールプレングん時は女キャラも別に可愛いのにするよな」
「そ、そりゃそうだろ……冒険してれば恋も起こるんだから…」
 春日が一体いつからゲームにはまったのかは定かではないが、どうも少年のような思いを抱き過ぎだ。
 八重は春日が、今までどんな恋愛をし、何人の彼女と付き合い、どんなセックスをしてきたなんて知らないけれど、これではラチがあかないとため息をつく。
 春日は、恋愛というものを避けている気がする。男として仕事に没頭する姿は格好良いとも思えるが、春日に恋しているものとしてみれば頭もうな垂れてしまう。
 交換日記から初めて手を繋ぐまでに何回デートして等と、段階を踏んでいかなければいけないというのだろうか。
 それが大人の男の恋愛かと思うと、少々少年染みている。
 今回の恋愛シミュレーションにしてみても、自分たちの恋愛の進展にしても、これでは進みようが無い。
「海老名春日、恋愛シミュレーションゲーム開発チームチーフに任命する。『JUMP』の発売日と同日の予定だ、いいですね」
 八重は社長の顔でそう言い捨てた。
 社長にそう言われたら納得するを得ない。春日は渋々返事をすると、社長室を後にした。

 「恋愛シミュレーション!」
 制作部門にその話しを持ちかえるり、昼休みを利用して話しを通す。
「…ああ、僕がチーフを務めます。同時期に『JUMP』の続編の制作もあるから、チーム編成はこれから考えるつもりだが、何かアイディアのある人はいるか?なんでもいいから、思いついたら僕に言ってきて欲し……」
 春日がそう言うと、ワッと沸いたように、男だらけの制作部門がどよめいた。
「海老名さん、ドキ★ウキメモリアルみたいなのが良いと思います」
「あれは王道しすぎてマニアはそんなに萌えないよ、それよりも十年前に出た「天使のキス」は未だにオタクに人気です。あんな純愛系をめざしましょうよ」
「俺、それのイチゴちゃんの体育祭シチュエーションが好きだったんだよなぁ」
「ちょっと待てよ、体育祭だったら「ドールズ」の葉月ちゃんだろ〜」
「いいよなぁ、あれ……かなり萌えだよぉ。俺十回以上プレイしたもん」
 制作部門にはNANAから引きぬかれたメンバーに加わり、たくさんの人数が日々個々のチームにわかれ作成している。しかし、今はそんな隔たり関係無くみんな話しに加わり、趣味の合うもの同士話題からそれて、春日のよくわからない『萌え』について熱く語っている。
 ゲーム製作者たちだから、ゲームが人一倍好きなのは春日も同様だが、さすがについていけなくて取り残されたようで、脱線しているみんなの会話の最中に春日は大きく咳払いを一つお見舞いする。
 一瞬にして騒いでいたみんなはピタリと静まり返る。
 春日はまだまだ年若いが、ここでも大きな力を持っている一人だ。誰も春日を怒らせたくはない。
 しかし、外面完璧主義の春日の怒った表情が見られるのは八重その人だけなのだけれど。
「失礼しまーすっ」
 そんな男集団の間に浮き立つような明るい女性の声が聞こえ、春日は一瞬にして顔を強張らせる。
「……本田……さん」
「海老ちゃん、ごきげんよう。秘書課の本田でーす」
 会社に制服がないからと言って、本田の格好は毎度毎度どうかと思う。
 黒や白のフリルをふんだんに使いこんだゴスロリファッションそのもので、頭にはご丁寧にレースふりふりのカチューシャまでついている。
 春日より年上らしいが、春日同様の童顔のせいでそれが似合っているのも怖い。
「やだぁ、相変らず可愛いんですもの。海老ちゃんにはあたしとおそろいのお洋服を一緒に着てもらいたいわぁ」
「……結構ですから……僕は」
 思わず素で女装なんかするかと怒鳴り散らしそうになりながら、春日は必死に笑顔を取り繕う。
 制作部門というか、会社全体で本田には弱く、男共はみんな苦笑交じりで春日と本田のやり取りを見守る。
「そんなぁ、絶対似合うわよ。そうね例えば海老ちゃんは細身だから少しアップな感じのピンクのスカートに白い純白のエプロンでロリータ風でどうかしら。海老ちゃんの御髪の色にもとってもあうと思うの」
「あ、あの本田……さん」
 制作部門全員、春日のそんな姿を思い浮かべ思わずトイレに駆けこみそうになる。
 血がグッと集まる鼻と下半身を堪えつつ、みんなよそよそしくお互いの反応を確かめ合っていた。
 女顔というわけじゃないけれどモテ美人顔の春日は、本人の意向云々に関わらず妄想対象だ。
 日本人離れした綺麗なハチミツブラウンの髪が揺れると、その大半を男が占める制作部門にまるで春の木漏れ日のような爽やかさが溢れる。
 そんなこと春日が気付いたら、本性丸出しで暴れまくりそうだ。
「本田さん……用はなんだったんですか」
「だって、男達だけで萌えを語るなんてずるいじゃない。あたしたち秘書課だってしゃべりたいのよ〜」
 本田はそういうと、制作部門の扉から中へ入ろうか迷っていた少女たちを引き入れる。
 名前まではちゃんと知らないが、秘書課の方々総勢七人。
 秘書課というだけあって、ビジュアル的にもそうとうな七人だ。
「女にだって萌えはあるのよ、海老ちゃん」
「……そう…なんですか」
 リサーチ中の春日は頭の中のメモに新しくその情報を書き足す。
「そりゃそうよ。ドキ★ウキメモリアル、ガールズサイドの葉星様は究極の萌えでしたわ。ねぇ、みなさん」
「そうなんですよー!女の子の萌えを追求した最高のゲームでしたよ、あれは。声優の方々も女性に人気の声の方々が選りすぐりで担当してましたから」
「私は、楽園ヘヴンとかのボーイズラブ系が好きですけどね。あれこそ、乙女の萌えを満たしていますよ、海老名さん」
「ボーイズラブって……」
 春日が初歩的な質問をすると、秘書課全員声をそろえて批判した。
「海老名さん知らないんですかぁ。男の子と男の子の恋愛のことですよー。ゲームだって結構でてるんですよ」
 男同士といわれ、何故か春日はドキンとした。
 今までそんな恋愛毛頭興味がなかったから、八重にキスされても抱きしめられてもそれが恋愛とは結びつかなかったのだ。
 しかし、こうも自然に言われると心臓が跳ねる。
「高校生ものが多いですけど、今の注目はもちろんリーマンもの!嫉妬に狂った強気攻めが健気な受けのスーツを破れんばかりに脱がし、無理やりに身体を奪うなんて、きゃーっ最高」
「……え」
 何か話がそれてきている気がして、止めに入ろうと思うのだが上手くいかない。
 男性社員みんなキョトンとしながら、それからそのシチュエーションを春日と自分とで想像し、再び一斉にみんな鼻腔を抑える。
「まさか海老ちゃん、女の子がゲームしないとでも思っているんじゃないでしょうね」
「そんなこと、思っていませんよ」
 ゲームイベントなんかにも顔を出してきた春日は、その会場の男女比がほとんど同じくらいになってきていることを知っている。確かにロールプレイングゲームやアクションなんかのある一種の法則性のあるゲームのクリアが早いのは男性だが、むしろ製作者たちがお遊びでつくった裏技に気づいたり、完璧なクリアをするのは女性の方が多い。
「恋愛シュミレーションを作るのでしたら、そういうことも頭に入れなくてはいけませんわよ」
「そういうこと……ですか?」
「ええ。恋愛には男も女も、データも、常識も何も関係がないっていうこと」
 本田はにーっこり笑ってそう言った。
 恋愛には男も女も……関係ない、か。
 春日はその言葉をしっかりと頭に焼き付けた。
「参考にします。ありがとうございました、本田さん」
「いいえ。海老ちゃん、またなんかあったらあたしたちのところへいらしてね」
 嵐のような秘書課が去っていった後、春日は一人他社から発売された数枚の恋愛シュミレーション系ゲームを胸に抱え、ゲーム試行室へと向かった。
 嫌いというわけではないけれど、興味がなかったためやったことがなかったから、いくら仕事とはいえ一人でプレイするのが少し気恥ずかしい気がしながら、春日は食事をとる時間も忘れ何時間も何時間も画面を見つづける。
 製作者という立場からそのゲームをプレイし、春日は気づいた事を右手でメモ書きのように残していく。
 兄弟物の恋愛をメインとしたもの、女の子だらけの学校に転入させられてしまった男の子の話、旅行中に出遭った数人の女の子との恋愛の話。
 男性向けをプレイしていて思ったことは、女の子たちは常に可愛くそして色気たっぷりだということ。どれも日本で製作されたゲームだが、どうも童顔な子で胸が大きい子が多いように思える。確かに、ロールプレイングの方でも年々その傾向が強くなってきているが、あちらは主に純愛系も多い。こちらはさすがに一般用ゲームなので直接的に身体が曝されるわけではないけれど、それにしても水着イベントやお風呂イベントなどは必ずと言っていいほど入っている要素だ。
 声優に関して言えば、やはり顔に見合う幼いようなちょっと天然入ったような可愛い声の方々が多い。
 どれも二十万個以上の売上を見せた超人気恋愛ゲームで、その全てが同じような傾向にあるというのは、つまりこういうのを作れば売れるということなのだろうか。
 春日はいや、と首を振る。
 それでは、コピーを生み出すだけだ。それらが二十万個売られたのなら、自分達は三十万個売り出すゲームを作らねばいけないのに、同じようなものをつくっても意味がない。
「ゲームで恋愛かぁ……」
「そんなに抵抗があるのか、春日」
 背もたれに大きく寄りかかっていると、後ろから声がして、春日はイスから転び落ちそうになる。
「八重っ」
 声の主を瞳の端に発見し、春日はその名前を呼ぶ。
 八重は小さな紙袋とお盆を手に、なにやら社長らしかぬ姿で試行室のドアの前にたっていた。
「岡田さんたちに、貴方がここだって聞いたんで夜食もってきたんだ」
 八重の手の上のお盆には、八重が作ったとは想像しにくいインスタントのラーメンが乗っかっていて、春日は思わず笑みをこぼす。
「お前そういうの本当似合わないよなー」
 百八十を越える長身でがっしりとした体躯、それに見合う女性受けする美形な顔、ブランドスーツを嫌味なほどに着こなしたエリート中のエリートの八重が、一食数十円のラーメンを持ってきたのが春日には可笑しくて仕方なかった。
「俺だってラーメンくらい食べる」
 あまりに春日が笑うから、八重はむすっとしたように春日の隣の席に腰掛け、春日にラーメンを差し出す。
「フレンチとかイタ飯とかそういうの食ってそうなんだもん」
「生憎、こっちも今はゲームしか頭にないんでね」
 八重がいまだむっすりしてそういうと、春日はあの満面の笑みで八重の心を擽る。
「だよなっ」
 よっぽど八重の言葉が嬉しかったのか、春日はラーメンを食べながらも画面を見つづける。
「でも、あんたは煮詰まってるみたいじゃないか。恋愛をゲームにもってくることにそんなに抵抗あるのか」
「……恋愛はゲームじゃない。こんなに上手くいくわけないって思っちゃうんだよな、俺」
 春日は言い終わった後に照れ隠しのように、ラーメンを勢いよく吸い込む。
 どのゲームも三時間、四時間前後で最短ルートならクリア可能だ。マンガのような出会いをして、運命のように恋に落ちて、少しそこに問題が起きて、最後はくっついてハッピーエンド。
 みんなはこの箱の中に何を求めているんだろう。
「確かに、こんな上手くいってくれれば俺も苦労しないな」
「え?」
 八重が独り言のように呟いた言葉を春日が聞き返しても八重は何も言わない。
「八重でも恋愛で苦労するのか」
 春日が驚いたように言うから、八重は肩を落とすようなため息をついた。
 まさか、目の前の相手にそのことを言われると思わなかった。
「あんたは恋愛には興味ないみたいだな」
 意地悪く言ってしまうのは、さっきの仕返しが含んでいるせいだ。
 けれどいつもなら強く反撃を返してくる春日が、なぜか黙ったまま画面を見つづけている。怒ったのかと思って、八重が顔を覗くと表情はそうでもない。
 ただ、笑いもせず怒りもせずゲーム画面を見ているだけだ。
「あんた、いつか言ってたよな。自分で面白いと思えないゲームは作っても意味ないって」
 八重は春日の手の中から空になったお椀を取りながら言った。
「じゃあ、あんたが好きなゲーム作ってみろよ」
 八重はそういいながら、お盆のほかに持ってきていた紙袋を春日に差し出す。
 黙ってそれを受けとり中を見ると、自作らしいゲームソフトが入っている。
「……スプリングサンシャイン イン マイ ハート……なんだこれ」
 春日が簡易ケースにかかれたその名前を読み上げている最中に八重はそれを横取り、春日のプレイしていたゲーム機に入れる。
 やはり自作ゲームらしく、オープニングも何もないままスタート画面になった。
 ゲーム好きならば簡単な自作ゲームくらいならば作れるようになる。まして、ゲーム会社に勤めれば知識も機械も手に入るので、少し高度なものも個人で作成可能だ。
「まさかこれ、お前がつくったのか」
 春日が問い掛けても、今度は八重がだんまりを決め込んでいる。
 仕方なく目の前にあるコントローラーを握り、スタートボタンを押した。
 スプリングなんたらという名前のわりに最初の画面は雪景色から始まった。ノベルズのようにプレイヤーは選択肢を決めるのみで、淡々とゲームが進んでいく形のゲームだ。
 雪景色がだんだんと消え、場所が室内へと変わる。
「“ここはゲーム製作を手がける会社『NANA』”……?」
 下に出てきた文字を春日は思わず驚いて読み上げ、後ろで腕組をしている八重を見るが、八重は何も言わない。
 黙ってやれ……ということなのだろうか。
 春日は身体を画面に少し近づけると、続きを始めた。
 丸と四角で出来たような簡単なキャラクターたちが世話しなく画面の中を動いている。確かに、ここは『NANA』だ。写真を使っているわけじゃないし、たぶん八重の記憶のみでつくったのだろうから間違いはあるけれど、この画面の中に存在する会社は確かに春日の勤めていた事務所の一角だ。
 カレンダーを見ると一月を過ぎた頃。丁度八重とであった頃だ。
「“製作部門は締め切りに終われ日々忙しく仕事をしていた”」
 そう。あの時新しいロールプレイングの案がまとまらず、それなのに締め切りは迫る一方で春日ともどもみんな焦っていた。
 そんな画面に一際明るい髪の持ち主がテクテクと歩いてきた。
“春日:みんながんばろう!もっといい物が出来るはずだ”
「俺……」
 画面の中でちょこちょこ動く自分に触れる。
 春日は出てきたが、どう見ても春日は主人公ではない。
 だとしたら……主人公は…。
“そんな時、春日の前に唐突に現われた八重”
 やはり、主人公は八重だ。
 でも、どうして自分を主人公なんかに……。
 質問したい事は山ほどあったけれど、八重は答えそうにないから春日は黙ってゲームを続ける。八重が何も言わないっていうことは、これをやれば答えが出るということだろう。
“八重:俺は協力なんてするつもりはない”
“八重:みんな低脳過ぎる。あの海老名春日だって本当にあのゲームを作った人なのか!?”
 主人公八重の昔の八重らしい台詞に思わず春日は吹き出して笑う。
 これを八重が作ったのだと思うと、さらにおかしかった。
「お前って自分をよくわかってたんだな、意外と」
 ゲームは本当にあの怒涛の数ヶ月を模写していた。
 “春日が試行室に無理やり連れて行こうとしています。着いていきますか?行きませんか?”
 思い出すように春日はイエスを選択する。
 そういえば無理やりのような形で八重を連れて行ったけれど、八重が本当に嫌がっていたらそんなことは出来なかったはずだ。
 自分より体格も良くて、背も高いから、振りほどこうと思えば春日の手を解けたはずだ。
 八重がもしこの選択肢を瞬時に選んでいなければ、今の自分もなかったのかもしれないと思うと春日は不思議な気持ちだった。
“八重:(この人はなんて楽しそうにゲームを作るんだろう)”
 ゲームの中の八重が少しずつ横暴な性格から今の八重へと変わっていく。
“八重:(協力して作ってみよう)”
 八重が俺の言葉に……心を動かされてた?
 八重が変わってきたのって……俺のせいでもあったのか。
 今では質問したくても気恥ずかしくて後ろすら向けない。赤くなった耳がばれなければいいと思いながら、春日はプレイする。
“春日が社長室に呼び出される”
「あ……」
 そう、あの頃の春日は上司と部下の繋ぎ目のような位置にいて、上から呼び出されることはしばしばだった。
 そしてこの日付け、この時間帯といえば、あの悪魔の宣告をされた日だ。
 八重:(何か悪い予感がする……今あの人を一人にしちゃいけない)
 主人公八重は、上司から連絡を貰って上に行く春日のあとを見ていたらしい。こっそりと後をつけ始めた。
 そうか、だからあの時……八重はあそこにいたんだ。
 俺が死刑宣告みたいなことをされて落ち込んで出てきたあの時。
社長代理:このまま製作が遅れるようならリストラをする人を決めて欲しい。
 画面の中の春日は笑いもしなければ怒りもしないけれど、それを見た春日は昔の記憶が蘇り今でも腹がたつ。
 そして落ち込んだ春日を見た、八重は思わず春日を抱きしめた。
八重:負けんなよ……っ。
 そう、あの時あの八重の言葉で春日がどれほど救われたか知れない。
 八重:(泣かないで)
「……っ」
 八重の心の部分が露にされるようで、春日はドキンとした。
 どうして八重はあのとき自分を抱きしめたんだろう。
 考えた事もなかった。けれど、今なら思う。
人は、意味もなく人を抱きしめるだろうか。
 八重はそういう人物じゃないだろう。
 どんな気持ちで、俺を抱きしめていたんだろう。悔しくて、泣きたくて、どうしようもない俺をあの時、どうして抱きしめたんだろう。
 八重:(この人の為に何かしたい……っ)
 ゲーム画面のキャラクターは素直に気持ちを表す。
 八重:(海老名春日を二度と泣かせはしない)
 春日の知らなかった八重の本心が明らかになる。
 八重:俺に、託してくれないか
 画面は、知らないマンションの中へと変わった。
 ここはどこだろう。
 簡単なシステムで作られているから、家具やベッドが淡々と置いてあるだけで判別がつくもつかないもないだろうけれど、ここは春日の知らない場所だ。
 しかし、そこに現われたのが八重なのだから、ここは八重の部屋なのだろう。
 小さな八重は何度も何度も頭を抱え、コーヒーを飲み、企画書を作っていく。部屋にかけられた時計がリアルで、ゆっくり進んで欲しいのに無情にも時間は流れていってしまう。
 途中何度も眠りそうになりながら、『努力』という言葉にそれまで疎そうだったエリート八重が何度も何度も自分を叱咤し企画書を仕上げていく。
 一人で数時間でつくれるものではない。
誰かをリストラしなくてはいけないと上から言われた春日にとって、あれは春日の希望の光となった。
 「誰かのために何かがしたいと思ったとき、人は自分の持っている力の百二十パーセントを出すことができる」
 それまで黙っていた八重が静かにそう言った。
「俺は最低で最悪な男だったけれど、あんたの言葉で変われた」
「八重……」
「人に影響受けるなんてまっぴらだと思ってたのに、な」
 八重は笑いながら画面の中のラストの笑顔の春日を見る。
「これは俺の心の中の春日だ」
 八重はイスから静かに立ち上がると、春日に口付けした。
 そっと触れるだけのキス。
 けれど、まるで溶けてしまいそうなキスだった。
「好きでもない人を抱きしめたり、好きでもない人を助けたり、ましてキスしたりなんかしないよ、俺は」
 八重は置いてあった紙袋とお盆を持ち上げると、まるでなんでもないことのように告げた。
「これが俺の恋愛だよ」
「……っ」
 八重はそれだけ言うと踵を返し出て行ってしまった。
 一人になった試行室で春日は、イスにすわったっま動けずに居る。
 過去に何か恋愛に関して臆病になる何かがあったわけじゃない。ただ、春日は自分で思っている以上に子供だった。
 『好きです』『付き合ってください』の後に何がくるかなんて考えた事がなかった。
 女と一緒にいるよりも、ゲームを作っているほうが楽しかった。
 だから、考えた事なんてなかった。
 八重の気持ちを。八重の真実を。八重が……なんで自分にキスするのかを。
 いや、わかっていて避けていたのかもしれない。
 八重が何も言ってくれないのを、良いように解釈して逃げていたのかもしれない。
 自分で気づかないうちに恋愛の最中にいたというのに。
「八重っ……」
 慌てて八重を追いかけようと試行室のドアを開けると、そこに大きな紙袋を見つける。
 紙袋には大きな文字で春日へとかかれている。
 春日はそれを中に持ち寄り、こっそりと開く。
「うわっ、な、あっ」
 ずっしりと重いその紙袋に入っていたのは、小さな小さな十円の四角形のチョコの山。
 思わず床に落として散らかしてしまい、春日はプッと笑う。
「なんだよこれーっ」
 軽く三百は越えているだろう小さなチョコの山に埋もれながら、春日は腹を抱えて笑う。
 目の前にあった苺味のチョコを食べようと包み紙を剥ぐと紙の中に何かがことに気付く。
「『好き』……『愛してる』……何、これ」
 苺チョコを口に入れる前に、春日は別の包み紙を無造作にあけていく。
 それには全てに八重の春日に対するメッセージがかかれていた。
 好き、愛してる、君が好き……。
 ストレートで飾っていないその言葉が、チョコレートが口の中で溶ける様に全身に染み渡っていく。
 恋愛を避けていた。
 恋愛ってなんなのかわからなかったから。
 八重は良く春日のことを子供だ、オモチャみたいだというけれど、本当にそうだったかもしれない。
 一歩進のが怖かっただけなのかもしれない。
「……八重のあほぉ……っ」
 恋愛ゲームを作らせようとしたり、チョコレートなんてくれたり、キスなんてして、そのまま置いていくなんて。
 どうしろというんだろう。
 この小さな胸で膨らみ始めた思いをどう処理しろと言うんだろう。
 攻略本のないこの状況で、どうハッピーエンドに持っていけっていうんだろう。
 チョコレートを一つ一つ口に入れながら、春日はどんどん頭を抱えていく。
 「あ〜……もう、ホントわけわかんねぇよっ」
 自分を周り囲むごみ同然の包み紙がどうしても捨てられなくて、春日は全ての紙をポケットに詰めこみ、再びゲーム画面に向かった。


リーマン。 くっきり。 小説。

バレンタイン用に書き上げました。
すいません、変なところで終わってますね。続編があります。
くっきり オトナにおもちゃ。
ホワイトデー用に書き上げました。
はい、「チョコ」と「クッキー」に題名をかけてます。(笑)

感想お待ちしてます〜。


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