−3− | 最初のぺぇじへ。 | 小説のぺぃじ。

● 水曜日の秘密のお仕事 --- -4・ラスト- ●

桜のお店に厄介になるようになって一週間。
 時緒様と暮し始めてから始めて、時緒様と一緒にいなかった一週間だった。
 もちろん、会社にも顔を出していない。本当は、迷惑がかかると思って一回は顔を出さなきゃ駄目だとは思ったのだけれど、スーツもなく、その上、竜馬には会わせる顔がなかった。
「さぁ、霞。ちゃんと準備できた?」
 真っ赤なイブニングドレスに身を包み、真っ黒な長い髪をアップにさせ、金銀ダイヤを身に纏った桜が、カーテンの向こうから顔をだした。
 霞は、自分のあまりに幼いような体つきに苦笑しながら、準備されたパーティ用の真っ黒いスーツを着てみせた。
「七五三みたいです…よね」
「そんな事ないわ、すご〜く素敵」
 普段、着るものに無頓着な霞の為に桜が選んできたスーツは、霞の真っ白い肌を際立たせるかのような漆黒で。すごく霞に似合っていた。
「桜さんこそ……すごく、すごく綺麗です」
 正直な感想を述べると、桜はフフッと笑った。
 本当に今日はいつもにまして、綺麗だ。
「じゃあ、後は頭かしら」
「えぇ!いいですよ、僕……」
「駄〜目!今日は特別なのよ、パーティなんだから。ほら、鏡の前に座った、座った」
「あの、パーティって何の……」
「いいから、早く。時間なくなっちゃうわ」
「は、はい……」
 霞はいつになく強引な桜の行動の意味が掴めず、大人しく鏡の前の席に座った。
 あの日、霞が逃げ込んできた日、桜が言った言葉は一つ。
『1週間後のパーティに一緒に出席しよう』
 それだけだった。
 何のパーティだとか、誰が主催なのか、とかまったく。
 もしかして、時緒様も出席するのかな。だから、誘ってくれたの……かな。
 でも、今時緒様に会っても、僕は……。
「きゃ〜!トキオちゃんも、ママも素敵〜!どっか行くんだっけ?」
「本当可愛いわ!ママったら、どこで作ったのそのドレス。まるでお姫様みたい」
「いやだ、トキオちゃんだって負けてないわよ。まるで王子様っ!」
 店を通って外に出ようとすると、店の従業員の子たちがばっちり決めた二人を見て歓声をあげる。
 こういうのになれていない霞は、はにかむように笑い、桜の陰に隠れた。
「ほらほら、サボってないで。みんなはお店宜しくね」
「はーい!いってらっしゃい」
 お店のみんなに見送られ、僕と桜さんは店を出た。
 お店を出てから、一言もしゃべらずにタクシーに乗らされる。桜は行き先がわからないように、こっそりと運転手に告げた。
 霞はどこに連れていかれるのかわからず、桜を何度も覗き見たけれど、そのたびに桜はただ悲しそうに笑うだけだった。
「ここって……」
 タクシーから降りて、目に入るのは一つ。
「日本総合第一ホテル。君島家の所有のホテルね。相変らず大きい事」
 皮肉そうに桜はホテルの全貌を見て呟く。
 知ってます。とてもよく知ってます。
 だって、僕、君島家の持ち物は全部……知ってるから。
 でも、ここは……。
「今日のパーティって……」
「行きましょ」
「あ、あの……桜さんっ」
 女性側の立場にある桜に手を取られ、霞はひっぱられるようにしてホテルに入っていく。
 霞の足はだんだんと重たくなる。
 だって、ここは……。
 ここは、パーティなんて呼べる小さな催しがされる場所じゃないんです。もっと、こう大きな、そう!それこそ総理大臣の誕生日会や、世界のとてもお偉い方たちをおもてなししたりするようなところなんです。
 なんで……なんでそんなところに、僕が…。
 君島家に連れてこられてからも、霞はこういったパーティには出席した事がなかった。パーティという名で、出席した事があるのは、安斉の会社関係のそれくらいだった。
 ボーイを顔パスで通るところ見ると、桜はこういったパーティによく出席しているようだった。
 霞は人の多い場所を好まない。
 でもここは、テレビでも見たことのあるような人達の高笑いが嫌でも耳には入ってきて、落ちつかない。
 一体、今日ここで何があるっていうの…?
 帰りたい、帰りたい……。
 でも、僕に……もう家なんて…。
「霞っ!?」
 うるさい音の中から、懐かしい声が聞こえた。
「りょ、竜馬…?」
「あ〜……何、あの人も参加してたわけ」
 桜が嫌そうに目を細める。
 確かにあれは、安斉竜馬だ。
 竜馬は人ごみを掻き分けるようにして、霞と桜のテーブルにまでかけてきて、横についた。―――と言っても、今回のパーティはバフェットスタイルで、イスはないから、事実上隣にきても別に何があるわけじゃない。
 ただ、霞にとって、竜馬は1週間ぶりの再開で、あの夜以来、顔を合わせていなかった人の一人だ。
 気まずくて顔をうなだれると、桜が竜馬と霞の間に入った。
「何のご用でしょうか、私が先にうかがいます」
 小奇麗な扇子を取り出し、口を隠しながら、桜がさも嫌そうに話しかけた。
 少し息を切らしている竜馬は眉をひそめながら、桜ではなく霞に話しかけた。
「霞、お前一体どうしてここに……。それに、お前会社こないし、心配してたんだぞ」
 あの日の事には触れず、竜馬は霞に問いただす。
「竜馬……あの……俺…」
「ちょっと、あんた。急に話しかけてきて失礼ね。本当にお呼ばれしてんのかしら」
 桜は値踏みするように竜馬を下から上まで見た。
 竜馬はムッとした顔で、スーツをただし、目の前の人に一礼する。
 あの夜会っていなかったら、女性と思って仕方がないだろうが、男だとわかっている人で、しかも今霞と一緒にいるところ見て、礼儀も何もあったもんじゃない、と言った状況なのだ。
「俺は霞に用があるんですけど」
 挨拶が済んでも、霞を庇って表に出さない桜に、竜馬がイライラしたように聞く。
「この子はあんたに用なんてないわよ。……どんなことがあったか知らないけど、簡単に手放してしまうようなあんたには、ね」
「桜さんっ!」
 挑発するような言いぐさに、霞は桜の腕を掴んで止めに入る。
「俺は、霞を手放したわけじゃないっ!」
「じゃあ、どうして霞を探しにこなかったわけ?」
「それは……」
「桜さんっ……いいですっ!僕いいですから。竜馬もお願い、落ちついて……」
 人々の視線が集まって来たのをを感じ、霞が静止に入った瞬間、会場内の電気も一機に落ちた。
「レディースアンドジェントルマン!今宵はよくぞご出席いただきました」
 キーンとした機械音の後、司会者の声が広いホールいっぱいに聞こえてきた。
「では、さっそくながら、今宵の主役に登場願いましょう。ここ日本総合第一ホテルの創始者であり、日本を支える富豪、君島藤緒理事と、そのお孫さんに当たる君島時緒氏です」
 あ……。
 思わず漏れた霞の声に、桜と竜馬は一気に霞を見てしまった。
 時雄様だ。
 会いたくて、会いたくて、会いたくて仕方なかった相手がそこにいる。霞は思わず伸ばしそうになった右手を左手でぎゅっと抑えた。
 たとえ、手を伸ばしたって、霞がいる場所からステージまで何十メートルとあるから、届くわけでも、見えるわけでもないのだけれど、それでも、手を伸ばさずにはいられなかった。
「あいつ……」
 竜馬は、ステージ上の人物と、霞を交互に見て、囁く。
「今日、誕生日……だったんです……ね」
 思い出したように霞が呟く。
 そう、今日は、時緒様のお誕生日だ。
 いつもは随分とラフな格好でいらっしゃるから、なんだか壇上のキリリとスーツに身を包んだ時緒様はいつもより大人びて見えた。
 遠い、遠い存在。
 僕は時緒様を見てるけれど、時緒様は僕なんて目にも入ってないんでしょうね。
 そう思うと、胸がぎゅって苦しくなった。
「霞……大丈夫?」
 急に前かがみになった僕に、桜さんが優しく声をかけてくれた。
 でも、僕……もう、ここに居たくないです。時緒様を見て居たくないんです。
 だって、諦められなくなっちゃうから……。
「僕、も……」
 霞がその名前の通り、消えそうな声で桜に助けを求めようとした瞬間、再びマイクの音が跳ねた。
「霞っ!」
 その名前は、マイクを通して会場内に響いた。
「ぇ」
 霞の小さな口から、思わず声が漏れた。
 ホールに集まっていた世界各国の人々が、なんだなんだと騒ぎ出した。それはもちろん、藤緒の耳にも届いていた。
 それはそうですよね、だって、藤緒様は時緒様の隣にいらっしゃったんですから。
「時緒……お前、何を言って」
「霞が居るっ」
 時緒様はマイクを投げ出すと、一メートル以上床から高くなっていたステージを軽々とジャンプで飛び降りると、まっすぐに僕たちのいるテーブルへと進み歩んできた。
 どうしよう……。
 辺りを見回しても、視線は僕らにだけ集まって居るようで、逃げ道などない。
 どうしよう、どうしよう!
「僕……」
 出入り口を目の端に捕らえた僕は、そっちの方に逃げようとしたんだけど、強い力にそれを止められた。
「霞くん、駄目。あんたはこうするのが一番幸せなんだから」
「桜さん……」
「霞っ」
 僕の桜さんに掴まれていない方の腕が、強く握られた。
「ぁ……」
 時緒様だ。
 僕は一瞬でわかってしまったんです。
 女々しいかもしれないですけど、僕の耳も、腕も、頭も、顔も、全神経で、時緒様を記憶しているから。
 五感なんて目じゃない。もう、空気全部でわかるんです。時緒様って人が。
 それほど、それほど、僕の中で時緒様は偉大で……。
「霞っ」
 今まで感じた事のない大きな強い暖かい力に引き寄せられ、僕はその力を放った人の胸の中に包まれる。
 反対の腕は確かに桜さんに掴まれていたはずなのに、その時には離された感覚すらなかった。
 そのときはもう……、時緒様しか感じる事が出来なくて。
「霞っ……霞っ」
「時緒様……お放し下さい……お願いです…いろんな方が見ておりますっ!」
 僕は痛いくらいに突き刺さる視線に気付き、必死にその胸を突き放そうとする。
 だけど、だけど……僕は、その温もりがとても恋しかったから。
 大好きだったから、こうなってしまうと、本気では拒めないんです。どうしても。
 藤緒様も見ている……とわかっていても。
「霞、今までどこにいの。探したんだ、霞の会社も何度も行って」
 そう言いながら、竜馬をギラリと睨む。
 な、なるほど……。しょっちゅう時緒様が会社を訪問してたから、竜馬は桜さんのお店に来る事が出来なかったのかぁ…。
 な、納得。
「あの、僕……僕、僕は……桜さんのお店に……」
「桜?」
 時緒様は僕を抱きしめたまま、怖い顔と声で聞き返す。
 時緒様、本当に子供みたいなんですから……。
「私ですよ、お初にお目にかかりますね。桜です」
 桜さんは綺麗な足の見えるスリットをさらっと揺らして、時緒様に挨拶をした。
 相変らず綺麗で、僕はついつい桜さんに見入ってしまっていると、時緒様が相変らずな態度で、返答する。
「男か……」
「ええ、そうですけど」
 二人とも何気なく会話を続けていらっしゃるけど、僕は一人驚いてしまった。
 だって、だって、ここは桜さんの経営する男の方が女の方の格好をするお店の中じゃないんですよ?そういう場所でみなきゃ、桜さんを男だってすぐにわかる人って、いないって思ってたんですから、僕。
 本当、それくらお綺麗なんですよ!
「霞を食ってないだろう、な」
「時緒様っ!?」
 な、何をおっしゃってるんですかっ。
「さぁ、どうでしょう。男なら……据え膳食わないでいられるかな。彼を前にして」
「桜さんっ!」
 桜さんまで!一体どうしたっていうんですかぁ!
 それに、また男言葉に戻ってます、ってばぁ。
「彼が水曜日、どこで何を何の為にしていたかわからない君には、霞は返せないよ」
「何っ?」
「ぁっ……ぁあ!」
 桜さんは時緒様にそういうと、僕を時緒様の腕の中から引っ張り出し、今度は桜さんの胸の中に。
 桜さんって、すっごく綺麗なんですけど、これって素の綺麗なんです。
 だから手術とか全然してらっしゃらないいので、抱きかかえられた胸が女性の胸のようじゃなくて、しっかりと男性の厚い胸の感じで、霞は少しどきどきしてしまう。
「霞は、何て言って家に帰るのを送らせていたのかしらないけど、彼は俺の店で働いていたんだ。水曜日は、ね」
「店って……霞、本当に…?」
「……は、……はい…」
「俺以外の男に、まさか本当に足を開いていたっていうの?」
 皮肉たっぷりの時緒様の視線が僕を詰る。
「ち、違いますっ……そ、そんなっ……」
 みんなのいる前でそんな発言をされて、僕は慌てて否定する。
「てめぇ……霞を、霞をなんだと…」
 それまで黙っていた竜馬が食って掛かるように時緒様の胸ぐらを掴んだ。
「竜馬……いい…から」
「でも、霞!こいつは……」
「大丈夫、だから」
 霞が切なそうに微笑めば、それを見た全ての男達が、胸を揺るがした。
「霞」
 時緒様の声がして、僕は慌てて時緒様を見直した。
「俺は、霞が言わないと信じないし、霞が否定しないと肯定するよ」
「……はい」
 僕がこの口で言わなきゃ駄目って事なんですね。
 僕が自分で、自分の身分を明かにしなきゃ、いけないんですね。
「あの、僕は……」
「時緒っ!お前……、それに霞……お前もなんでここに」
 時緒様よりもずっとお年を召しているのに、すごく活動的でいらっしゃって、このお年でも世界を飛びまわっている、そのお人の声がして、僕は完全に桜さんの腕の中で畏縮した。
 明かにわかる僕の挙動不審ぶりに、桜さんは強く僕を抱きしめてくださった。
「俺の霞がこんな所にいるから、迎えに来たんだ」
 しれっとして言う時緒様の、その態度にいつも感心させられます。
 だって、いくら時緒様は身内でも、僕なら藤緒様に口答えなどできないから。
「霞、お前は……お前は自分の身分という物を忘れたのかっ」
 藤緒様の言葉で、僕は十二時の過ぎたシンデレラのような気分になる。
 やっぱり、僕は今まで少し贅沢になりすぎていたんです。
 もしかして、もしかして時緒様と心通じ合う事ができるなどと。
「あ……ぼ、僕…」
 かたかたと小さい体を震わせ、霞は桜の腕から滑り落ちる。
 床に座りこみ、藤緒に頭を下げる。
「も、申し訳ありま……せん」
 綺麗に着飾られた自分の姿も、全てが汚らしく思えてくる。
 所詮、所詮自分は愛玩人形なのに…!
「霞、そんな事しなくていい。爺になんて頭を下げるな」
 普段、時緒の言う事に霞は従順だ。
 それなのに、霞は時緒の言葉に少しも反応せず、藤緒に頭を下げ続けた。
「霞っ」
 今度は少しだけ強く言ったのに、やはり霞は頭を上げなかった。
 藤緒は、霞の全てを握る、正式な買主なのだ。
 霞が、もともとが従順で大人しい霞が、逆らえるはずなどない。まして今など、無一文の上、住む場所すらないそんな生活をしている自分なのだ。
「ふ……良い子だ。霞」
「どういうこと……だ」
 時緒は自分よりも背の低い藤緒を、見下すように睨みつけた。
「ああ、言わなかったかな、お前には、霞は」
「藤緒様っ」
 霞はその最後の言葉を必死に遮る。しかし、藤緒はそんな霞のほうなど見向きもせず、時緒に真実を告げる。
「この子は私が買ってきた子だからの」
 八十過ぎているはずなのに、藤緒様はその結構そうな歯を覗かせて笑った。
「ぁ……っ」
 気づかれてしまった。
 わかられてしまった。
 僕が、僕がどんなに浅ましい存在かを。
「霞が……買われてきた、だと」
 竜馬の信じられないという声が聞こえる。
 信じられないのも無理は無いよね、この平成のご時世、子供を売る親も、買う人だってそうそういないんだから。
 人身売買は禁止されてるし。
 そう、僕は違法な異物なんだ。
 僕は、時雄様のような未来ある方を愛してはいけないんです。だって、だって……買われてきた身なのですから。
 涙が込み上げてくる。
 もう、時雄様に二度と顔など見せられないっ!
 霞は桜の足元から立ち去ろうと、力の入らない足に懇親の力をこめて立ち上がったとき、時緒は何気なく言った。
「知ってる」
 ……ぇ?
 僕は思わず振り返って、時雄様を見てしまった。
 それは、藤緒様も、みんなも一緒だった。
「あの屋敷に使用人を置きすぎるのも問題なんだよね。みんな口が軽いんだもんね」
 霞が買われてきた、と言う事実は、どうやら古株の方々には当然の事実だったらしい。
 藤緒様は最後の砦を失われたかのように、珍しく下唇を噛み、悔しさを露にする。
「霞」
 いきなり時雄様は話される相手を僕に変えた。
「……はい」
 僕は時雄様に全てがばれてしまった事実を受け止めようと、小さな胸いっぱいに空気を吸い込む。
「霞はいつもどこで何をしていたのかな」
 僕はいつも時雄様の傍にいました。
 小さいときからそれはずっと変わりません。
 けれど、大きくなるにつれ、時雄様の未来が見えてしまったから。
 時雄様はいずれ、あの大きな家と会社、このホテルだって、全て、全てを継がなくちゃいけないから……。
「僕は……僕は、自分ほど時雄様に不釣合いな存在はいないって、わかってました」
 なぜなら、この身は穢れているから。
 売られる身になってしまうほど、禍禍しいものだから。
「でも、僕は……」
 胸が痛い。耳が痛い。
 上手く……言葉が出ないんです。
 僕が瞳を閉じて、涙を堪えると、その頬を優しく時雄様が包む。
 目を閉じていてもわかるんです。だって、僕の愛しい人ですから。
「俺が好き……だった?」
 時雄様が優しく聞いてくださる。
 僕は瞼を開き、大きな手に頭をゆだねてコクンと頷く。
「時雄様ののことが好きです……今でも……」 
 未来も、過去も全て、全てが愛しいです。
「今、ここで時雄様を見ていられる、この瞬間も……好きで、好きでしょうがないんです」
「うん、知ってるよ」
 時雄様の手、温度、香りが感じられて、僕は幸せだって思ってしまったんです。
「でも……でも、僕はまだ時雄様に買われたお人形だって言うことも僕は知ってましたから、それを脱したくて、二千万円貯めようと……桜さんのお店で働かせていただいたんです。水曜日だけ」
 時雄様は、また桜さんを厳しく睨みつける。
「風俗店、なのか」
 桜は、軽蔑するように時雄様を見ると、鼻で笑った。
「俺は霞が大好きなのに、他の男に霞を触らせる事させるわけないだろ」
 大好き、と言う言葉に時雄はピクッとこめかみを動かす。
「……じゃあ、キスーマークはなんだったんだ……この前の」
 それが、古畑さんのつけたキスマークであることは、桜にも竜馬にも霞にも明確だった。
「あ、あのそれは……っ」
 霞が弁解しようとした口を、竜馬が塞いだ。
「俺がつけたんだよ。霞が好きで、好きで仕方なくて、な」
「竜……馬」
 霞が小さく名前を呼べば、竜馬は優しく笑った。
 これ以上、話がややこしくならないようにしてくれたのだ。竜馬は。
「……霞、本当?」
 時雄様に最終申告のように聞かれ、僕は迷わず、はい、と囁く。
 もし、これから普通に生きていたら、僕は古畑さんと出会うことは無いし、例え出会ってしまっても、古畑さんの方から、あの日の事実を打ち明けられることはないだろうから。
 あの日のことは胸に秘めておけばいいのだ。
「じゃあ、あのお金は本当に、逃走費用を貯めていたわけじゃ、ないんだね」
 僕は時雄様の目を見つめ、手に手を重ねる。
「僕が一番辛いのは、時雄様と一緒に居られないことなんです。逃げるなんて……一生いたしません」
 そういうと、ぎゅっと抱きしめられた。
 時雄様の温もりが僕を包んで、僕は自然と涙が込み上げてくる。
 ああ、時雄様だ……って。
「ふん……忘れるな!時雄」
 そんな幸せな雰囲気を壊したのは、それまで黙っていた藤緒様だ。
 藤緒様はいつも持ち歩いておいでなのか、胸ポケットから僕の両親と結んだ契約書を僕と時雄様の前に突き出した。
 もちろん、すぐに時雄様が奪ってしまわれないような位置は保って。
「これを見ろ。その男は、二千万で私に買われた貧しい子供だっ!いっとくが―――」
「……二千万、ね」
 時雄様はそうおっしゃると、僕を抱きしめていた腕を出来るだけゆっくり外し、ご自分のスーツの胸ポケットに手を差し入れた。
「爺、君島家の株って今一株いくらだかしってる?」
「それが何だというんだ、1912円に決まっているだろう」
「そう……だけど」
「?」
「先週の水曜日の晩、ある男の策略で、一時それが190円まで下落したんだけど……知らないんだ?」
 その発言にみんな目を見張った。
 まさか、そんなことがあるわけない。
 そんなに下落していたら、会社はおかしくなっているはずだし、第一気づかないわけがない。
 その危険さがわからないほど、馬鹿でもない霞は、竜馬や桜たちと同じくらい目を見張って時雄を見た。
 でも、一番驚いていらっしゃったのは、藤緒様のようでしたけれど。
「気づかないのも無理ないけど。たった……十分間だけだったから」
 十分間の陰謀。
 そんなのが出来るのなんて……。
 僕の知る限り、一人しかいらっしゃらないんですけど。
「でも、たった十分でも、莫大に盛っている株を手放すやつもいれば、大量に買い取ったやつもいるって……こと」
 時雄様は、ポケットに入れていた手を差し出す。
 その中には、株の所持数が書かれていた。
「総株数の四分の一を独占されると、買収される恐れがあるんだっけ?」
「時雄……お前、まさか……」
 藤緒様がわなわなと手を紙に差し出す。
 そう、その紙には……。
「君島家の総株数百十万四千九百二十のうち、百十万三千二百十所有しているのは誰だろう、爺」
「時緒……まさか、なんて事だ……」
 藤緒様の手中から、一枚の紙がハラリと落ちた。
 そう、確かにその紙には、時雄様が大株主である証拠がかかれていたのだ。
 まさか、そんな信じられない。
 まさか、まさかそんなっ!
 そんな事って!
 僕が水曜日、必死に時緒様と対等になる為に桜さんの店で働いていたとき、時緒様も策略を練っていらっしゃった・・・・・・?
 秘密の水曜日・・・・・・に。
「時緒様……」
 僕が時雄様を見上げると、時緒様はしてやったりと満面の笑みで笑っておいでで。
「これで、霞はあんたのもんじゃないはずだ」
 君島家の大株主に、大総統といえども、文句がいえるはずがない。
 藤緒様は奥歯をキリッと噛むと、怒りに震える肩を翻し、会場外へと出て行った。
 あまりの衝撃に、会場内の人たちは唖然と僕達を見守っていらっしゃる。
 そりゃそうです。いきなり今日の主役がステージから降りてくるわ、男の僕を取り囲むような会話が繰り広げられるわ、実はお孫さんの時雄様が大株主だという事実が明らかになったり……。
 僕だって、僕だってついていけない……。
「霞」
 あ、時緒様が呼んでらっしゃる。
 僕は、この呼びかけに答えても……よろしいんでしょうか。
「霞」
 再び呼ばれ、僕は震える声で答える。
「はい、時緒様」
 微笑む時緒様の差し出された手に、僕は手を重ねた。
 その瞬間……。
「うわっ、あ、時緒様っ」
 体が宙をぐるりと周り、いつのまにか足が床についていない。
「え、時緒様っ!?」
「霞君っ」
「霞!」
 竜馬と桜さんの叫び声が、時緒様を咎めるけど。
 時緒様ってば、僕をお姫様抱っこしたまま、呆然とするお客様を残し、会場を出てしまったのです……。
「あ、あの、時緒様一体どちらへ……っ」
 こわごわと聞いてみると、時緒様は既にエレベーターのスイッチを押してしまわれたところでした。
「霞といちゃいちゃできる場所がいいな」
 いちゃいちゃって……時緒様ぁ!
「一週間、霞を抱けなかったから、欲求不満でどうにかなりそうだったよ」
「時緒様……」
 たった一週間離れていただけで、こうって……。
「愛してるよ、霞」
 あ……。
 このセリフに今なら、今なら僕は……。
 心のそこから返事ができる……。
「あの、僕……僕も……」
 チン!
 エレベーターが六十階に止まった。
 僕は何故だかドキドキしてしまって、思わず小さく驚きの声をあげる。
 だって、だって……今、僕……とっても大事なことを言おうと思ったのに…。
「……さぁ、霞。あけて」
「時緒様、ここって……」
 あの、よく言うスイートルームなんじゃ……。
「早く」
「は、はい」
 急かされ金のノブを掴み、まわす。
 ずっしりと重たい印象をうけるそのドアは、やっぱり重たくて、抱えられているままじゃ力が上手く入らなくて、時緒様にも押して頂いて、ようやく開く。
「わ……」
 そこはやっぱり最上階のスイートルームで。
 今まで僕が泊まったことのあるホテルなんかとは全然違っていた。
 広い、広い!リビングがついているホテルなんてはじめて見ましたぁ。
 田舎ものみたいにあたりをきょろきょろしちゃう僕を黙って抱えて、時緒様は奥の寝室に入っていく。
「ぁ……っ」
 そこには、あの日、あの夜、時緒様が持ってらしたウェディングドレスがキングサイズのベッドにかかっていた。
 時緒様は、僕をベッドに優しく降ろすと、そのドレスを持ち上げた。
「俺ね、霞が逃げるわけにお金を貯めていない事くらい、頭ではちゃんと理解してたよ」
「時緒様……」
「だって、もし本当に俺が霞を疑ってたら、霞は間違いなく俺に殺されてるよ」
 恐ろしいことも、時緒様はサラリといってしまう。
 本当に……冗談ですよね。
 そんなこと、思いもしませんけど。
「でもさ、やっぱり霞が俺に黙って何かしてるって思うと、不安になるんだ、俺だって」
「すみません、でした」
「……キスマークなんてつけて帰ってくるし」
「すみま……せんっ、あの、あれは……」
 時緒様は無言でウェディングを僕の身体にあて、着るよう目で促した。
 霞は、時緒を目を気にしつつ、後ろを向くと、着ていたスーツを脱ぐ。
 タイを取り、肌蹴たワイシャツの中から出てきた霞の背中には、キスマークどころか、傷一つ無い。
 時緒はそれを見て、胸をなでおろしていたなんて、ウェディングドレス片手に着方を考えていた霞には、知る由も無い。
「それに、俺が……」
「?」
 時雄様……?
「……俺が、霞を救いたかったんだ……」
「僕、を?」
「だって、俺は霞を好きなんだから。霞一人が悩むなんて、そんなの嫌なんだよ?」
 僕だって……僕だって嫌です。
 時雄様が悩んでいらして、それなのに僕が何も出来なかったら……。
 同じ、なんですね。
 僕も、時雄様も。
 身分や、地位や、年齢的にはまったく違う方だけど、思ってることは一緒なんですね。
 霞はほんわかしてくる気持ちを胸に押さえ込みながら、ドレスを纏い、背中を向けていた時雄様に、向き直す。
「……」
 何の反応もない時緒に、霞は戸惑う。
 や、やっぱり……僕なんかが着ても……。
「あの、あの……時雄様?」
 近くに駆け寄り、上目遣いで覗き込めば、時雄様と出会ってから初めて見る時雄様の顔がそこにはあった。
「霞……」
「はい?」
 真っ赤になって、それを隠そうと必死で。
 いつもの、しゃんとしていてお年以上にしっかりしていて、大人な態度の時雄様じゃない。
 なんていうか、歳相応というか……。
 こう……新鮮な……感じ。
「可愛すぎ……」
 そう呟くと、赤くなった顔を隠すように覆っていた大きな手を外し、時雄様は僕を抱き込みながら、ベッドに倒れこむ。
「ぇっ!あ、ちょ……時雄様、せっかくのドレスがぁっ」
「いいよ、もともとこの為のものだったんだし……でも、霞すごく似合ってるよ」
「と、時雄様ぁ……」
 男として、ウェディングドレスが似合っている、と言われても、それは微妙なんですけど……。
 でも、やっぱり、時雄様に言われると、嬉しくなってしまうんです。
「ん……」
唇に優しく唇を落とされる。
 ちゅ、と言う軽い音がして、少し唇が離れ、目が合うと、なんだかいつもしていたことなのに、照れくさくなってしまって。
 僕が顔を背ければ、今度は首筋に時雄様の吐息がかかり、唇の温度が近づいてくる。
「っ……あっ……」
「霞……愛してるよ」
 一番よく聞こえる場所でそう囁かれて、僕は嬉しさの絶頂に浸る。
 愛しているって言われるのはもちろん嬉しいけど、そうじゃなくて、今度は僕の正直な気持ちを打ち明けられるから。
 僕も、時雄様が大好きです。時雄様。
「僕も……愛して…ます……」
 霞が喘ぐ声の隙間から、溢したその言葉は、時緒を一瞬にして盛らせた。
 「あっ!も……んぁっ……はあっ」
 ウェディングドレスをきたままで、腰を抱えられ、霞はホテルのベッドで涙をこぼしていた。
 挿しこまれては、欲望を吐き出し、もちろん中でも白濁としたものが霞の中を犯す。
 一週間の謹慎をくらった時雄様の欲望は、眠ることをしらない。
「もう一度、もう一度霞がちゃんと言えたら、ね」
 もう一度って……時雄様はさっきから、百回以上その言葉を言わせてます……っ。
「んっ……あぅ…言え……ませんっ」
 霞の後孔には、もう既に五回以上絶頂を終えたはずなのにまだまだ熱を持っている時緒の楔をうたれたままで。
 体力の無い霞は、窓の隙間から零れてくる朝日の光に眩暈を起こしながら、必死にお願いする。
「お願いしま……す…も…抜いて……あぁん」
「霞、駄目。ちゃんと言わなきゃ、駄目だよ」
 時雄様の声はとても甘いのだけれど、動きは激しくて。
 足を大きく開かれ、挿しこまれたままの身体は壊れそうなのに、何度も込み上げてくる欲望を決して隠しはしない。
「ほら、霞もまた……達きたいんでしょ。ね、俺と離れてる一週間、俺を考えながら、一人でした……?」
「嫌っ……そんな事…言えな…」
「したんだ」
 カーッ!
 僕は顔を真っ赤にさせながら、首を思い切り横に振った。
「嘘つき」
 耳朶をハムッと噛まれながら、意地悪そうな声で囁かれ、僕はゾクッと体が跳ねるのを感じた。
 僕、この声駄目なんですってばぁ……。
「時雄様ぁっ!」
 こんな状態じゃ言いたいことも言えませんよっ。
「うん。ほら、じゃあちゃんと言えたら気持ちいいことしてあげるよ」
 喉もすっかり枯れてしまって、ひりひりするのを振り絞って声を出す。
「愛して……ます……時雄様」
「それでいい」
 時雄様は嬉しそうに呟くと、腰を大きく引き抜き、奥まで差し込んだ。

 気を失う前は確かに朝日だった窓の外が、すっかりお昼の太陽になっている。昨日が水曜日だから木曜日……なはずだから、今日は会社なはずなんだけど……。
「……んっ…」
 ぼんやりと目を覚ました霞に、朝だというのに深い口付けが落ちてくる。
「時緒様……寝てらっしゃらなかったんですか?」
「霞を見ていたかったから」
 普通セックスって、した方のが疲れる、と聞くのですが、時雄様のその体力に僕は思わず苦笑する。
「霞、今何考えてた?」
「ぇ……あの…」
 口篭もるのは、当然。
 だって、会社の話は、藤緒様の助言でもなかったら僕は絶対時緒様に許していただけなかったでしょうから。
 一週間ぶりに愛し合った翌日、一番最初にそんなことを思ってしまったのは、やっぱり……なんだか、怒りたくなりますよね。
「あの…その…それは……」
 でも、嘘がつけない霞はただただ、時緒様の腕の中でうろたえていると、時緒様は実に不本意だという顔をして、僕を抱きしめた。
「いいよ、会社……続けても」
「え!?」
 霞は思わずベッドから上半身を起き上がらせる。
「何、行きたくない?なら、それでもいいんだけど……」
「い、いえっ!行きたいです、すっごく・・・・・・でも、どうして・・・・・・?」
「あの男からの伝言」
「ぇ・・・・・?」
「霞を会社に来させろ、だと。じゃないと君島家をどんな事があっても潰すってさ」
 竜馬・・・・・。
 時緒様、それで不本意そうだったんですね。
「ま、予防対策もとったから、あの男は大丈夫だろうし」
「あーっ!」
 霞にしては大きな声を出して、傍らの時緒が思わず吹き出す。
 あいつって・・・あいつって・・・りょ、竜馬だよね。
 そうだよ、僕、竜馬が見てるのに時緒様と・・・・・・。
 酷い、酷い、あんなの見せ付けて、どうやっていつもどおり会社で働けっていうんですかぁ〜!信じられないっ。いくら怒っていたからって・・・。
「後、通勤は家の車で行くこと、それと・・・・・・」
「それと?」
「水曜日の仕事は辞めること」
 時緒様はこれだけは絶対と言う風に、僕を責める。
「・・・・・・じゃあ、時雄様も水曜日はお仕事しないでくださいね」
「俺も?」
「だって、このまま仕事してたら、いつか藤緒様が本当に泣いちゃいますよ・・・・・・?」
「なんで霞、爺の方もつんだよ」
 拗ねたように時緒様に言われ、僕は時緒様の頬に軽くキスをする。
「だって、時緒様と出会わせてくれた、僕にとって大切な方ですから」
 霞がそう可愛く囁くと、時緒は霞を再び押し倒す。
 既にお昼が過ぎようとしているけど、今日は・・・・・・いっか。
 今日はお仕事はお休みにして、いっぱいっぱい愛してあげるんだ、時緒様を。
 やっと、僕と時緒様が望む恋愛が出来るんだから。

完。
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