−3− | 最初のぺぇじへ。 | 小説のぺぇじへ。

● 大人の體、子供の芯 --- −4・ラスト− ●

社に戻った夏妃を迎えたのは、やはり柔和な雰囲気だった。
 草汰はどう操作したのかわからないが、とにかく窮地だけは脱したようだ。
「おかえりなさい、博士さん」
 長谷川が、夏妃にコーヒーを差し出して挨拶をしてきた。
 時刻は既に五時を越えていて、少し社員の数は減ったようだ。
 夏妃は空いているイスに腰掛け、そのコーヒーに口をつけた。
「博士さんが銀行に取り合ってくれたおかげで、とりあえず相馬銀行への振込みは終了したようです。さすがです」
(俺のおかげじゃないんだけど……な)
 夏妃は少し冷めたコーヒーから口を離し、苦笑する。
「企業とは連絡取れたのか」
「それが……」
「取れないのか」
「いえ、振り込んだとおっしゃってるんです」
「なんだって」
 夏妃は思わずイスから立ち上がり、コーヒーを手の中から溢しそうになった。それほど、それほど驚きの表情を隠せなかった。
「どういう事だっ」
「どこかで……操作が行われているようなんです」
 長谷川はどこか声を潜め、そう夏妃に告げた。
 つまり、それは……。
「俺の社員達がやっているかも……と言う事か」
 夏妃の、憤りで震える声に、長谷川は落ち着いた声で答える。
「……その可能性もないとは言えないと言う事です」
 考えたくない事だった。今まで共に働き、どんな苦悩も超えてきた仲間達を疑うと言う事は夏妃には出来なかった。
 頭に手をあて、髪を我武者羅に掻き揚げる夏妃を長谷川はただ見ていたが、何かを思い出したように、夏妃の肩を揺すった。
「こんな時になんですが……いえ、こんな時だからこそなのですが、竜崎商会から御食事のご招待が来てますけど、どうしますか」
 竜崎紹介は、夏妃たちが取引する一般企業の中で一番の大手だ。つまり、あちらにしても、夏妃の会社HAKASEはなくてはならない物となっているのだろう。これは、御食事会と言うよりは、仕事の話と接待と言う誘いだ。
「…………いつだ」
 本当言えば、こんな気分でこんな状態で接待でニコニコしろなんて無理な話だ。けれど、竜崎紹介となれば話は違う。
 大人の社会に、接待は必要不可欠な交流手段でもあるのだ。
「今夜九時から、料亭アクアで、です」
 行けますか、とでも言うような長谷川の心配した様子に、夏妃は軽く笑って返す。
「大丈夫だよ」
 これで接待まで休んでしまったら、自分が出来る事がなくなってしまう。
 会社の危機に動けなくて、何が社長だ。
 夏妃は本来の弱い自分を奮い起こし、イスから立ち上がった。
「是非お受けいたします、と返事をしておいてくれ」
「はい」
 夏妃はそんな心地よい長谷川の返事を聞き、再び自分の部屋のパソコンへと向き直った。
 その画面には、HAKASEと取引している会社、顧客全てがリストアップされている。この中に犯人……と呼べる人物がいるのだろうか。
 もしもこのまま、支払いが滞る事があれば、銀行からの融資どころか本当に会社の尊属が危ぶまれる。
 こういう些細な事こそが、会社にとっては大事なのだ。
 接待と言う言葉に、いまだに抵抗がある夏妃でもそれはわかっている事なのだ。
「!」
 パソコン画面を見ると、メールが届いた事を知らせている。
 もう、タイトルや送信者を見なくても、誰からか分かってしまうから不思議だ。
(草汰からだ……)
 ――人に気をつけろ――
 タイトルにその一文だけ書かれていた。本文に文字はない。
 これが手紙やメモだったら、走り書きのような文字になっているに違いない。焦って打った印象を受ける。
(人に気をつけろ……って誰にだよ)
 今一番自分にとって、危険を感じさせるのはお前じゃないか、と夏妃は苦笑する。
 草汰は何を知っているんだろう。俺の知らない何を。
 昔からそうだ。夏妃の周りは何かと言うと言葉を濁した。まるで、夏妃は知っていて当然だから、とでも言うように。
 誰しもがそういう態度をとったら、どうやって情報を得られるんだ。
「……教えてくれよ……草汰」
 パソコン画面にそう訴えては見ても、やはり機械は機械でしかない。
「はぁ……」
 色っぽいため息が、社長室の中を濁した。
 
 草汰からのメールの真意もわからないまま、時刻はいつのまにか七時を終える頃まで来ていた。なかなか社長室から出てこない夏妃を呼びに着た長谷川に揺り起こされ、夏妃は目を覚ました。
 考え事をしているうちに寝てしまったらしい。
「博士さん……本当に大丈夫ですか、お疲れでしょう」
 長谷川は夏妃の歪んだネクタイを直しながら、そう言った。
 夏妃は、長谷川の肩を押しやり自分から優しく離すと、ニッコリ微笑んだ。
「少し寝たから……回復したって。さすがに、ちょっと疲れてたけどね」
「じゃあ、参りますよ。下に車を回しておきます」
「ああ……いや、いいよ。俺一人なんだし、電車でも……」
 今から出発すれば、アクアまでは電車でも四十分以内にはつける。社会人にとって遅刻は大打撃だけれど、これなら全然余裕だ。
 経費削減を押すわけではないけれど、電車が嫌いではない夏妃がそう言うと、長谷川は言い忘れていた事を付け足す。
「いえ、今回の御食事には僭越ながら私も御呼ばれしてるんです。ですから、私が運転します」
 それならばと、夏妃は長谷川に車を頼む事にした。
 社用の車も一応持ち合わせているが、長谷川が会社前に持ってきたのは長谷川の私物の車だった。
 車に疎い夏妃でもわかる、その高級感が、長谷川の人格を示している。
「どうぞ」
 長谷川は会社とは何か違ったような笑みを浮かべ、夏妃を社内に誘った。
 綺麗に整えられた車は、まるで長谷川そのものだ。
「じゃ行きますよ」
 紳士的な態度をとり、仕事も出来、そしてこういう時に頼りになる長谷川が隣にいてくれるおかげで、夏妃は少なからず安心していた。
 
 アクアに着いたのは、約束の時間の二十分以上前で、夏妃はホッとしていた。八時と言う時刻は車が良く込む時間帯でもあったから。
「あちらが部屋を取っておいてくれたようですから、先に入ってましょうか」
「ああ」
 アクアは名前は西洋風だけれど、形は古典的な料亭だった。
 一部屋一部屋区切られた空間は、秘密の話をするのにも適していて、よく政治家たちにも好まれているらしい。
 夏妃がここに来るのはそんなに多くない。私用では使わないし、夏妃が他の会社を御食事に誘う時もこういう店は選ばない。使う時は、向こうから御呼ばれした時くらいのものだ。芸能人や財政界の人達は、デートなどにも良く使うらしいけど、夏妃には浮いた話の一つ出てこなかったから。
 もちろん、夏妃の外見や、性格上持てないわけではない。
 ただ、夏妃の予防線や、防御壁は厚く、大人になった今ですら人々に素敵すぎて謙遜されるフシがあったから。
「この部屋……?」
 いつも竜崎商会に招かれると使われる部屋より、ずっと高級な部屋に案内され、夏妃は一瞬戸惑う。
 アクア自体が既に高級料亭と呼ぶにふさわしいのに、その造りは4つの段階に分類され、いつもは三番目の位に位置する部屋を使うのに、今回はどうみても……一番の部屋だ。
 もちろん使った事はないけれど、女将の案内の仕方から、部屋の外装全てを見てもわかる。
「ええ、そうですよ」
 視線をついつい泳がせてしまう夏妃を前に、長谷川は冷静にそういうと、中に足を踏み入れた。
 張り変えたばかりの畳の香りが鼻に優しく馨って来る。いつもと違う雰囲気に、夏妃は座布団に座る事すら気が引ける。
「座らないんですか」
「あ、ああ」
 相変らず堂々としている長谷川に、たどたどしい返事をすると、再び扉が開かれた。
 蝋でも塗っているのかと思われる扉は、気持ちの良い音を出し、スッと開いた。
 竜崎商会の人達が来たのだろうと思い、夏妃は慌てて振り返り、すぐに違和感を覚えた。
 そこにいたのは、竜崎商会の人だけではなかった。
 確かに竜崎商会の人もいる。いつも打ち合わせをする若い社員ではなく、重役の方だったけれど、面識くらいはある人だ。
 しかし、その隣でニヤニヤと葉巻をふかしている背の低い男は、夏妃は見た事がなかった。
 ただ、御世辞にも上品な人には見えない。
「……博士夏妃君かい、君」
 男は夏妃を下から上まで舐め回すように見ると、葉巻を廊下から見える外の庭に投げ飛ばした。
 その行為に、顔を歪めそうになりつつ、夏妃は、はいと答える。
「……ね、三山さん……綺麗でしょ、彼」
「ふん、楽しめそうだな」
 目の前の男二人は、明かに自分を見て何かを話している。けれど、その意味がまったくわからない。
 ただわかる事は、何かいつもの御食事とは違うと言う事。
 酷く綺麗な雰囲気の場所なのに、酷く胸騒ぎがする。
「あの、失礼ですが貴方は……」
 顔が硬直した夏妃の問いに答えたのは最も意外な人物だった。
「ああ、博士さんは初めてでしたね。大倉銀行の総本部長、三山信行さんですよ」
「長谷川っ?」
(なんで長谷川がそんな事知ってるんだっ)
 今度は長谷川に向き直ろうとした瞬間、夏妃の身体を後から誰かに拘束された。竜崎商会の人だ。
「な、何……っ」
 羽交い締めにされ、夏妃は後ろの人物を苦しい姿勢で睨む。
「接待ですよ」
 再び聞こえた長谷川の澄んだ声の発した内容を、夏妃は理解できない。
 けれど、拘束された身体、そしてそれをニヤニヤと見つづけている三山と言う男、そして長谷川はどうみても……ぐるだ。
「離せっ……何を考えているんだあんたらっ」
 腕を思いきり振り、大きな声を出しても、その部屋の誰一人動揺の色を見せなかった。
「高級料亭って便利ですよね、夏妃さん。防音だし……秘密は厳守だ」
「長谷川……お前、何を考えて……っ」
 暴れる夏妃を抑えきれなくなったのか、後の男がいきなり拘束を解くと夏妃の細身の腹を殴った。
「……うぅっ」
 人に殴られる事など初めての夏妃が受身などとれるわけがない。
 身体を九の字に曲げて、夏妃はその場に倒れこんだ。
「接待だといってるだろ……博士さん。いいかい、私たち竜崎商会は大倉銀行さんとは深い繋がりなんだ。そして、あんたらは私ら竜崎商会とこれからも商売を続けていたい。だったら、誠意を見せてもいいんじゃないか」
 はぁ、はぁ、と肩で息をしながら男が遥か上でそんな事を言っているのが聞こえた。
(何を言ってるんだ……誠意を見せる?)
 夏妃は真っ白になったり、ぼやけたりする視界の中、自分を覗きこむ人物三人の声をボンヤリと聞く。
「止めてくれよ、遠山君。綺麗な彼に傷がついてしまうじゃないか」
 自分の意思では動けない身体に、三山が触れて、夏妃は身体を本能でビクつかせた。
「ここまで来るのに随分かかったが……メインディッシュは後から来るのが普通だからな」
「ですよね、三山さん。さ、さ、好きにしてやってください」
(好きにって……)
「何を……」
 うめくような声を出した夏妃の身体が不意に起こされる。
 片腕を長谷川が支えている。
「わかりませんか、夏妃さん。大人なんですから」
(大人だから……?)
 わからない、と告げようとした夏妃の言葉を遮るように、再びキレの良いフスマの開く音がした。
 しかし、その開いた音は、入り口のフスマからではなく、真逆の部屋の奥から聞こえてきたのだけれど。
 そちらに、こちらから開ける扉があったのかと夏妃は顔を向けると、その瞬間我が目を疑った。
 そこに広がっていた風景は、真っ暗な寝室。
 和風な部屋に置かれた照明器具は、四角形の行灯一つマクラ元に。
 それが、真っ赤な絹の布団を鮮やかに写している。
「っ!?」
「夏妃さんって、いちいち面白いですね。そんな子供みたいなふりをして」
 長谷川の言いぐさもそうだが、こんな卑下た笑いをするところは初めて見た。
「大人が寝室でする事って、一つしかないと思うんですけど」
 その言葉で、夏妃にはやっと意味が通じた。
 次第に赤へと染まっていくその頬は、男たちを盛らせるだけだ。
「な……んで…」
 逃げようと入り口の方へと足を動かせば、長谷川に強く肩を握られる。
「だから、接待だって言ってるだろう。夏妃君」
 三山は既に上着を脱ぎ捨て、寝室の方へと移動している。
(違う、違うっ!そうじゃない、なんで……なんでこんな事が出来るのかが聞きたいんだっ)
 夏妃は、長谷川を今まで見た事のないような目で睨んだ。
 すると長谷川は、そんな夏妃の顔すら、と言わんばかりに微笑む。
「貴方が気付いていないフリをするからですよ」
「え……」
 意味がまったくわからない。
 夏妃は痛む腹を擦る事も忘れ、長谷川に見入る。
「入社以来ずっと、私は貴方に好意を伝えてきたのに。貴方は知らない顔をするばかりだ。そればかりか、今は相馬銀行のヤツと頻繁に会っているようだし」
「長谷……うっぁ……」
 長谷川は夏妃を布団の上へと突き倒した。
「くっ……」
 背中の痛みと腹の痛みに絶えながら、瞳を開くと、既に身体の上には三山が乗っかっている。
 これはもう……間違いや、勘違いではない。
 自分は、接待と言う名の公式なモノで、犯されようとされているのだ。
「長谷川っ……」
 ずっと信じてきた。ずっと苦しい時も、楽しい時も共にしてきた長谷川が、まさかこんな事をするなんて。
 夏妃は布が引き裂かれるような声で、その名前を叫んだ。
「貴方が悪いんです」
 長谷川は大きな声で、夏妃に言葉を投げつける。
「私を……好きにならないから」
「ははは。可愛さ余って肉さ百倍……利害の一致とでも言うのかな」
 三山は自分の下で呆然としている夏妃に、再びあのにやけた笑いを向けた。
「そう悪い取引でもないだろう」
 布団の艶々とした感触が生々しい。
 夏妃は手で何度も布団を引っかき、三山の下から抜け出そうとするが、すべって上手くいかない。
 身体が恐怖で凍てつくのがわかった。
 耳が、正しく作動しない。まるで、人形にでもなったようだ。
 ただ見える映像を見させられるだけ。
 映画館で映画を見ているような、そんな感覚に襲われる。
 臨場感はあるが、自分は決してその場にはいない。
 そんな意味不明の感覚に囚われる。
 男の顔が夏妃の首筋に落ちる。その瞬間……映画館のスクリーンは破れた。
「……嫌だっ……」
 夏妃は小太りの三山の下で必死にもがく。
「何を今更喚いているんだ……夏妃君。君も大人なら譲歩しなさい。大丈夫……気持ち良くなるだけだ…くくく」
「っ離せっ……離せっ」
 恐怖が身体を乗っ取る。
 嫌で嫌でたまらなくて、けれど涙は零れない。嫌悪さが、生理的な涙を引かせている。
 それほど、その行為は汚らわしいとしか思えなかった。
「止めろっ……触るなぁっ……うっ」
 夏妃の叫ぶ声を抑えるように、三山は夏妃に口付た。
 生暖かく、三山の唾液と体液の混じったようなその接吻は、吐き気すら感じられる。
「っ…うっ……うーっ」
 唸る事しか出来ず、それでもそれすらせずにはいられず夏妃は喉を痛めるほど唸った。
 大切な人に裏切られ、大人の穢れた社会に取り込まれ、そして、落ちていくこの時間が、夏妃には永遠に続くと思われた。
 終わりのない地獄。
 服を脱がされそこに触れられる事も、舐められる事も、見られる事も、全てが夏妃にとって不快としかならなかった。
「っ……ふっ…」
「初初しい反応を見せるねぇ……でも、どうせ初めてじゃあないんだろう」
 三山は夏妃のワイシャツのボタンを外し、逞しいとは言えないが、綺麗な身体に思わず口元を拭く。
 どうして、初めてじゃないと思うのだろう。
 歯を噛み締めても零れてくる奇妙な自身の声に、夏妃は耳を塞ぎたくなりながらそう思う。
 どうして……みんな。
「……相馬銀行の輩なんかと付き合わなくても……こっちで良い思いさせてあげるさ……」
 相馬銀行と言う名前を出され、夏妃はそこでやっと草汰の事を思い出した。
 こんな行為をされて、こんな辱めを受けて、一番に思い出すのは、草汰の事だったはずなのに、今は全然結びつかなかった。
 こんな穢れた行為と、草汰の事はまったく……関係がないと頭がそう言っているように。
 その時初めて、涙が瞳から零れた。
「……汰……」
 夏妃の頬を伝う雫に気付いたのか、三山は夏妃の顔を見つめた。
「ん?なんだい」
(助けてくれ……助けてっ)
 今度は目に浮かぶのも、頭に浮かぶのも、心に思うものすら一つになった。
 夏妃は、ぎゅっと目を瞑ると、頭を反らせ叫ぶ。
「草汰――っ!」
 防音だと言う事も、例え犯罪が起こっていようとここの料亭の女将は他言無用な事はわかっているけれども、叫ばずにはいられなかった。
 今一番会いたい人物の名前を。
「草汰っ!草汰ぁっ」
 まるで子供のように、泣きじゃくり叫ぶ夏妃に、三山もうろたえ思わず身体を少し離した。
「ま、待てっ」
 三山の声に見向きもせず、夏妃は地面を這うようにその下から抜け出し、寝室から直接廊下へと繋がる扉を開いた。
「お待たせ……センパイ」
 扉を開いた瞬間、そこにいたのは、草汰。
「草汰……っ?」
 草汰は夏妃の乱れた格好を見て、少し険しい顔つきになった。
(草汰が……来てくれ…た?)
 夏妃は思わず力が抜け、その場にしゃがみこみそうになると、その身体を草汰が支えた。
「ちょっと倒れるのは待っててください……その前にこいつらをどうにかしなきゃいけないからな」
(こいつらって……)
 草汰は廊下に優しく夏妃を座らせると、自らのごつい手の指をボキボキと鳴らした。
「長谷川、三山、そしてお前……夏妃さんになんて事をしようとしてくれたんだか……」
 格好が下着に近い三山はどうしたらいいのかわからずにうろたえ、竜崎商会の男は慌てふためいている。その中で一人だけ……長谷川だけは、草汰を憎憎しい表情で睨んでいる。
「長谷川……お前だな、こっちの銀行とHAKASEの取引を捜査してたのは」
 長谷川は、返事の代わりに鼻で笑った。
「HAKASEを窮地に追い込み、こういう状況を作って、愛している男を犯され何が楽しいんだっ」
 草汰は近くの壁を思い切り殴った。
 鈍い音が部屋に響き渡り、パラパラと天井から粉のようなものが落ち、壁は少しへこんだように思える。
 それでも長谷川は狼狽一つせず、そんな行動を起こした草汰を見る事もせず、夏妃に向かって言った。
「……そんな面して、そんな身体して、誘ってるのはそっちのくせに……何も知らないような顔すんじゃねぇよ……。もう散々男食ってるくせに」
 長谷川の発した汚い言葉に夏妃がショックを受ける前に、長谷川の整った顔を草汰は勢い良く殴った。
 今度は鋭い音がして、液体が迸る音も聞こえた。
「……出よう」
 草汰は拳についた血をそのままに、夏妃にそう告げた。
 答えない夏妃に、草汰は優しく聞いてきた。
「立てますか」
「あ、……ああ」
 よろめきながら立ちあがる夏妃を、草汰は御姫様のように抱き上げた。
「そ、草汰っ」
 いくら歩けなさそうに見えたからといってこれはあんまりだと訴えても、草汰は知らん顔だ。
 まるで、子供みたいに。
 けれど、夏妃の震える身体、恐怖に帯びる身体、上手く動かす事の出来ない身体に気付いたのに、伺う事なく対処したのは、大人な態度とも思える。
「……恥ずかしいなら、目を閉じて、耳を塞いでいてください」
 草汰はぶっきらぼうに、夏妃にそう言った。
「お前……は」
 この状況で恥ずかしいのはむしろ草汰の方だろう。
 夏妃が弱々しい声で、そう言うと、草汰はここに来てから初めて微笑んだ。
「好きな男抱きしめてるのが、恥ずかしいわけないじゃないですか」
(え……?)
 夏妃が思わず眼を大きく見開き、見つめれば草汰は顔を背けた。
「……聞き流してくれていいですから」
 聞き流せるはずが等なかった。
 けれど、草汰はそれから何も言わずタクシーを拾い、夏妃のマンションに向かった。
 タクシーに乗っている最中も何も言わず、タクシーが家の前に止まっても、草汰は下りようとしなかった。
「ここまでで大丈夫ですよね」
 草汰は夏妃の顔を覗きこみ、相変らずの声でそう告げる。
 こいつはわかっているのだろうか。いつのまにか、昔のしゃべり言葉になっている事を。
 夏妃はぎゅっと拳を握り締めると、草汰の顔を見た。
 灯りのつかない深夜のタクシーの中は薄暗く、表情までは読み取れない。
 恐ろしいと思う気持ちを越え、夏妃は声を振り絞った。
「嫌だ」
 タクシーの運転手もいると言うこの車内で、夏妃は恥じも外聞も捨てそう言った。
 草汰は自分の耳を疑ったようだった。
「……ちゃんと……家まで送ってくれ……」
 家のマンションのエントランスまでここから見える距離にある。
 それは、夏妃の精一杯の誘いだった。
「は、はい」
 草汰はまるで入学試験でも受けている子供のような返事を返してきた。
 夏妃は自分の手の中に、汗がにじみ出るほど緊張していた事をその時気付いた。

 自分の部屋に草汰がいる。
 その不思議な状況に、夏妃はコーヒーすら淹れられないほどだった。
 そして、草汰も夏妃の香りのする夏妃の部屋のソファでくつろげずにテレビも点けずに夏妃を待っていた。
「……なんで」
 夏妃は、震える手でコーヒーを淹れる事はあきらめて、冷蔵庫から出したビールを草汰に差出ながら聞いた。
「なんで、あの場所に……来てくれた?」
 草汰はビール缶を手に取り、二、三度左右の手に持ち替えながら言う。
「あんたの声が聞こえたから」
 プシュと言う音がして、ビール缶のふたが外される。
「……なんて言ったらカッコ良いけどね」
 本当は格好悪いよ、と草汰はビールを飲みながら笑う。
「あんた……ずっと会社を立ち上げるのが夢だったって言ってたから、もし俺が銀行に勤めてたらいつか会えるんじゃないかなって……」
 草汰の顔色がみるみる赤くなっていくのがわかる。
 夏妃はわざとリビングの電気を消していたけれど、それでも良くわかるほど変化していた。
「それで、もしかしたらいつか貴方を助けられるかもしれないって思って銀行に就職したんだ」
 そう言えば昔、あの夏あの勉強をしている合間にそんな話しをしたかもしれない。草汰が、銀行員になりたいと言ったのをうっすら覚えている。
 けれどまさか、それが自分と繋がっていたなんて知らなかったけれど。
「貴方と再開したのは偶然だったよ。あの時、俺はたぶん貴方以上に驚いてた」
 銀行の第二応接室で会った草汰は、落ちついていて、大人びて見えたけれど。
「始めはムカツイたよ……だってあんたってばめちゃくちゃ綺麗になってて……いろんなヤツがあんたに触れたんだろうなって思って」
 だから思わずあんな態度をとったんだよ、と草汰は恥ずかしそうに、そして謝りながら告げた。
「な、なんだよ……それ、お、俺は……」
「うん……貴方に触れてみてわかったよ」
「わ、分かったって……」
「貴方は周りが思っている以上に、年相応な子供なんだって」
 草汰はそこまで言うとビールを一騎に煽った。
「綺麗で、なんでも出来て、理想の人で、高値の華の貴方だけど……ちゃんと子供なんだってわかったから」
 二十代後半に来て、こんな事を年下に言われるなんて思わなかった。
 けれど、何故だか安らぐのは何故だろう。
 草汰にはもう……虚勢を張る必要もない。頑張る必要もない。自分自信を見せられる。
「怖かったんだ……」
(ただそれだけだったんだ……)
 夏妃を抱きしめようと、草汰は夏妃の隣に座る。
「触っても……大丈夫ですか」
 コクンと頷いた夏妃を、草汰は抱きしめ頭を撫でる。
「俺は……怖かっただけ……なんだ……みんなが、したがる……事が」
「うん」
「キスも……」
「うん」
「……セックスも」
「うん」
 草汰は頷きながら、何度も頭を撫でてくれた。
 どうしてだろう。あんなに守ってきたモノを、今は馬鹿らしいと思える。
 プライドも外聞も、周りの目も。
「みんな一緒だよ」
 草汰は夏妃の耳元で、告げる。
 吐息が優しく耳にかかり、くすぐったいようなもどかしいような感覚になる。
「初めてキスした日も、触った日もすごく……すごく怖かったんだ、俺も」
「草汰、も……?」
 意外そうに見ると、草汰は苦笑した。
「当たり前だろ。あんたは本当……そういうのに慣れてそうに見えたから……」
 そう言われてしまうと本当にどうして良いのかわからなくなる。
 どうしたら自分がそんな手馴れているように見えるのか、自分ではわからないから。
「だって……あんた本当に綺麗で大人びてたんだもん……」
 草汰は、夏妃の肩に顔を埋め、恥ずかしそうにそう言った。
(怖いのは……俺だけじゃ、ないんだ)
 夏妃は草汰の頭に軽くキスをした。
 冷たいような、唇が触れた感覚に、草汰はガッと顔を起こす。
「ぇ……」
 驚いた表情の草汰に、夏妃は涙目で笑った。
「怖いんだ、今でも」
(それでも……それでも、胸が痛いから)
「でも、だけど……どうしていいのかわかんないんだ」
 草汰は華奢な夏妃の身体をぎゅっと抱きしめた。
「好き……愛してる……ずっと、ずっと大好きだったんだ。嫌われても、ふられても諦めつかなくて、怒る事も出来なくて……それくらい好きなんだよ……」
 厚い胸板に押し当てられているのに、そこからドクドクと蠢く心臓の音を確かめられる。
 誰だって怖いのだ。愛する人を前にすれば、したくなる行為でも。
 それでも、何がしかの恐怖は伴うものなのだ。
「草汰……」
 夏妃は草汰の身体をそっと押し戻し、顔を見る。
「俺も好き……だよ。昔からずっと。お前意外に好きな人なんて出来なかった」
 幼心の好きと、今の好きは全然違った。
 あの時、あの当時夏妃は、本当の意味で草汰を愛してはいなかったのかもしれない。映画を見たり、部活をしたり、友達の愛とソレを計りかねていたのかもしれない。
 けれど、今はっきりわかる。
 この人が好きで、好きでどうしようもない事が。
 夏妃は自らの意思で草汰を抱きしめた。
 草汰の大きな巨体が震えているのを感じた。その震えに抱きこまれながら、夏妃はソファに倒される。
「……怖いならそう言って下さい」
 震える夏妃の身体からジャケットを奪い、ワイシャツのボタンを外しながら、草汰が心配そうに言う。
「大丈夫だよ」
 その言葉が強がりだと、二人ともわかっていた。
「大丈夫だから、教えて……」
「夏妃さん……っ」
 草汰は夏妃の身体を強く抱きしめ、唇にキスをした。さっき三山にされた行為と同じなのに、何もかもが違う。
 溶けそうなほどの熱を押し当てられ、夏妃はトロンとした顔になる。
「ぁ……んっ……草汰…どうすれば……いいの」
 この年までそういうった行為に深い関心もなければ、経験もない夏妃は必死に草汰に答えようとするけれど、それよりも何よりもこの言葉が効いた。
「……あんまり俺を刺激しないで下さい……抑え効かなくなるんで」
 草汰は夏妃の首筋に、啄ばむようなキスをしながら、恥ずかしさを隠す。
「抑えなくて……良いって」
 夏妃は草汰の首筋に腕を回し、自らにその身体を引き寄せた。
 汗ばんだその身体は、やはり学生時代より断然成長していて、男らしくなっているようだ。
 夏妃の言葉と行動に翻弄されっぱなしの草汰は、なだれ込むように夏妃の胸に顔落とす。
「ったく……あんたは」
「ぁっ……っ……ひゃぁっ…」
 夏妃の下半身に手を滑らせると、そこを握り、絶妙なリズムで扱く。
 剥けきった亀頭を親指で弄れば、夏妃が甘い声で鳴いた。
「……教えて上げるけど、手加減しないからな……」
 自分を天性の色気で煽るだけ煽る夏妃に、草汰は悔しそうに告げる。
 何年たっても、何十年たっても、やはり草汰は夏妃には敵わないのだ。
「ぁっ……駄目……そこっ」
「気持ちいいんだ、センパイ」
「嫌……ソレで呼ばない……でっ」
 まるで学生時代に戻ったみたいだから。
 夏妃は恥ずかしそうに喘ぎながら、嫌がる。
 けれど草汰はそんな夏妃に興奮して、思わず根本をきゅっと握る。
「あぅん……っ」
「可愛いな……センパイ」
 わざとこう呼ぶのは、揶揄かってるわけじゃなくて、恥ずかしさで泣きそうになる夏妃が可愛いから。
 夏妃は下半身から来る音と、草汰の言葉に同時に攻められ、ますます身体が熱くなっていくのを感じた。
 怖くない、と聞かれたら嘘かもしれない。
 けれど、それよりも今は愛が勝っているのだろう。
「ぁっ…は、ああーっ」
 夏妃は、普段よりも早く達ってしまった。
 けれど、草汰はそれを責める事はせず、草汰と夏妃の身体についた夏妃の精液を手に余す事なくつけると、ぬめる手をどんどん奥へと滑らせる。
「……怖い?」
 二度目の質問に、夏妃は首を左右に振った。
「っ……ひゃっ…ァッ」
 草汰の指が夏妃の後孔を見つけ、その周りを撫でると、夏妃はさっきとはまた違う声を出した。快感に思っているのか、不快に思っているのかと聞かれれば、どちらかわからない。
 ただ恥ずかしく火照る顔を見られたくなくて、泣いてる自分を気遣って欲しくなくて、夏妃は両手で顔を覆った。
「夏妃さん……」
 でもそれは草汰にとって逆効果だったようで、切なそうに夏妃の手に両手を重ねる。
「嫌なら……まだ止められる……から」
 草汰の声と、さっきから下部に当たる熱く硬いものから、それは草汰にとってとっても辛い事だってわかる。
 もう、あの時のような思いはさせたくない。
「御願いだから……顔見せて……」
「……恥ずかしい……っ」
 恥らう夏妃は、本当に自分より年上なのかと思ってしまうほど愛しい。
「酷い事しないから、顔だけ見せてください。貴方を見つめていたいんです」
 少し強く手首を掴まれ、両腕をそっと外される。
 誰もがし得なかった事。
 夏妃に強くしてくれる人は今までいなかった。しっかりしてるから、大人だからって、誰も夏妃を見ようとしなかった。
(草汰……)
 思わずこみ上げた涙に、草汰は悲しそうに言う。
「やっぱり……嫌ですか、俺じゃ」
 今まで散々人の身体好きに触ってきて、こんな態度を取られると調子を狂う。
 夏妃は涙顔をくしゃっと歪ませ笑った。
「馬鹿か……お前。いつまでたってもガキなんだから……」
 初めて触れ合うと言う事も、これが愛し合うと言う事なのだと言う事も、全てが全て納得できているわけじゃないけれども。
(俺は、草汰が好き)
「分かれよ……もう」
「……夏妃さん……っ」
 草汰は再び夏妃に口付ると、今だ滑りの取れない手を再び入り口に押し当てる。
 小さな皮製のソファの上で、夏妃が小さく悲鳴を上げた。
「っ……」
「力、抜いててください。痛くしませんから」
 草汰は人差し指を夏妃の中へと滑らせる。
「あぅっ……」
 少しだけ苦しい言葉を零しながら、必死に草汰に夏妃はしがみ付いた。
「夏妃さんの中……熱い……」
「……言う、なよ……っ」
 熱い吐息が耳の中に直接注がれて、頭がおかしくなる。
 草汰が指を、ぐちゅぐちゅと自分の中で掻きまわしている卑猥な音が聞こえる。
 そんな音、音に恥ずかしがり、身体を捻り声をあげる夏妃が一番淫猥な事を、夏妃は知らない。
「ぁっ……っ、もっ……やっ……」
 指が二本に増やされ、その圧迫感で夏妃は草汰の手をどけるような仕草を思わず取る。けれど、そこまで来て止められる男もいない。
 草汰は夏妃の指を甘噛みし、欲望のおかげで溢れ出した唾液で指を濡らす。
「ひゃっ……あっ…草汰ぁあっ」
「乱れてよ……もっと、もっと……なんでもしてあげるから」
「アアッ」
 身体中が液体で染まる。
 それがなんなのかわからないけれど、そのベタベタは二人をより一掃くっ付けるようで、ドキドキする。
 掻き回される感覚に落ちついて来た頃、草汰は夏妃の両足を両腕で抱え、夏妃の腹部に夏妃の膝が届きそうなほど押し曲げる。
「ふっ……」
「好きです……愛してます……夏妃さん……」
 何度も愛していると告げてくる草汰の言葉のおかげで、心臓はなんとか保っているように思える。
 そうでなければ、今ごろパンク寸前だ。
 壊れた時計のように鳴り響く心臓は、どちらのモノかも分からない。
「俺も……」
 夏妃は草汰しか見えない自分の目で、しっかりと草汰を見据え微笑む。
「愛してる」
 その言葉が引き金になったように、草汰は自らの欲望を夏妃の後孔に押し当てた。
「ッアア……」
 熱く、そして太いその感触が直にわかって、夏妃は鼻から声を漏らす。さっき、一度放った自分のソコでさえ、既に熱くなり始めているというのに、今だ一回も達ってない草汰のソコは、鋼のように硬く、そして灼熱のような熱さを秘めていた。
 それが、自分に対して欲情しているからなのだと思うと、どうしようない気持ちが溢れてくる。
 草汰は、狭く蠢く夏妃の内部に、ゆっくりゆっくり自身の先端を忍ばせていく。
「ふぅ……うっ……」
 力を抜く事を忘れ、強張る夏妃の身体を擦りながら、ゆっくり、ゆっくり夏妃のペースに合わせて挿入していく。
 その気持ちが嬉しくて、もどかしくて、夏妃は力の入らない手で草汰の服の端を引っ張った。
「……草、汰……」
 草汰は、夏妃が苦しかったのだと思い、身体を離そうとするが、夏妃は今度は少し力をこめて服を引っ張り、それを静止する。
「酷くして……いいから…もっと……来て」
 夏妃の言葉は、身体は、顔はどれだけ自分を発情させれば気が済むのだろう。
 自分の下に組み敷いている、愛しい愛しい人物の頬を撫でり、草汰は自身を再び後孔へ挿し込む。
「あああーっ」
 明かに痛そうな夏妃の声が聞こえたけれど、もう止まらない。いや、止めちゃいけない。
 これを夏妃が望んでいた事を、草汰はわかってやるべきだったのだ。
 大人な容姿に隠された、その子供の本音を、草汰は組みとってやるべきだったのだ。
 素直に伝えると言う事すら出来ない、不器用な夏妃の為に。
「あっ……熱いっ……アアッ」
 ギシギシと軋むソファの上で、草汰は根本まで夏妃の中に押しこんだ。
 きゅうきゅうと締めつけてくる夏妃の熱い襞に抱かれながら、草汰は幸せを噛み締めていた。
 手ひどく振られた日の事はたぶん一生忘れないし、一生後悔し続ける。
 もし、あの日こうやって無理矢理にでも夏妃を抱いていたら、この十年の空間はなかったかもしれない。
 けれど、それならば初めての性交渉がこんなに幸せではなかっただろう。
 この十年は神様が与えてくれた、二人を大人にするための時間だったのだろう。今ならそう思える。
「ぁっ……はっ……草汰ぁ」
「……全部入ったよ、わかる?」
「わかんな……あぁっ……ひゃあん……」
 痛い、よりも熱さで身体が全て溶けてしまいそうだ。
 よがる夏妃を草汰は下から、攻める。
 既に稚拙なペースではなくて、草汰の雄を発揮するような激しさを増していた。
「分かるだろ……夏妃さん……これが俺の……愛だよ」
「ンウ……ッ」
 草汰の愛は、恐ろしいくらい貪欲に夏妃の中を攻める。
 亀頭が奥に当たるたび、その感触が脳内を犯した。
「好きぃ……草汰っ……」
「っ……俺も……っ」
 夏妃の言葉に、草汰は白濁とした欲望を夏妃の中に放った。その生暖かい衝撃を身体全体で受けて、夏妃は涙が溢れた。
(好き……)
 内部に草汰の思いをいっしんに受けて、夏妃は眠りについた。
 安心したように瞳を閉じ、自分の隣で下で眠る夏妃の存在が今だ夢のようで、草汰は今だ興奮収まらない身体を夏妃の上からどかし、夏妃を見つめ続けた。
「……一緒にいる人みんなに嫉妬してしまうくらい、貴方の事が好き」
 汗ばんだ夏妃の額にくっ付く髪の毛を撫でながら、草汰は秘密を打ち明けるように告げる。
「こんなガキでも……貴方に好かれるならなんでもしますから」
 もし夏妃が起きていたら、草汰は再びガキだと笑われるだろう。
 だって、夏妃の方は草汰が思っている以上に草汰を……ずっと好きだったのだから。

 「おはようございます」
 就業を開始して、朝のミーティングを済ませたHAKASEへ、爽やかな挨拶をして入ってきたのは、相馬銀行橘草汰。
 女子社員たちは逞しい身体つき、男らく格好良い姿にキャ、と声をあげるが、夏妃は引きつりそうな顔をどうにか笑みに変えた。
「お、お前……っ」
「何?夏妃さん。仕事に来たんだよ」
 この社の中ですら、夏妃を夏妃さんと呼ぶ人間は少ない。そんな会社の中で、こんな堂々と名前で呼んでくれては、居た堪れない。
「草汰っ」
 思わず飛び出た夏妃の言葉は、それこそ二人の関係を怪しむような名前で。
 言った瞬間にそれを思いだし、夏妃は口を両手で塞ぐ。
「……〜こっちに来いっ」
「はい、夏妃さん」
 引っ張って社長室に押し込もうとすれば、草汰は語尾にハートマークでもつきそうな返事を返してくる。
「お前は馬鹿かっ!子供か!ガキかっ」
 一応防音になっている社長室で、夏妃は草汰をののしる。
 二人の思いが通じ合ってからと言うもの、草汰は営業だ、仕事だと頻繁に夏妃の会社に顔を出しに来ていた。
 長谷川と言う右腕を失った今、とても忙しい時期だと言うのに。
「馬鹿でも子供でもガキでもなくて、貴方の恋人です」
「……っ」
 顔を急にカッと赤らめる夏妃に、草汰は満足そうに微笑む。
「なんで毎日毎日来るんだよ、お前仕事は大丈夫なのか」
「ご心配なく。俺の仕事は、パソコンあれば大抵出来ますから、どこででも出来るんです」
 ああ言えば、こう言う……。
「それに、毎日来てなきゃ心配で俺は狂いそうなんですよ」
「……何がだよ」
「何が?決まってるでしょう。貴方を狙う輩が傍にいないか、監視する為ですよ」
(お、俺を狙う……って)
 夏妃が飽きれたように草汰を見ると、草汰は憤慨したようだった。
「貴方は自分がどんな目で見られているのか理解するべきです。無防備過ぎて、俺ですら今すぐ犯したい気分なんですから」
 綺麗にスーツを着こなし、仕事の出来る男を装った男の恐ろしい言葉に、夏妃は怒鳴る。
「お前なっ!」
「……それに、貴方の傍にやっといられるんです……一分も、一秒も無駄にしたくないんですよ」
 草汰は、さっきまでの強気な姿勢とは裏腹に、自らのカバンから出したノートパソコンをずっと見ている。
 少しだけ見える耳が赤いのが、なんだか無償に可愛くて、夏妃はその大きな背中に後から抱きついた。
「俺もだよ」
「……夏妃さん……っ」
 それは反則だ、と草汰は夏妃に向き直ると、唇を奪った。
「んんっ……っ……」
 会社では絶対にエッチな事はしない、と夏妃に注意されていたけれどそんなのこんな状態で抑えられるはずがない。
 「誘ったのは貴方ですからね」
 強気な草汰にそう告げられ、夏妃は口の端から零れる蜜を拳で拭きながら、草汰を睨んだ。
 十年越しにやってきた蜜月は、どうやらねちっこく二人を永遠に発情させてしまうらしい。
 それでもいいかと思う時があるのが怖い。
「……あんまり激しくするなよ……」
「分かってます!」
 それでも草汰が嬉しそうにしている時、自分は一番幸せを感じてしまう。
「ぁっ……」
 夏妃は大人の感情で、草汰の甘えを受け入れる。
 草汰は子供の感情で、夏妃の心を甘やかす。
 大人でも子供でもない感情を通り越し、いつまでも抱きしめ合えればいいなと思う。
 夏妃はそんな事を思いながら、草汰に強くしがみ付いた。

 完。
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