君主様と夜の秘め事
「義之様。もう下校の時間ですが」
もう何度聞いただろうセリフ。
そりゃ、下校の時間が過ぎたのに、ずーっと教室に残ってる俺が悪いんだけどさ。そうだよ、俺が悪いんだよ…。
どうしてだろう。心の中じゃ素直にそう言えるのに。
「わかってる。何度もうるさいんだよ、和馬は」
俺は和馬の方を向きもせずにぶっきらぼうに言った。
「すみません」
和馬の抑揚の無い声がする。
違うんだ。本当は違うのに。
泣きたくなる気持ちを抑えつつ、俺は空を見上げる。
「ですが、そろそろ稽古の時間なので。遅れるとまただんな様に怒られますよ」
俺の、わざと重くしてるかばんを片手でひょいっと持ちながら、和馬はなおも俺に帰ることをすすめる。
だんな様はつまり、俺のオヤジ。俺の家は能の名家ってやつらしく、俺も弟も従姉妹達もみんなオヤジに習ってる。
その中でもセンスがあったのは、俺と………和馬だ。
でも、和馬は俺達とは血が少ししか繋がってない。いわゆる、分家ってやつらしくて。あんまり親戚一同には良い目で見られてない。だからなのか、長男に和馬を筆頭とする漣家は、何百年も前から本家である妹尾家に仕えてきた。それを強く強いられたのは、二年前、高校にあがる時。つまり、それぞれの嫡男である俺と和馬は、親戚であり、友達であった過去が全て切り捨てられ、翌日から俺達は呼び名から態度、話し言葉までを制限された。
俺は………胸が閉めつけられる思いだったのに!
なのに…。
和馬は、なんなくそのポストを受け入れた。
俺はおぼっちゃまで、自分は召使…。
カズ、ヨシ、って呼び合ってたことなんて嘘みたいに、今じゃ俺のことは義之様としか呼ばない。
敬語でしか話さなくて、俺の荷物は全て持って、くつの紐さえも結ぶ。
俺は………和馬とこんな仲になりたかったんじゃないのに。
「わかってるって言ってる」
俺はガンッと椅子を蹴った。
誰もいない教室にその音は響き渡り、椅子は教室の後ろのロッカーにガツンと当たり、倒れる。
和馬は何も言わず、かばんを肩にかけると、椅子を元の位置に直した。
「直すなっ。俺のすることにケチをつけるつもりかっ?」
俺がムキになって和馬の行為を怒ると、和馬は一礼して、また再び椅子を倒す。
なんなんだよっ!
どうして…どうして、そんな。
「もういい。帰るぞ」
俺は一人で先に廊下に出てしまった。
和馬はどうせ俺なんかになんの感情も抱いてないんだ。
だから、簡単に召使になんてなれるんだ。
俺は本当に胸が苦しくなった。
息ができないんじゃないかって思った。苦しくて、苦しくて…。
こんな風に俺の心臓を操ることができる和馬がむかつく。
なのに、俺は………和馬が好き。
どうしてなんだよ…。
母さん譲りのきれいな顔を好きだと言ってくれる人はいっぱいいたのに、どんなに和馬の態度が昔と変わっても…俺は和馬以外を、自分のテリトリーに入れる気はなかった。
物心つく頃から一緒にいて、友達で、仲間で、ライバルだった和馬。
今は…………従順な俺のおもちゃでしかない。
命令しなければ動く事もできない。
命令しなければご飯を口にすることも出来ない。
そんな和馬が見たいんじゃない。見たいんじゃないのに。
「だって…家になんて帰ったら、もっと近くにいられなくなるのに……」
和馬が近くにいない事を確かめて、ようやくホンネをこぼす。
俺は和馬の足音が近くなったのを確認して、玄関へと歩いた。
「義之。ちょっと」
「なんですか。父上」
「扇の間にきなさい」
稽古以外ではこんな呼び方はしない。
けど、ここは……練習場は神聖な場所だから。こんな言葉になる。
そんなことは小学校を上がる前に教えられる。だけど、俺と和馬はお互いをずーっと呼び捨てで呼んでて、しょっちゅう怒られてたっけ。
俺はそんなことを考えながら、父の後に続く。
「失礼します」
「ああ、ここに座れ」
俺は父の勧めた場所―――父の目の前―――に座る。
「なんでしょう」
今日の俺様は機嫌が悪い。
なんてったって、和馬がいつもにまして俺を主人として見たから。
学食で俺はフォークを落したんだ。そしたら、目の前で食事をしていた和馬がわざわざ俺の横まで歩いてきて、フォークを拾い、換えてきて俺に差し出したんだ。
みんなのいる学食で!
俺の胸がどこまで痛んだかわかってるのか!?
まるで、本当に俺がアゴで和馬を使ってるようだった…。
ううん、実際そうなんだ。
だけど、それが傍目にもわかるのは…………辛いし、嫌だ。
だって、俺は和馬をそんな風に扱いたいんじゃないのに。
「お前に、高校でたら三年間の修行の話がきてるんだ」
「はい?」
唐突な話で、俺は目をまんまるくする。
「だからな、三年間富山の方で能の勉強をする。もちろん、たまには帰ってきて上演会に出ることとなると思うが…」
「…………わかりました」
別に構わなかった。
だって、俺は能は好きだし。
俺を苦しめるモノなんて、今一つしかないんだから。
これくらい、別に…。
俺が部屋を出かけようとした時、ふいに言葉で足を止められる。
「ああそう。言い忘れていた」
「………………なんでしょう?」
「和馬は連れて行けないから、覚悟しておけ」
俺の耳が思わずピクリと動いた。
なんだって…?
和馬が一緒に…行けない?
「なぜ…ですか」
ショックを隠せない表情を読み取られたのか、父が少しだけその場の雰囲気を壊す。
「アイツにもそろそろお目付け役の本格的なやり方を覚えてもらわなきゃならんし、それに、そろそろお前は和馬離れをしなくちゃな」
「俺は別にあいつにくっついてなんかないだろっ」
ついついムキになって、俺は素に戻って否定する。
「そういう態度をとるあたりはまだ子供だな。いいか、三年でお互い離れて成長をとげ、よいパートナーになればいいんだ。俺と士郎もそうだろう?」
士郎さんは和馬のお父上様だ。
父と士郎さんは本当に、時代錯誤な主従関係を保っていて、父の命に士郎さんは必ず従う。たとえそれが、命に関わるような願いでも、父の命となれば、士郎さんは悦んでやるだろう。
「お、俺は…そんなのいいとも思わないっ…!父さんと士郎さんは…むかし親友だったんだろ!?なのに…どうして、そんな態度とれるんだよ」
息切れすらする。
それくらい大きな声で父に怒鳴った。
けれど、父は何も言わなかった。
このままじゃ、俺は和馬と離される…。
俺の不安はもうはちきれんばかりだった。
和馬は俺の命に従うだけの人形。俺は命を出す主人。
子供のままごとのような関係を、和馬は本当はどう思ってるんだよ!
「和馬っ」
俺は夕食後、和馬の腕をとり、廊下に出た。
月が雲に隠れて、ぼんやりと光っている。
「おぼろ月夜ですね」
囁くように和馬が呟く。
「こんなときにも敬語なんだな」
嫌味ったらしく俺が言う。
俺を護るため…とはじめたトレーニングは、長身の和馬にさらに筋肉をつけ、さらに強そうに見える。
俺なんかに、ペコペコ頭を下げているようなやつにはまったく見えない…。
むしろ、和馬こそ主人のようだ。
能だって、成績だって、運動だって………悔しいけど、いつだって和馬のほうが上だったんだ。
それが俺にとって、ライバルから憧れになるのに時間はかからなかったけど、母さんたちの目が嫉妬にかられるのも時間がかからなかった。
自分の息子以上に目をかけはじめた分家の息子が憎憎しくてたまらなかったのだ。
そして、その策略により、俺達は………もう一生前の関係になんて戻れなくなった。
もし、あいつが本気で暴れたら、たぶん俺なんてふっとんでるはずなのに、和馬は何もしない。俺をとがめるわけでもなく、怒るわけでもなく。
ただ俺の命に従うのみ。
俺は背中にいる和馬がどんな表情をしているのかすら、もうわかんない。
「オヤジに聞いたか?」
「………………卒業後の話ですか」
「そうだよっ」
ほらな。
和馬の声は変わらない。
どうせ、どうせ…なんとも思ってないんだよ。
三年も逢えなくなるのに。声を聞く事も、話す事も、触れ合う事もできなくなるのに…。
もう…どうでもいいんだ。あいつにとって俺なんて。
俺が駆け出そうとすると、和馬は慌てたようにその腕を掴んだ。
「義之様っ」
「その名前で呼ぶなっ」
俺は泣いてる。
泣いてる顔なんて見せられない。俺は和馬の方を見ないで叫んだ。
つながれてる唯一の場所が………熱い。
手をつなぐ以上の繋がりをいつももっているのに。
抱けと俺が和馬に命じたあの日を俺はよく覚えてる。
だって、あれは………俺にとって最低で、最高の命令だったから。
『今日、どこに行ってたんだ』
能の練習後、ちょうど夕食ができる一時間前くらいだ。俺はシャワーを浴びてなお、いらいらしてた。
原因はもちろん和馬。
『今日…といいますと?』
わからない、といった表情で和馬は聞いてくる。
ムカツク…。
『放課後!いつもより迎えに来るのが遅かっただろっ』
遅かったと言っても、たかだか二十分だ。
けど、その二十分が俺にとっては怖かったし、嫌だったんだ。
誰かにあってるんじゃないかな。
誰かに告白とかされてたらどうしよう。
誰かに……。
和馬の身体に誰かが触れて、誰かが和馬の唇にキスをしているんじゃないか。なんて、そんなところまで考えてた自分にイライラした。
和馬はそんなことはしない。
そんなことはわかってる。
俺の命にはそむけない。
俺が命じないと、恋愛すらできない男にしてしまったのは………俺。
『……先生に呼ばれていたんです』
『嘘をつくな』
俺はピシャリと言い返す。
本当は知ってるんだ。
気になって、俺は和馬のクラスに行ってしまったから。
そしたら、和馬と知らない女の子が二人、談笑しながら話していた。そして、和馬はその子に触れながら、呼び捨てで名前を呼んだんだ。
その名前が耳から離れない。
能の練習中も、注意力散漫と父に怒られ、早々と止めさせられてしまった。
イライラする。
もう、嫌だ。
胸が………ぎゅってする。
『先生に呼ばれたのは本当です。先生に私と木さん…という女性徒が頼まれ事をしまして。文化祭のことです。それについて話していたんです』
木さんなんて呼んでいなかったじゃないか。
そう言おうとして、口をつぐんだ。
言い換えた事がむかつくんじゃない。
なんでもなかったように語ったのがむかつくんだ。
俺には、それすらなんでもある行動なのに。
誰かといるなんて駄目だ。
俺とだけ一緒にいればいいんだ。
俺の中で嫉妬が燃え盛った。
嫉妬。
この単語が今ぴったりと俺の心情に当てはまる。
わかってったよ。俺が和馬を好きなことくらい。だって和馬は、カッコイイし、俺にとって唯一無二の存在だったから。
君主の息子を、そう見ない唯一の存在。
まぁ……もう壊されてるけどね…そんな俺のささやかな悦びなんて。
『義之様?』
『……俺の部屋に来い』
『私は個人の部屋には入れない事になってます』
『命令だ。逆らうのかっ』
最低。
分かってるのに、言ってしまった。
『わかりました』
和馬の声に変わりはない。
その換わり、俺の心は痛んだ。
俺の部屋は、広すぎる家の、離れにある。
小さい頃は怖くて、よく和馬と一緒にすごしてた。大きくなった今は、束縛されない離れは俺にとって、やすらぐ場所だった。
『入れ』
呆然と入り口に立ちすくむ和馬に、俺は冷たく言い放つ。
『失礼します』
和馬は、俺の分まで綺麗に靴を並べなおすと、俺の部屋に入ってきた。
俺の部屋は純和風なつくりで、二部屋になっている。
一部屋は机と、本棚、テレビが一応ついてて、隣の部屋は布団をしくだけの質素な部屋だ。
俺はテレビがある部屋を素通りし、寝室に入る。
歩くたびに、畳がきしむ。
俺はそのたびに、和馬へ最低の事を言おうとしてて、そして止められなくなる。
もう……後戻りはできない。
誰かに、和馬を奪われるくらいならっ。
俺はきゅっと目を瞑った。
『布団を敷け』
『……はい』
和馬はふすまを開け、一組しか入っていない布団を取り出すと、畳の上に敷き始める。普段は、お手伝いさんの佐々木さんが敷いてくれるから、重そうに見える布団が、和馬が持つと、ものすごく軽そうに見えた。
俺は敷き終わるまで、和馬をただじっと見る。
『終わりました。義之様』
『その呼び方が嫌だ』
『これは…命令でも変えるつもりはありません。私自身が決めたことです』
和馬の久々の意思の篭った言葉に、俺はちょっと驚いた。
『和馬……が?』
『そうです』
そして、ショックを受けた。
どうせ、オヤジが命じてるんだと思ったから。まさか、和馬が自分の意思で俺をこんな呼び方で呼んでるなんて思ってもみなかったから。
苦しくて、苦しくて…死んじゃいそうだよ。
俺は何も言わず、和馬に背を向けると、唯一俺が身に纏っていた抹茶色の着物を脱いだ。
『義之様…?』
和馬の声が久々に少しだけ変わった。
俺はこうでもしないと動きもしない和馬の心に少し苦笑した。
俺はくるりと向きをかえ、和馬と向き合う。
俺は和馬の吐息がかかるほど近くまで行って、軽く着こなした白い着物からのぞく鎖骨に口付る。
『俺を抱け』
『………命令ですか』
『命令だ』
和馬は躊躇することなく、俺の身体を抱き上げると、布団の上に優しく置いた。
俺は鎖骨あたりから手を差し込んで、和馬の着物を脱がす。
淫らに乱れた和馬の裸体は、ものすごくかっこよかった。
こうでもしないと抱いても貰えない。
普通に思いを告げる事もできない。
俺は涙がでそうになって、必死にこらえた。
『キスをしろ』
『はい』
和馬は俺の唇に優しいキスをする。
触れるだけのキス。でも、何年も待ち焦がれたキス。
俺は嬉しさで震えてた。
和馬の唇も少しだけ震えてるように思えたけど、きっと錯覚。
男を抱くなんて命令すら受け入れてしまう和馬に、動揺なんてあるはずがない。
再び、和馬はキスをする。
今度はディープなやつ。
『ん…』
舌が、俺の口内を行き来して、舐め尽くす。
全てを吸い取られるようにきつく吸われ、そして、唇を甘噛みされる。
どうして、こんな……優しいキスするんだよ。
もう、暴れていいのに。
もっと、怖くして良いのに。
じゃないと、勘違いするから。和馬ももしかして俺が好きなのかなって、俺の良いように勝手に解釈しちゃうから。
『…いいんですね』
『俺が命じたはずだ』
声も、身体も震えているのに気づいたんだろう。
でも、やめるきなんてない。
早く、お願い。
俺を和馬と一つにさせて。
『抱きますよ』
『良いって言ってる!』
何度となく聞いてくる和馬にやきもきして、俺は和馬の首に手を回して、引き寄せる。
『抱け』
もう一度耳元で囁くと、和馬は返事の換わりにもっと熱いキスをくれた。
そうやって、俺は和馬に抱かれたんだ。
和馬は優しくて、優しすぎて、痛かった。
身体はどこも痛くないけど、心が痛かった。
どうして、こんなことしかできないんだろう。
好きなのに、好きなのに!
俺は再び風呂に入りながら、久々に嗚咽を止められなかった。
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