ぱぱコン

−2− −4− 学生モノ


−3−


朝って言えば、やっぱり料理のお音。朝ご飯の匂い。
 トントントンって言う包丁の音が、卵焼きの香りと一緒に香ってきて、眠っている俺を優しく起こす。 
『はい、愛実お弁当』
 あれ……誰?あなたは誰…?
『愛実と、誉ちゃんと、薫ちゃんの分、はい―――』
 誰!?
 まさか―――?
「愛実―っ!起きたか!?」
「うわっ」
 俺の部屋のシンプルなパイプベッドにやっぱりスーツ姿の誉が飛び込んできた。低血圧で朝は弱い俺が、眠気眼だったのに、ばっちり目が覚めた…ってある意味すごい最強な起こし方だと思う。
「…おはよ、誉」
「………ほ・ま・れ・ち・ゃ・ん」
 まだこだわってるのかぁ…。誉もいい加減諦めたらいいのに。
 俺が誉たちを呼捨てするようになって三日。
 始めは………薫が誉を殺しかねないくらい、家の家具や食器を壊したり破ったりして大混乱だったけど…今はちょっと落ち着いた。
 俺の中の違和感もなんとなく無くなって来て、うん、親離れ子離れ成功かな?
「………ほら、俺着替えるんだからどいた、どいた」
 俺はいつも通り冷静に誉を部屋から追い出そうと、ドアを開いて促した。
 誉はいつもすっごい格好良い男なのに、どうしてだか俺の前だとおかしくなる。うーん……テレビの前の視聴者様たち、幻滅だよ?こんなの見たら。
「前は着替えの時だって、誉ちゃ〜ん一緒にしよっ!って言ってたのになぁ〜」
「いつの話だよっ」
 って……小学校高学年までやってた記憶があるから恥ずかしい。
「言ってやろうか?愛実が何歳、何月の何日までそう言ってたか」
 ニッと覗かせる健康そうな歯は、さすが芸能人抜かりが無い。
 誉も薫も俺のことは俺以上に知ってる。だから、本当に聞いたら言いそうで恐い……。
 うっ、と詰まって俺はドアをバンッとしめた。
「愛実〜っ」
 廊下から誉の痛切な声がする。どうやら、鼻かどこか打ったみたい。ふん!日本人なのに、そんなに高いのが悪いんだよっ。
「着替えたらすぐ行くからっ!」
 まだドアの前の廊下にその気配を感じて、俺は内側から叫んだ。
 誉の超絶上手い歌声がだんだんと遠ざかっていくのを感じて、俺はやっと朝の支度を始めた。
 俺の通うブリティッシュ・リーブス学園、通称BL学園は男子校で、制服は今は春だから、既に夏服で、白いワイシャツに濃い緑色のベスト、それに黒いスボンって言う、名前の通りイギリス風なつくりで、それを着るとなんだか気持ちまでシャンとしてくる。
 姿身の鏡に全身を映して、真っ赤なネクタイを器用に締めると愛実は学生カバンの中身をチェックした。
「………ん?」
 今日は数学の授業が無い。だから、教科書を取り除いて置こうと思って取り出したのだが、その間からハラリと白い便箋が落ちた。
「何、これ…」
 手紙を受け取った記憶はない。
 それ以上に、男子校でこんな百合の模様の入った、うっすら百合の香りのする手紙なんて受け渡ししてるなんて、ありえない。
 愛実は触るのも躊躇っていたのだが、このままじゃまた誉が入ってくることも考えられるので、急いでそれを拾って表、裏と丁寧に調べる。
 やっぱり手紙だ。
 そして…。
「…………田宮…愛実様……?」
 俺宛?
 背中の中心辺りから、変な気持ちがこみ上げてくる。
 まさか、まさか、まさか―――っ。
 恐る恐る中を開いてみれば、中からは薄紫色の便箋が数枚と、写真。
「な、なんだ…これ。いつ撮ったって……」
 生徒たちの中で最近写真部やそうじゃないカメラおたくが撮った、人気のある人たちの写真を売買しているのを噂で聞いている。
 愛実は生徒会長として(個人的偏見として?)、それは早々に片付けなければと思っていたのだけれど…。
「まさか、これもその類か?」
 確かに、素人が撮ったようなブレや、ピントずれがほとんどない。綺麗な画質…って褒めてもいいかもしれない。
 個人的にあまり褒めたくはないんだけど。
 その中の一枚をもった瞬間、愛実は顔が真っ青に青ざめた。
 それは、愛実の中でもすっかり忘れていた………いや、覚えていたんだけど、忘れようとしていたというか、なんと言うか薄暗闇に置き去りにした記憶…というか。
 その一時を収めた写真だった。
 なんでこんなものがっ!
 愛実は写真を握りつぶす事も忘れ、真っ青になった顔を真っ赤させた。
 それは怒りからではなく……。
「宵威のせいだっ!!」
 恥ずかしさから。
 だって、その写真は………先日の騒動の数刻前。宵威に無理やりやらされた、初キスの現場だったのだ。
 これも、あれも、それも、みーんな宵威のせいだっ!
 活火山の勢いで手紙をちょうど真中から引き裂くと、愛実はそれをベッド脇ごみ箱へ投げつけた。
 こんなものっ…これで…。
 そう思いながらも、なぜかごみ箱からにらまれている気がする。
 十秒経過…。
「そ、そうだ、授業の準備を…」
 十二秒経過…。
「宿題は、ちゃ、ちゃんとやってたっけ…」
 十五秒…。
「………」
 あああっ!もう!拾えばいんだろっ。拾えば。
 潔癖症の愛実の部屋のごみ箱は、一日の終わりにちゃんと一階のゴミとまとめて、その後洗っているから、今朝のごみ箱にはその写真しか入っていない。
 愛実は少し深い円筒に手を差し込んで、写真を的確に見つけると抜き出して、机の上のテープで張り合わせた。
 引き裂かれた二人のキスシーンが再び復活。
 たとんに、恥ずかしさも復活………。
 カーッと次第に耳のあたりから、心臓まであっつくなってくる。
 落ち着け、落ち着くんだ、俺っ!
そ、それにしても……だ。
そう、問題は俺と宵威がキスをしたことっていうよりも。
「あそこに、後一人………いたっていうのか?」
 本当にそうなら、自分の誉たちとの関係や、宵威と流れでこうなったわけではなく恋人だからこうなったのだと、撮ったヤツは知ってるって事…?
 さっきは背中走った嫌な感じとは違う、もっと冷たい感じの悪寒が背中を走る。
 誰だ…誰なんだ。
 俺の教科書に手紙を挟めるって事は、クラスメイト…。
「いや………」
 俺のクラスにそんな事をするようなヤツはいない。クラスには鍵なんてないから、誰でも入り込めるわけだし。現に休み時間ともなれば、誰が誰の席に座っていようがおかまいなしだ。
 誰なんだ…一体。
 見えない相手に不安がよぎる。
「そうだ―――手紙…」
「愛実―っ?ご飯出来たぞって薫が」
 いきなり声をかけられて、愛実はビクッとして、慌てて写真と手紙を教科書に挟んだ。
 しかし、声は後ろからかけられたわけじゃなくて、階段の下からだったみたいだ。後ろを振り向いてもその大きな姿はない。
「う、うん………わかった」
 わだかまりを残しながら、愛実は教科書をカバンに入れて、カバンを持ち直し下がっていった。
「おはよう、愛実」
 薫が真っ白いワイシャツに深い藍のスーツズボン、そしてその上に真っ赤な不釣合いだけど、なぜか薫には似合ってしまうエプロン姿で、上手に焼けたサンマを持ってきた。
 この家の誰よりも料理が上手い薫は、仕事がら家にいることも多いからって、料理は薫の仕事…みたいになってる。
「おはよ、薫……なんだか顔色悪い」
 いつもどおりの艶のある声なんだけど、少し掠れてて。
 それはまた、それで薫だから格好いいんだけど。
 でも、綺麗な栗色の髪がかかる目がトロンとしてて、頬にはいつものピンクの色がない。
「仕事明けだからだろ。愛実が心配しなくてもいつものことだ、馬鹿は死ぬまで馬鹿だからな」
 間髪いれず、いつもどおりの位置である俺の隣に座った誉が言った。
 あ、なるほど。〆切明けね。
 誉の仕事は恋愛作家だから、〆切前はものすごい忙しいみたい。
 俺が知ってる限り、〆切前はいつも忙しくなる。他の作家さんとかもそうなのかな。
「………愛実、時計も見れない馬鹿の戯言は聞かなくていいからね」
 時計?
 俺が時計を見ると、七時十分。誉がいつも出て行く時間は…七時四十分だから、まだまだのはず……。
 俺がそんな事を思いながら、薫ご自慢具一杯味噌汁を飲んだ瞬間、俺の後ろのドア―――玄関からリビングに繋がる扉が開いた。
「誉さん……今日は朝早くスタジオ入りするって言いましたよね…私」
 姿より言葉が先に飛び込んできたこの人は、二十代後半なのにその業界じゃこの人ありと呼ばれる敏腕マネージャー…工藤ヒロタカさん。
 誉が芸能界に入った頃からのマネージャーだって言うけど、一体何年やってるのかは教えてくれない。
「おはようございます、工藤さん」
 工藤さんがいきなり家宅侵入してきたっていうのに、誉は一人ネクタイを調えたり、声の調子を確かめたりしてるから、替わりに俺が挨拶すると、工藤さんはそのキッチリとした顔をニコッと笑って見せた。
 この人は誰にでも頭を下げるわけでもなく、誰にでも愛想を振り撒くわけじゃない。だからこそ、こういうたまにの笑顔が映えるのか。
「おはようございます。愛実君」
「てめぇ、愛実をみるんじゃねぇ。もったいないっ」
 もったいないって…別に、俺見られたら減るとかそういうんじゃないんだけど。
「誉、あのねぇ…」
 俺が誉に文句をいおうとしたら、工藤さんはすかさず俺の耳元に口を寄せた。
「誉さんは、私を警戒しているんですよ。私が貴方を芸能界へ連れ込まないか…をね」
「タカヒロッ」
 まるで愛実の可愛い耳を弄っているかのような工藤の仕草に気づき、身支度途中の誉は隣の部屋からヤジを飛ばす。
「俺、芸能界には入る気ない…って…言ってるのに。まったく誉は…」
 俺は端から芸能界にこれっぽっちも興味は無い。小さい頃一回だけ出たことがあるらしいんだけど、その映像を探してみる気もないし、誉や薫も俺に芸能界への憧れを抱かれちゃこまる、と絶対に見せないし。
「おい、支度出来たぞ車回せ」
 横柄な態度でさっきより一割増くらい格好良くなった誉が隣の部屋から出てきて、工藤さんに命令する。
 世間をにぎわす政治家かなんかより、よっぽど性質が悪いよ…。
 まったく。
 工藤さんはそんな誉に気前良く返事をすると、誉がこちらを見ていない数秒を見計らって俺に一枚の厚紙を手渡した。
「じゃ、ね。愛実君。気が向いたら連絡して」
「工藤さんっ」
「工藤―っ!」
「はい、ただいま」
 バタンと音がした後、車がすぐに出発していった音がした。誉のポルシェじゃない。工藤さんのベンツだ。たぶん、すぐに出かけられると思ってエンジンはそのまんまだったんだと思う。ベンツなのに無用心…。
 でもきっとあの工藤さんのことだから、たぶんセキュリティーとか保険とか万全なんだろうけど。
「愛実、さっきあの男と何話した」
「へ?」
 薫を見ると、引きつった笑顔で俺の手中を睨んでいる。
 ばれてる…?
 手の中が汗でびっしょりになりながら、なんとか俺はそのブツを隠した。中身はわかってるけど。
 工藤さんの…名刺だ。
 詳しく言えば、工藤さんがマネージャーやってる誉の所属してる事務所、SBC事務所の電話番号が書いてる…名刺。
 もらったのはこれで何枚目かわからない。
「………言っておくけど、あの低脳馬鹿と同じ職種なんかに…」
「ごちそうさまでしたっ」
 これ以上ここで話してたら、電車に乗り遅れる、と俺はオレンジジュースを最後の一滴まで飲み干して、Pコートを着込んだ。
 そして、そのコートのポケットに名刺をガサッと放り込む。
 制服は夏服だけど、まだちょっと肌寒いから、生徒はみんなこうやってコートで調整してる。
 なんでこんな時期から夏服なんだか、ちょっと学園長に一度問い合わせてみたいもんだ。
「あ、愛実っ!これ」
「ん?」
「はい、愛実お弁当」
「!?」
 あれ、このシーン………今朝の夢みたい。
 薫が差し出した大きめの紙袋に手をつけず、愛実は一瞬のうちに固まってしまった。
 愛実の不振さに気づいた薫が、眉と眉の間にしわをつくって、聞き返す。
「愛実?」
「あ、うん……ありがと」
 でも、あの夢の中でお弁当を渡してくれたのは薫じゃなかった。
 だって、夢の中の人は。
『愛実と、誉ちゃんと、薫ちゃんの分、はい―――』
 って言ってた………はずだから。
 あ〜、もう!夢だから曖昧すぎる。もしかして、本当に夢なだけかも。母さんがいたらなどうだったかな、って言う夢。そうかもしれない。だって、この家に俺の記憶の限りじゃ、女の人がいた記憶なんてまったくないし、まして、薫と誉以外の人がいた記憶だって…。
 あれ、じゃあ俺どうして二人のこと『誉ちゃん』『薫ちゃん』って呼ぶようになったんだろ。
 二人の呼び方はお互いに呼捨てだし…。
 もしかして、俺が忘れてるだけで……もう一人…いた?
「愛実?どうかした?」
「………いや……も、行くね…っ」
 わかんない事に頭を悩ませていては、ますますわからなくなる。
 とにかく、とにかく昔の記憶が蘇れば…。
 って言っても、物心つく前のことだから、本当に思い出せるのか微妙だけど。
 愛実は朝から特大級のため息をついた。
 そんなこんなで悩んでたから、手渡された紙袋の異常な大きさに愛実は気づかなかった。
「……なんかこれ、大きくない?薫……」
 薫は〆切前か、仕事の大詰めが来ていなければお弁当をいつも作ってくれる。料理上手な薫のお弁当は絶品なんだけど。
 今日はなんか……重いよ。
「ああ、それは…」
 薫は愛実に持たせた袋の中に手を突っ込んで、その中から二つのお弁当を取り出した。青とピンクのハンカチで包まれたそのお弁当は、青色の方が一回りくらい小さい。
「何これ」
 なんで二つ?
「愛実用と宵威用」
「っ!!しょ、宵威用?」
 な、なんで薫、あいつの分まで作ってるのさっ!
 動揺して紙袋をかしゃかしゃ言わせながら、愛実は薫の真意を読み取るべく薫を覗き込む。
 薫は相変わらずなエンジェルスマイルでニーッコリ笑うと、ピンクの包みのお弁当をまず袋に戻した。
「こっち。このピンクの方が愛実用」
 そして、青い方を乱暴に袋に戻した。
「この青い方は宵威用。間違えちゃ駄目だよ〜。絶対。」
「………薫…」
 厳重に間違えるなと繰り返すと所をみると…何か入れた?
 さすがに三日ぽっちじゃ、納得もなにもあったもんじゃなくて。あれ以来暇を見つけては宵威は家に来てるけど、ほとんど門前払い状態だ。
 でも………。
 俺としては、宵威に秘密を話してもおかしいって思われなかったのがすごく…すごくなんだか嬉しくて、宵威に対しての自分の気持ちが…少しだけ変わった気がする…んだけど。
「必ず渡して、ね」
「うん………」
 まぁ、もしも学校ですれ違ったら渡すか。
 愛実はそう思うと、その大きめの紙袋を抱え直し家を出た。
 だって、愛実の気持ちが今少し変化したからと言って、学校内でお弁当を渡すなんてまるで恋人みたいなこと愛実様に出来るはずがなかった。
 なんてたって、BL学園一美人で有名な生徒会長様のお弁当………。もし手渡しで後輩になんかあげてたら、噂は一分足らずで校内を駆け巡り、職員室ですら話題に取り上げられるだろう。
 愛実はそこまで考えてはいないだろうけど…それでも、一般常識というか、モラルというかで、とにかく本気でこのお弁当を宵威に渡しに行く気はなかったのだ。
「愛実さんっ、おはようございます」
 閉まりかけた電車のドアを走って乗り込んできたのは、年下なのに愛実より十センチ以上高い身長に、女受けする顔立ち、栗色の髪をなびかせるBL学園学生会会長芦屋宵威―――基、愛実の恋人。
 朝っぱらから何故だか嬉しそうに声をかけてきた宵威の笑みにつられて、愛実も少しだけつむんだ小さな唇を緩める。
「ああ、おはよ」
 恋人…だとは、一応告白を受けて返した自分としては、認めてはいるんだけど。いや、そうではあると思うんだけど、愛実の態度は別に甘くなったり、崩れたりはしなかった。さすが愛実様というか、なんというか。
 それでも、その愛実に朝の挨拶をもらえただけでも至福の喜びである宵威は感激で今すぐ愛実に抱きつきたいのをどうにか抑え、愛実に変な輩の手が伸びてこないか警戒し、自分の身体で愛実と他の客との間に壁を作る。
「今日も可愛いです。愛実さん」
 でもどうしても抑えきれず、転んだ振りして愛実の耳元に口を近づけ囁けば、とたんに愛実は真っ赤になる。
「しょ、宵威っ、お前」
 朝のこの電車は通称痴漢電車なんて嫌なネーミングがつけられてしまうほど人が多い。
 いきなり大声を出した愛実に、数人のサラリーマンと制服姿の男たちが視線を向けた。
 愛実は宵威の影で小さくなりながら、恥ずかしさと宵威の告白で真っ赤になった顔を隠した。
「………いきなり変な事を言うなっ」
 今度こそ小声で文句を言えば、宵威は不思議そうに聞いてくる。
「何故です?僕の可愛い恋人は本当に素敵で、綺麗で………それを伝えたかったんです…どうしても」
 愛実のパパたちの事…つまり、愛実が他人に言わない秘密を知ったことにより、宵威の恋人気分はまさにうなぎのぼりの最中なのだ。
 自分のことを他人にそこまで褒めちぎられて、愛実はもう何を言っても無駄と頭を下げた。
「……わかったから…頼むから、あんまり言わないで…っ」
 愛実のあまりの可愛い態度に、宵威は愛実がつかまっているつり革の上の手の上に、自分の手も添える。
「じゃあ………こうしてていいですか?」
 目で確認はしてない。
 けど、手の温もりが伝わってきて、手がどんな状態かわかる。
 愛実はそのままずっと学校前の駅につくまで顔をあげず、掌がどんどん汗ばんでいくのだけを感じていた。
「じゃあ、愛実さん。放課後」
「ああ」
 電車から降りると学校はすぐそこ。
 いつもどおり玄関先で宵威が行くのを見送って自分もさあ靴を脱ごうとして、愛実は自分の持っている手提げに気づく。
「あ!!」
 お弁当………。
 そう思って玄関を見ても、すでに宵威の姿はなかった。日直かなんかがあったのか、早々に行ってしまったんだろう。いつもなら、愛実が追い払わないと歩いていかないようなやつだから。
「さっき渡しとけばよかった」
 紙袋から取り出しかけていた青色の小さいお弁当箱を袋にしまい、愛実は玄関へ歩いて言った。
 
「さぁ、昼だ昼!愛実、今日は学食で買うのか?」
 既に休み時間にパンを二つほど平らげていた隆二が、待ってましたかと言うように学食に誘うので、さすがの愛実もちょっと呆れ顔。
「いや、俺は今日お弁当……あ、そうだ隆二」
 結局朝以来宵威と会うことのなかった愛実は、薫が宵威用に作ったお弁当をこの際隆二に上げてしまおうとかと思って、サイフをもって今にも駆け出しそうな隆二に声を掛けた。
「……あれ」
「なんだよ、愛実。さっさと弁当持てよ置いてくぞ」
 紙袋の中を必死にずっとあさっている愛実を不審に思い、隆二は愛実の後ろからその袋を覗き込む。
「なんだよ、弁当はいってんじゃん」
「いや………そうじゃなくて」
 一つ無い。
 ちょっと待てよ…。お弁当は今朝、薫に二つ渡されたんだよな?俺用のピンクのと、宵威用の青いのが。
 袋に入っているのは、ピンクに包まれたお弁当だけ。
 おかしい…じゃあ、宵威用のはどこにいったんだ?
「何が、そうじゃなくて、なんだよ」
「うぅん……いいや、なんでもない。悪い、行こっ」
 どうせもうあげるつもりなかったし、弁当箱は無くなちゃったけど別に高いものでもなかったし。
 愛実は自分用のピンクのお弁当の包みを持って、学食に向かった。
「愛実――」
 こっち、こっちと手招きするのは、いつも早めに学食に来て場所をとってくれている正宗。
「なんだよ。呼ぶのは愛実だけか?つーか、いつもと場所違うじゃんか」
 お腹がすきすぎてイライラしてるのか、隆二は正宗に食って掛る。
「今日は混んでて……いつもと違うところになった。悪い愛実」
「いや、別に構わない。いつも悪いな」
 普段笑わないわけではないけれど、堅物というイメージのある愛実がフンワリとした笑顔をを向け、正宗の労をねぎらうと、正宗は思わず頬を赤らめた。
「なんだ正宗。謝るのは愛実だけかよ。俺は構うんだけどな」
「………悪かったな、隆二」
「ほぉう…そういう態度かい」
「おい、隆二。お前学食だろ、早く行って来いよ」
 既に食品受け渡し口は、生徒たちで埋め尽くされている。
「うわっ…混んでやがる…。愛実、先食ってていいからな」
「ああ」
いつもなら待っているところだけれど、 既にお昼の時間は結構過ぎてるし、あの混みようじゃ十分十五分は帰ってこられないと判断し、愛実はお弁当の包みを開く。
正宗はだいたいお弁当だ。やはり運動部だからなのか、愛実のお弁当より二倍はありそうだ。
 正宗がその中の一つ、鯵の塩焼きにはしをつけようとした瞬間、隣に座っている愛実が固まっているのに気づく。
「愛実?」
 普段クールと呼ばれるその顔は不可思議なものでも見たようにヒクヒクと動いている。愛実の目の前にあるとすれば、薫さんが作ったであろうお弁当だけなのに。
 正宗はその弁当を覗き込んで、無口で無表情な彼には珍しく驚く。
「…何だ…これ」
「薫………自分が間違えてるんじゃんか……」
 そう。愛実が開いたのはちゃんとピンクの包みだったのだが、どうやら間違えたのは薫らしい。
 薫は別に中身をどうのこうのしたわけではなく、その盛り付けにこだわっていたようだ。
 お弁当はいたって普通のつくりで、右半分におかず、左半分に真っ白いご飯。おかずは普通なのだが、問題はご飯の方。
 ご飯の上に、真っ赤な食紅で『死ね』と書かれていた…。
 子供じゃないんだから、まったく…。
 愛実は一口もつけずそのお弁当のフタを閉じた。
「どうしたんだ、これ」
「薫が………あいつに渡せって作ったヤツの方だったみたいで…さ」
 あいつ…と言葉を濁しても、正宗にはわかる。
 これでも、愛実を見つづけてきた一人だ。
 すぐにピンと来て、そいつを今すぐに殴り倒したい気分になる。
「愛実の方の弁当はどこだ?教室か?もってくるか」
「いや………盗まれたらしくて、ないんだ」
「盗まれた!?」
 いきなり耳元で隆二の声がして、二人は驚いた。
 いや、驚いたのは二人だけではない。学食利用中の生徒の視線がほとんど集まった。その中でも愛実シンパたちは、愛実が学食に来たときから意識はしていたから、盗まれたというどう考えても平和ではない言葉に、ピンッと耳を大きくする。
「どういうことだ、愛実っ!」
 やっかいなヤツに聞かれてしまった、と愛実はフゥとため息をついた。
「どうも、こうも…そういう事。まぁ、別に弁当の一つや二つ…」
 愛実にすれば、損害は定価数百円のお弁当箱と包んでいたハンカチ、それに二百円程度の一食分なのだから、がたがた騒ぐことでもないと思うのだが、隆二、正宗を含む全校生徒の反応は違った。
 たとえ、愛実が作ったものではないにしろ、あの憧れの田宮愛実さんのお弁当を食べられるということは、感激以上の何モノでもないのだ。
 過去数回、愛実の目を盗んで、お弁当を獲ろうとした馬鹿な輩がいたけれど、それらは全て正宗の一撃によって倒され、愛実の五メートル以内に近づかない事を約束された。
 正宗に倒れさても、隆二に睨まれても、それでもゲットしたい一品!
 それが、愛実のお弁当なのだ。
 のんきに『死ね』と書かれたお弁当を食べ始めようとする愛実の前と隣にいた男はサッと立ちあがると、血相を変えて込み合った学食の人ごみを進んでいく。
「りゅ、隆二、正宗、どこいくんだよっ」
「決まってんだろっ!犯人捕まえてやる」
「……愛実、俺の弁当やるっ」
 ちょ、ちょっとおい、二人とも〜!
 ひきとめる間もなく、二人は足早に学食を出ていってしまった。
 愛実は一人その騒ぎの中取り残され、立ち尽くす…。
 一体、どうしたっていうんだよ…たかが弁当の事で。
 呆れながらもなんだか周りの視線が気になり、きょろきょろと見渡すが、別段誰とも目が合わない。
 それもそう、皆先ほどの騒ぎを聞きつけているから、愛実の周りに怪しい人物がいないか、遠巻きに見張っているのだ。
 なぜ遠巻き?
 それは、近づいたら近づいたで、生徒会メンバーやその他超熱狂的シンパたちに半殺しの刑だから。
 鈍感愛実さんでも、さすがにこの空気の変な感じには気付いたのかいられなくなり、正宗の弁当と自分の……宵威用であろう弁当を抱えると、正宗たちが出ていったドアから、自分も出ていった。
 その後、学食内は、愛実の弁当事件で話題が持ちきりになってしまったのはいうまでも無い。

 そして、ここはBL学園の某所。
 愛実の写真いっぱいに包まれた自分だけの秘密の部屋で、その男は今朝見た愛実が大事そうに持っていた紙袋の中身である青色のハンカチで包まれた箱を大事そうに見つめていた。
「ふはは…愛実の……俺の愛実の弁当…だ」
 作っているのは母親か、祖母か、はたまた愛実自身なのか。
 愛実の素性はそれほどわかられていなかったのだ。お弁当を誰が作っているかも分からないほど…。
 まぁ、それは…愛実が故意隠しまくってるからなんだけど。
 誰が作ってても構わない。だって、それでもこれは一時、愛実が手にしていたものだから…それだけで十分盗む価値があった。
 最近撮った一番のお気に入りの写真の愛実に何百回目かのキスをすると、男はニヤリと笑った。
「じゃあ、頂くね。愛実………」
 そう囁いて、包みを開いて男はすぐにその機嫌を百八十度変えた。
「………なんだ…これは…」
 そう、そのお弁当こそ、薫が今朝丹精込めて愛実の為に作った代物で。
 そのご飯の上には、薫の愛が込められた文字が書かれていた。
「……LOVEだってぇぇ!?」
 この男は愛実の複雑な家庭環境なんかしらない。
 それだから、お弁当にこんな事を書くなんて、家族じゃ考えられないとすぐに判断してしまったのだ。
 そして、この怪しい男の思考回路は、すぐに悪い方悪い方へと進んでいく…。
「まさか…まさか…これは…誰かへ愛実からあげるものだったのか…?」
 そう思うと、愛実の弁当も価値は大幅に変ってくる。
 男は一口もつける前に、弁当を手から滑らし足元に落下させてしまった。しかも、見事裏返しになったおかげで、お弁当は見るも無残な姿に。
「………恋人……恋人…か!?」
 愛実の写真に問い詰めてみても、もちろん答えはなし。凛とした制服姿の愛実が綺麗に写っているだけだ。
 この愛実に恋人………?
 誰かが……誰かが……愛実を汚した…。
 愛実に恋人なんかできちゃいけないんだ。愛実は俺の宝石、俺のお人形…俺のプリンセス。
 男は立ちあがると、BL学園のとある場所に作られたマイルームから飛び出した……。
 彼は彼で………妄想の(実はいるっ!)愛実の恋人を……落とし入れるために…。

 愛実の弁当が盗まれたという話は、すぐさま学食を飛び出し、二学年広まり、そして一年生、三年生へと広まった。
 そうなってくると、当然……宵威の耳にも飛び込んでくるわけで。
 それをききつけた宵威は慌てて二年A組―――愛実のクラスへと走っていった。もう既に、昼休みは終了する時刻だというのに。
「愛実さんっ!」
 教室の扉を壊さんばかりで入ってきた宵威の姿に驚いたのは、クラスメイトたちだった。
なぜなら、この学校の中で愛実の事を『愛実』と名前で呼ぶのは、隆二、正宗に続くクラスの数名と、生徒会役員だけ。一応学生会会長とはいえ、たかだか一年が天下の愛実の名を叫びながら入ってくれば、驚くのも当然と言うものなのだ。
 驚くと言うか…不審に思うと言うか。
 ただでさえ、お弁当事件でみんな気がたっているのだ。
 それというのも、愛実はお弁当がなくなったはずなのに、学食から返ってくるとき彼は二つの弁当を抱えて帰ってきた。
 一つは愛実と仲のいい正宗の愛用している弁当箱だとすぐにわかったけれど、もう一つ…もう一つは確かに愛実のものだった。
 じゃあ、愛実のなくなった弁当って言うのは…誰用のもの?
 その疑問が、頭の回転の速い生徒の中には浮かびあがっていたのだ。
 そんな時に登場した………憎らしいくらい良い男。
 そりゃあ……警戒もするだろう。
「何か用かい『愛実さん』に。学生会会長……1年A組芦屋宵威君」
 みんなが謙遜する中、話し掛けたのは、このクラスで愛実たち三人の次に美形だと評判のここのクラス委員長だ。
 インテリ系の眼鏡のズレを直しながら、大人な態度で対応する。
 走ってきたせいであがっている呼吸を直していると、宵威もだんだん冷静になってき、思わず『愛実さん』と呼んでしまったことを、思い出す。
 宵威としては、変な誤解(むしろ本当)された方が嬉しいのだが、愛しい恋人はシャイでそして純情な愛実なのだ。
 もし、このことがばれたら、絶交なんて言い出さないとは考えにくい。
 心の中で苦笑しながら、とりあえずその事を訂正する。
「…友人と田宮先輩の事を話すとき、いつも『愛実さん』と読んでいるので、そのクセがつい出てしまいました。田宮先輩にはこのことを内密に」
 情熱的な愛実シンパの一人である委員長はその言葉を聞き、ほっとしたのか、さっきよりはまだ誠意のある話し方になる。
 あくまで、まだ。
「……そうか。ああ、注意した方がいい。愛実は名前で呼ばれることは嫌うから」
 わざと愛実という名前にアクセントをつけて言われて、宵威はピクッと眉を動かし、表情を曇らせる。
 いますぐにでも愛実と自分との関係を暴露してしまいたい気分なのをどうにか理性と言う名の最終兵器で押さえ込むと、本題に入る。
「………ところで、その田宮先輩はいらっしゃらないんですか」
「ああ、今はね。君もあれか?愛実の弁当の事を聞きつけて来たクチか?」
 確かにそうなのだが、コイツは確実に宵威の事を一ファンとしてしか捕らえていない。無知とは時に恐ろしいものだ。
「君なんかが心配しなくても、愛実の事なら大丈夫だ」
 カチン。
 宵威の頭の中で、軽快な金属音が鳴り響いた。
 君なんか…?
 そこまで言われては、彼氏の名が廃る。
 宵威は憤る気持ちを抑えられず、委員長の前に一歩進み出る。
 委員長だって大の高校二年生だから小さくはないのだが、宵威よりは劣る。しかし、それ以上に彼が小さく見えてしまうのは、軟弱な身体のせいだろう。
 宵威は幼い頃から武道をたしなんでいて、段持ちだから大体の人は宵威より劣ってみえるのだが、委員長は別格でそうだった。
 なんせ、勉強一筋十五年なお人だ。
 ちなみに、二年前に愛実に出会い、フォーリンラブ。勉強プラスαとなったのは…言うまでも無い。
「………今、なんていったんだ…?」
 宵威の優等生の顔が破れ、低い男の声で威嚇すると、委員長はその豹変振りに驚き後ろにこけそうになる。
「な、な、なんなんだ君は!俺は先輩だぞっ、敬う気持ちを持てよっ」
 慌てふためきそんなわけのわからない理屈を喚く委員長の姿を、宵威は鼻で笑った。
「尊敬に値しない先輩は敬わないことにしてるんです、俺」
「くっ!」
 まぁ………この世で尊敬できる先輩なんて、愛実さん一人でしょうけど…実際。
 ここでこの委員長といくら話をしていても埒があかないと、宵威は踵をかえす。すると、その筋肉のついた腕を、後ろから掴また。油断していたから、思わず身体がガクッと揺れた。
 嫌々で後ろを振り返れば、腕を掴んでいたのはやっぱり委員長さん。
 ため息をつきながら、その行為の謎を問う。
「……何か用でしょうか」
「まさか、お前じゃないよな……」
「は?」
 こういう文体の言葉を聞かされると、ものすごくイライラしてくる。どうせ言うなら、最初から主語も沿えてしっかり言えばいいんだ。
「……はは…まさか、な」
 委員長は自らの早まった行動をあざけ笑うかのように、微笑すると宵威を掴んでいた手を離した。
「何の事を言ってるんですか」
 愛実を早く見つけに行きたいのに、こんな意味深な会話を残されては、動きたくても動けないと言うものだ。
 宵威は急かすように聞くと、委員長は再び最初の余裕の笑みで大きく笑った。
「いや、まさか君なわけがないよな。ああ、ごめん。ごめん」
「だから、説明しろよっ」
 思わず大声で叫べば、クラス中の視線がドア付近に集まる。
 宵威はその痛い視線を一瞥で振り払うと、冷静になってもう一度聞く。
「……先輩の話には主語も何も無くて、理解しかねます。説明してくれませんか」
 話す気なんてさらさらなかったのだが、あまりの宵威の気迫に押され、もともと意思の強い方ではない委員長は、渋々ながらも口を開いた。
「……愛実は今日お弁当を二つもってきたらしいんだ」
「二つ?」
「ああ…そうだよ。ただ、誰に持ってきたのかは不明なんだ」
 愛実がお弁当を作っているとは聞いた事がないから、たぶん作ったのは薫さんだろうけど、持ってきたからには、たぶん……自惚れじゃ無く俺用だったと思うんだけど。
 誠意のこもったお弁当とは程遠い気はするけど。
 それでも、じゃあなぜ…愛実は朝……言ってくれなかったんだろう。
 一言、たった一言、『薫がもっていけって言ったから』とかなんとか照れながらでも言ってくれたらよかったのに。
 なぜ言わなかった…?
 いや、もしかして、故意に言わなかった…?
 そう思ってしまう自分が醜いのだろうか。愛実が他のやつに惹かれ、俺以外の人にその弁当をあげようとしたとは考えにくい。だとしたら、愛実はその弁当をどうするつもりだったんだろう。
 答えは一つ。
 誰にもあげる気がなかったのではないだろうか。
 宵威の中で、そんな回答が浮かび上がり、自分でも悔やまれる。
 一瞬でも、そんな考えを思ってしまった………自分の嫉妬の心。
 弁当の話を切り出してから、曇り始めた宵威の顔色を見て、少し嬉しくなったのか委員長はなれなれしく宵威の少し高い位置にある肩をポンポンと叩く。
「まぁ、君もショックだろうけど………君なんかが貰うことは一生ありえないんだし、憧れで終わっておくのが丁度いい……」
 そこまで言って、言葉が途切れた。
 鋭いほどに光っている宵威の怒りの瞳とぶつかったからだ。
 狼のようなその目に睨まれ、委員長はこれまでにない恐怖を感じ、本能的に宵威から大幅に離れる。
 まるで、傍にいるだけでナイフで切りつけられているかのような感覚。
 一言も発さずして、キャンキャン吼える雑魚をひねり潰すと、宵威は優等生に戻る。
「では、田宮先輩が戻ったら、来た事だけお伝えください。俺はこれで―――」
 宵威の落ち込んでいるのはけして自分がそれをもらえなかったからではない。
 愛実の……愛実自身が気づいていないであろう部分を……想像してしまったから。
 二年生の教室の連なる廊下を歩きながら教室に向かう途中も、始終宵威の表情は暗い。
 確かなものが何一つ無い自分たちの関係………。
 掌をぎゅっと握り締め、深いため息をついた。

続く。


−2− −4− 学生モノ


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