キスで惑わせて

-2- 学生 小説


-1-


二十一世紀も入りその軌道にのった現在でも、平成の匂いのまったくしない場所がここには存在していた。
 町の名前は、千廓町。
 その昔、千以上の廓があったことからその名前がついたとされるこの町。
 昼よりも夜の人口の方が多いとされているこの町の収入源は、それはやはり夜のお店。短いスカート、胸の谷間が見える服を着た若いお嬢さんが客引きをする姿、また可愛らしい容貌の少年が男や女にそれぞれの要求に金さえもらえればなんでもするといった店、犯罪に関わるような多種多様な店が存在する中、千廓町の外れに位置しながらも、どの店よりも存在感があり、そしてどの店よりも有名な店がそこにはあった。
「ぁっ、んんっ……っ」
 涙を浮かべながら、身体に触れてくる手に無理矢理与えられる快感に必至に抵抗を見せるが、誰よりも甘く艶やかで色めいた声は本人の意思とは関係無く零れ落ちる。
 高級遊郭【佐倉】は、不況知らずの、法いらずな夜の世界。
 毎夜毎夜、防音になった各部屋では女達の淫らな声が、男達の欲望の吐息と共に充満している。
 平成のこのご時世で、大正時代のその廓の姿そのままで営業を続ける佐倉は、貴重な重要文化財といえばそうなのかもしれない。
 しかし、現実は想像よりももっと残酷なもので。
 国の役人や、外国から訪問してきた大統領、官僚、またテレビなどで活躍する顔の売れた有名人などもこの廓を利用する事から、無法地帯と化しているのだ。
 需要と供給の一致、とでも言うのだろうか。
「ああ、花月……お前は、綺麗だそして美しい……」
「っ……ふっ、うっ……」
 佐倉の夜は長い。
 欲望が渦巻くこの夜は一体いつ終わるのか。

 「いらっしゃいませ、榊原様」
 佐倉の受けつけの無駄に化粧の濃い女が、俊貴をを見るなり頬を染めて明るい声を出す。
俊貴はさも相手にしないようにその女をいつものように一瞥した。
 十六才、現役高校生その本名、東雲 俊貴。
 亡くなった母は所謂良いところのお嬢さんで、資産家の娘だった。そして父は、東雲高貴といわれたら、日本の八割が「ああっ」と声を出すほどのカリスマ政治家。テレビやラジオ、地方営業などにも頻繁に顔を出している現在は、代議士としてその地位を気づいているが、十年後には日本を支える政治家の一人になっているだろうと専らの噂。
 そして、そんな二人の髄を集めたかのような息子は容姿、頭脳、運動神経ともにパーフェクトと呼ばれる青年に成長しつつあった。
 その性格以外は。
 幼い頃から神童ともてはやされたこともあり、現在の成績うんぬんもあってか、自分に出来ない事はないと断言してしまう超俺様気質な男に育ってもいるのだ。
 日本の総理大臣も一目置くと言われている彼は、若干16歳にして未来の総理大臣候補として噂の的だ。
 しかし、彼は強い意思の持ち主でもあった。
 自分が小さい頃から持ち上げられるのは、父や母の影響だという事は明らかだった。それが嫌で、彼は中学にあがると同時にその名前を使わなくなった。
 もちろん学校や社会の公式の場では東雲と名乗らなくてはいけないのだが、ビジネスの場では自由だ。それがネット上となると更にそれは開放的になる。
 高一にして株取引歴4年。
 生まれながらの才能と、運を考慮し多額の金をはじき出す。
 現在では会社も数社動かし、親からの援助はまったく受けずに悠々自適な生活をおくるまでだ。
 しかし、榊 俊貴は二十二歳の正体不明の青年実業家だ。
 社員には、俊貴の秘書の芳川を俊貴だと偽って紹介してある。
 昼は生意気な天才高校生、しかしその正体は会社と株を数多く所有するやっぱり生意気な十六歳。
 このことを知っているのは芳川と俊貴だけだ。
「アゲハを出せ」
 尊大な態度で俊貴は受付の女にそう告げた。
 この店でナンバーワン女郎のアゲハは、俊貴のお気に入りで、そしてアゲハも俊貴を気に入っていた。
 二十五歳のアゲハは十三歳でこの世界に入った、若いのにすでにベテラン女郎だ。
 アゲハを買う客はおもに政治家の年配組み。つまり、さすがナンバーワンだけあって権力も金も地位もある男だけなのだ。
 アゲハを買う事ができる事イコール自分の実力を計る目安にもなっていた。
 一晩アゲハと共にするためには、百万以上の金が動く。これがこの店の最高額だが、それでもアゲハを買う男は絶えないという。
 このご時世、この佐倉だけは不景気しらずの万年バブルエリアだ。
「と・し・き」
 受けつけをすませていた俊貴の目を隠すように両手で多い、後から覆い被さってきた声に俊貴は顔も見ずに当然のように声をかける。
「アゲハ」
 若い客は俊貴だけというわけではない。が、最年少は間違いなく俊貴だ。
 安い女郎の中には、1回数十万という子もいなくはないので、金持ちしかこれないというわけではないのだが、ここ佐倉は金持ちがくる場所というイメージがみんなに行き渡っているせいか、青二才の若造が来る場所ではないとされている。
 夜の卑猥な空間を楽しみにくるわけだから、俊貴のように黙っていても女がどんどん酔ってくる若い男には必要のない場所だからかもしれない。
 俊貴もアゲハという極上の女を手に入れる事が出来たのは嬉しい誤算で、当初の目的は偉い官僚共からの情報収集という陰謀が隠されていた。
 親の力でなりあがるつもりはない。少しでも早く自分自身の力で自分自身を世界に認められる人間にする。
 そう心に決めた、若干高校生の俊貴の見つけた打開策は、ここ佐倉で情報収集し成りあがるという方法だった。
 もちろん正攻法ではないが、そんなことを言っていられる余裕があるほど俊貴は大人ではないのだ。
「いらっしゃい、俊貴」
 アゲハは俊貴から手を放すとまるで本物の蝶々のように身に纏った真っ赤な着物を翻し、俊貴の前に立った。
 艶やかな姿のアゲハに、受付をしていた他の客も目を奪われ、あの女は誰だ、あの女が買いたいと口々に騒ぎ出すほどだ。
 もちろん、B級のお客や金のない客が買う事など一生不可能な女なのだが。
 肩まで伸ばした黒髪は、まるで市松人形のようで、触れると止めど無く流れる。
 おしろいを綺麗に塗った頬は白く、キリリとした瞳は俊貴が今まで出会ったどの女より美しい色をしている。
 しかし、アゲハがナンバーワンになるのは、容姿と夜の奉仕のテクニックだけではない。
 その風貌から放たれる雰囲気、言葉、声。全てが男達を魅了しているのだ。
「どうしたの、今日は早いわね。先に飲んどく」
「いや……それより、仙道先生は来たか」
楽しみもさて置き俊貴が情報収集し始めようとすると、アゲハはフフンと笑った。
「来たわよ。じゃあ、お部屋で話しましょ。この前は聞くだけ聞いてかえるんだもん。今日はちゃんと気持ち良いことしてってね」
「ああ、わかった」
 アゲハは俊貴を誘うようにウインクすると、自らに与えられている仕事部屋へいつものように俊貴を通す。
 いくら佐倉が上等な店だと言っても、部屋や女にはピンからキリまである。
 ある部屋は、前の客に抱かれた香りが消えないうちに次の客の相手をすることもあるらしい。
 そんな部屋で欲情できる男も男だ。
 プライド高く、王子様気質の俊貴ならばまず居ることさえできないだろう。
 アゲハの部屋は文句ナシの一等室だった。佐倉は全体的に和風に作っていて、窓には障子が張られ、部屋部屋の床は畳で埋め尽くされ、そして寝床はベッドではなくフトン。
 セックスするためだけに準備された空間なのに、アゲハの部屋は十畳以上あり、絹で出来た特注品のフトンの他、掛け軸やツボが月替わりで飾られ、花も生けられている。
 大きめに作られた窓を開けば中庭もあり、景色を楽しみながら情事をする事もできる。
 シャワールームではなく立派な檜の風呂がもうけられ、ここですることも可能だけれど、フトンの上で飽きるほどまぐわったあと、ゆったりと二人でお風呂でいちゃいちゃするという後戯できるというわけだ。
「で、仙道先生ね。あの人はいま株島商事の株を買いあさってるわよ。なんか、情報が漏れてるみたい。株の総数でいくと利貴のが持ってるんだろうけど…。近々変動があるらしいわ。一番金額が増えるのは来月の十七日の午前一時過ぎあたり。そこが売り時ね」
 アゲハの情報は適切で、そして正確。ハズレることはまずない。
 本来口が硬いアゲハは他の客が酒に酔い零したこういったビジネスの言葉を他の客に漏らす事はない。
 佐倉での鉄則にもなっているからだ。ここで聞いたことは全て聞き流し忘れる――と。
 横領や汚れになれた年より政治家の相手ばかりしてきたアゲハとしては、若く容姿端麗、素性を隠した榊俊貴が魅力的で、可愛くて仕方ないのかもしれない。
「他は……」
 俊貴は、アゲハが話しながら準備した高級日本酒を味わいながら喉に流し込む。
 相変わらずな俊貴の態度に、アゲハは人知れずため息をこぼした。
「いいえ、それだけ……」
 アゲハは自分も少し酒を貰い飲みながら、俊貴に近寄った。
 自分のことはほとんど語ろうとしない俊貴が、こんなにまで他人を探るのに不審を抱く事はないが、興味は沸いた。
「ねぇ……何を探ってるの。まさか、花月のことじゃないわよね」
「……かげつ?」
 アゲハが告げたその意味深な名前を聞き返すと、アゲハは明かに失敗してしまったという表情で口を閉じた。
 そして、俊貴の空になったとっくりに日本酒のお替りを注ごうとしていたが、俊貴はその口に手をやり、コレ以上入れさせないようにした。
「アゲハ……。誰のコトを俺が探っているって?」
 俊貴とアゲハの付き合いはそれほど長いわけではないが、それほど浅い付き合いをしてきているわけじゃない。
 俊貴がこうなったら、テコでも動かないことをアゲハは知っていた。
 こういう時の俊貴は、アゲハがしゃべるまでいくらでも延滞している気だった。
 現に、通いはじめの頃、アゲハが重役の秘密を知っていると聞き佐倉に来たのに、なかなか口を割らないから、玄関先に雪の中三時間居座ったことがある。
「……ああ!もう、内緒よ、内緒。呉羽にバレたらあたし殺されるわ」
呉羽というのは、ここ佐倉のオーナーでまだ歳若そうに見えながら、最高権力者だ。
アゲハは、激怒する呉羽を思い出したのか、嫌そうに顔をしかめた。
その表情は、うっかり口を滑らせてしまった自分を悔やむようでもある。
「で、花月って」
 呉羽とのことを思いだし、俊貴は不機嫌そうに話題をそっちに戻そうとした。
 初めて俊貴が佐倉に訪れた時、その若さと聞いた事もない名前からどんなに金を持っていようが俊貴を若造と言いくるめ、相手にしようとしなかったのが呉羽だ。
 そんな腹が煮えくりたつような男の話しがはしたいのではない。
俊貴が気になっているのは、花月のことだけだ。
「えと、つまり…あの噂聞いたことない。ここの」
「噂?」
 佐倉のように遊郭だったり、キャバクラだったり夜の町は噂がたちやすい。
 あの客と、あの娘ができてる……とか、愛人だ、浮気だ、スキャンダルだとか。
 そして、それ以上に怖いのがビジネスの噂。
 だが、ここの女たちは口が固い。
 腹はたつが、呉羽の教育がいいのか、みんな常識をわきまえ職務として仕事を全うするだけだ。
 アゲハも、俊貴以外にはこんな風に情報を易々と漏らす事はない。
「ここの姫の噂よ」
「姫」
「……表向きはあたしが、店のナンバーワンってことになってるけど……本当は違うのよ」
 俊貴が見る限り、知る限り、アゲハは最高の女だった。
 この女を抑え頂点に登りつめる女がこの店のどこかにいる……。
 俊貴が興味をそそられないわけがなく、その瞳の色がまるで小さい子供が新しいイタズラを思いついたような感じで、アゲハは、あ〜あ、と思わず口をこぼした自分を苛めた。
「その、花月ってヤツがそうなのか」
 これほどまでに佐倉に通いつめながらその情報を知らなかった自分をも悔やむ思いはあるが、じゃあ、何故その花月という女は表から隠さなければいけないのだろうかという疑問が頭をよぎる。
 そんなにすごい女ならば、アゲハくらい大々的にすれば騒ぎになるからだろうか。
 それにしては少しおかしい気がする。
 アゲハは俊貴の言葉に小さく頷いた。
「……そうよ。花月には本当に、本当に大物の人しか会えないの」
 アゲハは、とうとうしゃべっちゃった、なんて顔をしてお酒をぐいっと飲んだ。
 表向きだろうが、なんだろうがアゲハだって大物しか相手にしない上玉の女だ。
それなのに、その上…が、いる……事実。
 俊貴の中に、密かな思いがふつふつと沸き起こる。
 それは、火山のマグマのように、消えることはない…火。
「あたしなんて、本当……敵わないわ。あの子には」
 甘えるように俊貴の肩に寄りかかり、なおも酒を飲みつづける。
「……でも」
「でも?」
 お酒を飲んだ時のアゲハは、普段の時より口が固くなる。
 こういう商売をしている以上、酒によって馬鹿をするということはご法度らしい。
 それなのに、ほろ酔いのアゲハがこんなにしゃべってるというコトは本当に珍しい事だ。
「あの子、本当に可哀想なのよ……。十三歳で身体売ったあたしなんかとも、比べ物にならないくらいに……」
 十二歳の時に社長だった親が破産して、十三歳でこの世界に入ったアゲハが自分より可哀相だと言った。
 どれだけ不幸な生い立ちでここの世界に入りこんだのか。
 幸せな環境で育ったものたちが、この廓で働く事はそうそうない。皆、親や親戚、恋人、家族に売られてここにくるのだ。
 可哀相だと聞かされても、俊貴に同情なんて気持ちはない。
 あるのは、怖いくらいの執着心と好奇心。
 そんな女の話を聞いて、利用できると思わない方がバカだ。アゲハよりさらに大物と会っている花月は、さらに俊貴が望む情報をもっているだろう。
「そいつ、いくらだ」
 俊貴の中に、新たな欲望が生まれた。
 花月という、その女が欲しくて欲しくてたまらなくなった。それは、子供じみた独占欲か、なんなのか知らないが……。
 しかし、アゲハは俊貴から身体を離すと真面目な顔をして言った。
「無理よ利貴。いくらあんたがお金もちの家の出で、格好よくてもこれだけは無理」
 何を言う前にあっさり否定され、俊貴は眉を詰める。
「どういうことだ」
「呉羽の紹介がなきゃ入れないのよ」
 再び出てきたその名前は、当然といえば当然なのだろう。
 俊貴は少し考えて、小さく呟く。
「…………呉羽だな」
 俊貴はスクッと立ちあがると、アゲハの忠告も聞かず部屋の外に出た。手馴れた手付きで携帯を取りだし、押しなれた番号を打ち込む。
「芳川か」
 ぶっきらぼうに呼びかけると、電話口から、軽やかな返事が返ってくる。
「ハイ。俊貴さま、何かご用ですか」
 俊貴の秘書である、有能な芳川は必ず俊貴の電話にはワンコールで出る。
 若干二十五歳だが、俊貴の秘書のほかに社長代理、俊貴が現在住んでいる東雲邸第二邸宅の管理全般を任される執事でもある、エグゼクティブな男だ。
「早急に金を持って来い。そうだ、佐倉にいる」
 用件だけで電話を済まし切ると、受付へ向かおうとする俊貴の前にアゲハが立ちはだかった。
「花月ちゃんは止めた方がいいと思うわよ」
「俺は欲しいと思ったものは、必ず手に入れる」
 アゲハの横をすり抜け、呉羽の居る受け付け横の部屋に行こうとすると、その瞬間、アゲハに腕を掴まれ、引きとめられる。
 商売女には商売女の意地があるのよ。
 そんなコトをクチグセのようにいうアゲハは、どんなに寂しくても、どんなに苦しくても客を呼びとめたりなんかしない。
 こんなことは初めてだった。
「アゲハ。お前が止めても……」
「……キスには気をつけて…」
「?」
 アゲハは下をうつむき、それ以上は何も言わない。
 キスを気をつけるとは、一体どういうことだろう。
 聞き返そうとした俊貴の身体は、急にアゲハに押しやられる。
「ん〜ん!なんでもない。まぁ、当たって砕けてみなさいよ。もしダメだったらあたしが慰めてあげるからっ」
 いつものアゲハのソレにもどり、アゲハは笑っている。
 なんだったんだろう、あれは。
 俊貴は、ああ、とだけ呟くとアゲハの部屋を後にした。
 そんな俊貴の後姿をアゲハはじっと見ていた。
 歳若いながらも、美麗な容姿、威厳ある風格、そしてどんな事態にも慄くことなく対処する応用力。
そんな彼ならば……この建物に囚われる花月を救える……かもしれない。
 俊貴は今までの客とは、何もかもが違った。何かを解決できるかもしれない。
 そう思ったから、つい話してしまったのかもしれない、と思うとアゲハは少し笑った。
「お願い俊貴。花月ちゃんを助けてあげて……」
 アゲハは寂しそうに呟いた。
 俊貴のコトは好きで、でも、それ以上に兄弟みたいに接してきた花月の事は心配なのだ。
「あの子には幸せになって欲しいのよ」
 憂い顔のアゲハの耳に、受付嬢の声が響いてくる。
「アゲハ姉さ〜ん、東条さんよ〜」
「はぁい」
 アゲハは次の客のため、部屋を片付けはじめた。


-2- 学生 小説


Copyright(c) 2005 tanakaoukokukokuounakata all rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送