純情らいおんハート

−1−

「ご主人様ぁ……気持ちいいですかぁ」
「……あ、ああ……」
 重症。
 その時、光野貴久は自分自身でそう思った。
 ここは浴室。けれど、生まれてこの方一人でお風呂など入った事が無い。
 それは、光野家が代代の名家で貴久はその跡取だからだ。
 まだ貴久が二十になるかならないかのうちに、早々に父親は社長を引退し、すでに会長となってしまったので、実際会社を動かしているのは若干二十六歳の敏腕若手社長、その人なのだ。
 そんな金持ち一家の生まれだから、お風呂には必ず使用人がつき、背中を流し、髪を洗い、その身の安全を見守る。
 今、貴久の背中を一心に洗っているこの少年もその一人。
 もう十数年前に施設から慈善事業で引き取った子だったけれど、これはまたもう……。
 当たりというか、なんというか。
「至らないところとかないでしょうか」
 真っ白いのブラウスに黒のストイックなベスト、スーツ、ネクタイが逆にいやらしく見える。
 そう思ってしまい、貴久は再び自分の頭を振るう。
 何を考えているんだ。
 相手は、まだ十八で、しかも男の子だ。
 いくら、いくら……綺麗で、純真で、色気があるからといって、邪な感情を抱いてどうする。
「蒼冶、そんな気にしなくていい」
 貴久が自分の見え隠れする煩悩を静めるために、蒼冶の手を払いつつそう言うと、蒼冶はニッコリ笑ってそれを否定した。
「いえ、僕はご主人様のために生きているのですから、なんでもおっしゃってください」
 純白のブラウスは貴久が蒼冶のためだけにデザインした百合の模様が刺繍されている特別仕様だ。
 そのブラウスの合間から見える、蒼冶の肌は透き通るように白い。
 別段危険な仕事もないから(あったとしても、蒼冶にはやらせない)、その肌にはこの十数年傷がついたことはない。
 手付かずのその肌は、貴久すら見た事がなかった。
 昨年のやっと取れた夏休みに、使用人たちも一緒につれてバカンスにいったのだけれど、蒼冶は水着にもならず、貴久の後を着いてきていた。
 水着になったらいいだろ、お前も、といったのだけれど、蒼冶はやっぱりニッコリ笑っていいえ、お仕事中ですから、と答えた。
 もし、これが命令だったら蒼冶は喜んで水着に着替えて横にいてくれただろうけれど、それは貴久の望むものとは違う。
 欲のない子だ。貴久は本当によくそう思う。
 自分が施設から引き取られてきたというのは、もちろん知っているからそれも影響なのかなとも思う。
 どこに行きたい、とか何が欲しいとか言うことはほとんどなく、逆に誕生日やクリスマスにプレゼントをすると困惑したように、もったいないです、と答えるのだ。
 唯一「学校に行ってみたい」というそぶりを見せたことがあったけれど、これは貴久のがそれとなく止めた。
 自分の身の回りの仕事をする時間がなくなる……とか、別に暴君ぶるわけではない。
 そうじゃなくて、そうじゃなくて……心配だったのだ。
 小学校はずっと、貴久の秘書でもあり幼馴染の坂滝から蒼冶は教育を受けていて、そうとう優秀なことがわかった。そうなれば、貴久の出身の有名中学にいれてやろうと言う話になったのだけれど、そこは男子校。その頃から、美しさがオーラのように見えていた蒼冶だったから、狂わされる男も出てくるはず……。いや、だからといって普通の中学校に通わせても危険……。
 そう思った貴久は、それからも蒼冶の教育は坂滝に任せている。現在は十八になったが、その二年も前に大検をとっているから、その明晰さが伺える。
 仕事もキチンとこなし、勉強もそつなくこなす。
 幼い頃から貴久や坂滝と言った高等教育を受けた人たちに囲まれて生きてきたからか、身のこなしも気品がある。
 そしてこの色気。
 貴久は、ジャグジーに入っている自分の近くでタオルを絞っている蒼冶に視線を移し、再び頭を悩まし始める。
 細い腕は、それでも綺麗でしなやかで、男のソレというのとは少し違う。
 普段はワイシャツもきちんと長袖を着て、ネクタイも締めるから見られないのだけれど、今は入浴のお手伝いと言う事で、少しだけ緩やかに広げてある袖や襟の合間から見られる生肌が生々しい。
 触ってみたい……。
 そう思ったのはいつの日か。
 思い出せないくらい自然に、貴久は蒼冶にそういった感情を抱いていた。
 蒼冶が貴久を誘惑したなどということはない。むしろ、蒼冶は貴久の前で性欲に満ち溢れた痴態などを取ることは無い。
 普段の身のこなし、笑顔、行動、吐息、そしておかえりなさい、ご主人様ぁ、と言うしどけない口調、言葉に毎日毎日欲情するのだ。
 抱きしめて、抱きしめて、この手の中でぐちゃぐちゃにしたい。
 舐めて、触って、挿れて、鳴かせてみたい。
 ジャグジーの中で少しだけ変化をしてきた自らの雄に、貴久は理性の糸が切れる。
「蒼冶」
 ジャグジーのお湯にあてられたのか、それとも本当に人間なんて動物で穢れた動物だとでも言うのか、貴久は無意識のうちに蒼冶の名前を呼んでいた。
「はい、ご主人様なんでしょう」
 蒼冶は絞ったタオルを脇に置き、大好きなご主人様のお願いのために喜んで振り返る。
「お前も風呂に入らないか」
「ぇえっ……」
 突然のご主人様の誘いに、蒼冶は濡れた床で転びそうになりならが、慌てて返事を返す。
「とんでもございませんっ。僕は、僕はまだ仕事中で……。それに、ご主人様のお風呂に入るなどできませんっ」
 使用人が使う事の無い大きな大きな浴室は、貴久専用のバスルームだ。
 そこには身の安全のためか必ず使用人を一人は付き添えて入る事になっているが、使用人はその浴槽、シャワーに至るまで使ってはいけないことになっている。
 もちろん、掃除のときにだって、別のところからホースで引っ張ってきてやる形になっていて、本当に貴久専用なのだ。
 もちろん、貴久がそうしたいと言ったのではない。
 代代の決まりと言うか、なんというか、なのだ。
「……ならば、命令だ」
 長く湯船に浸かりすぎた。
 そのせいで頭が朦朧としているんだ。
 そう思い込んで、自分の行動を正当化させようとしたけれど、とうてい無理。
 きょとんとした大きな純真無垢な瞳が、悩ましげに貴久を見つめている。
 命令、は絶対。
 貴久は、命令はめったに使わない。
 他の使用人に対しても、だ。
 けれど、その命令を飛ばしてまで、最低な人間に成り下がってでも……触りたい、触れたい……っ。
「服を脱いで、一緒に風呂に入れ。これは命令だ」
 これまで仕事上いろんな最低な人間を見たけれど、今の自分が一番最低だ。
 貴久はそう感じた。
 何も知らない、何もわかっていない少年から衣服を剥ぎ、無理やり身体に触れようとしている俺は、誰よりも醜い……。
 恋する事に悩むことも恐れたただの獣。
「はい、わかりましたご主人様」
 蒼冶はにっこりと笑って、細い首に巻きつけられている黒い光沢の有るネクタイを音をたてて引き抜いた。
 手入れしているわけでもないのに光る爪が、黒いネクタイによっていやに引き立てられる。
 蒼冶は貴久のいるジャグジーの脇に、身に付けていた衣服を綺麗にたたみ置いていく。
 なんの……なんの疑いも無く。
 真っ白いブラウスの前が開かれ、その下に下着を身に着けていないから素肌が露となる。毎日、毎日嫌になるくらい想像していた蒼冶のどの肌より、生のそれはとても美しい。整った顔立ちに見合う手触りのよさそうな肌は、どんな手をも吸いつけてしまいそうなほどだ。
 貴久の心臓に動揺が走る。
 今、この少年は自分が抱いているこんな汚れた気持ちをまったく理解してはいない。
 いや、普通のこのくらいの年齢の少年だとしても理解しえないかもしれない。
 まして、こんなに素直にまっすぐに育った蒼冶は、たぶん肌に触れてもそこにキスをしても、舐めまわしても嫌悪の言葉は俺にぶつけない。
 そうしたら、俺は止める事なんてできない。
 愛してあげたくて、どうしようもなくてこんな人道から離れた行為をする人間なのだ。
 その行為の意味に気づいた頃、蒼冶が泣き叫んでも俺は止められない。
 気づけ、早く気づいてくれ。
 貴久は昂ぶる感情を抑えきれず、水面に顔を写す。
 気づいてくれれば、今なら止められる。
 なのに、蒼冶は相変わらずその細い指で、衣服を脱ぎつづける。
 俺はこんなことがしたかったのか。
 貴久は一人苦悩する。
 抱きたい、触りたい、キスしたい。
 でも、俺は蒼冶が好きなのだ。たぶん、きっとこんなのじゃ満足できない。
 一時の快楽が欲しくないわけじゃない。
 だから、どうしろと……。
「ご主人様?」
「っ……!なんだ……蒼冶」
 いきなりあの清らかな声で話し掛けられて、貴久は落ち着かない声で返す。
 脱ぎ途中の蒼冶はあまりに淫らな格好で、貴久に話し掛けている。
 見てはいけない、見たら歯止めが利かない。
 貴久は蒼冶の方を向かず、いまだ水面下を見ている。
「あ、いえあの……あんまりお顔の色が優れないので」
 貴久の顔色が良くないのは、自分の願望と理性とで葛藤していたからだ。
 そしてそれは、目の前でその肌を見せ付けている蒼冶のためだ。
 決して……決して蒼冶が悪いわけじゃないのに、欲求不満の心は誰にも癒されはしなくて、貴久は大きな水しぶきをあげて、立ち上がった。
「止めろ……っ」
「え?」
 突然の貴久の、行動を静止する言葉に、蒼冶はつぶらな瞳をますます丸くする。
「お、お前は……俺がどんな思いでこんな発言をしたのかわかっていないんだろ……。わかっていなかったら、服なんて脱ぐな、その肌を見せるなっ」
「ご主人様……?」
 やはり、意味がわかっていないらしく、蒼冶は必死にその行動の意味を考えている。
 なんでご主人様が僕に服を脱げとおっしゃったのか。
 だけれど、その答えはいっこうに出てくる事は無い。
 それもそうだ。
 だって、蒼冶の中に性単語や煩悩はないに等しかった。
 貴久は歯を噛み締め、視線を蒼冶からそらした。
「俺はもう出る……すまなかった。服を着て、お前も出て来い」
 貴久は、上半身だけ洋服を着ていない蒼冶の脇を通り過ぎ、脱衣所へと一人で向かった。
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