純情らいおんハート
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「はぁ……」
その後のご主人様の食事の給仕もそつなくこなしたし、ご主人様はいつもどおりだった。
けれど、蒼冶の頭から貴久に与えられた問いが消えることは無い。
意味ってなんだろう。
僕はご主人様が脱げとおっしゃったから、脱いでみたのだけれど、どうやらそれはご主人様のご意志に反するようで……。
「はぁ、なんなんだろう」
ご主人様に嫌われてしまったのだろうか。
蒼冶はご主人様のいなくなったリビングでぼんやりと考え込んでいた。悩んでいる姿すら愛しくて、他のメイドさんいっこうは、日に日に麗しくなる蒼冶のため息を、それこそぼんやりと眺めていた。
「蒼冶、どうかしたの」
「坂滝さん」
そんな蒼冶に話し掛けたのは、貴久の秘書でありこの屋敷の管理全般を任せられている、坂滝。貴久の幼馴染でもあり、蒼冶の教育係りでもあるこの男は、この屋敷で最も蒼冶が信頼している人間だ。
「さっきからため息十回くらいしてる。なんかあったの」
本当は貴久同様すごい人なはずなのに、気さくに話し掛けてくれる坂滝は、蒼冶にとって本当に頼りになる人だ。
「……僕はご主人様に嫌われてしまったのでしょうか」
「えええっ」
そう叫んだのは、坂滝ではなく影で麗しい美少年と、頭脳明晰な秘書の会話を盗み聞きしていたメイドたちだ。
メイドたちは慌てたようだけれど、すぐに自分達の素に戻り蒼冶に向かって叫んだ。
「蒼冶君が嫌われているなんてこと絶対無いわ」
「そうですわよ、貴久様は蒼冶君のことをあんなに可愛がっているじゃない」
「ご主人様は、蒼冶君のことを大好きでいらっしゃいますわよ」
思いつく限りの言葉で自分を慰めてくれるメイドさんたちに、蒼冶はニッコリ笑って御礼を言った。
「ありがとうございます。みなさん」
星や輝きがキラキラと舞うような笑顔に、ふらふらとよろめきながら、メイドさんたちは蕩けかけている。
やれやれと言った様子でそれを黙ってみていた坂滝が、それでも不思議そうな顔で蒼冶に話かける。
「でもなんでそんな風に思ったのさ、アイツが蒼冶を嫌うなんてありえないじゃん」
坂滝は貴久の幼馴染で、今は秘書。家も住み込みでやっているから四六時中いっしょだ。
貴久が蒼冶に抱いているイケナイ気持ちなんてお見通し。
だから、世界がひっくり返ったって嫌いになんてならないことをちゃんと知っている。
それだからこそ、こんな清らかな少年がそう思ったことが不思議でならない。
「あ、あの……僕、今日ご主人様のご入浴のお手伝いをさせていただいたんです」
「へ?ご入浴って……風呂の手伝いの子は別にいるだろ」
「今日は忙しいようだったので、僕が替わったんです。僕、その時間はいつも特別仕事がない時間なので」
一応まだ未成年で学生の身分に入る蒼冶には、ちゃんと貴久の命令で勉強の時間が与えられている。
そして、その間に貴久は風呂を済ますようにしている。
絶対、絶対に風呂の手伝いは蒼冶にはさせないように予防線を張っていたのだ。
そんなこと、この屋敷の召使の全員が知っていることだから、その「忙しい」と言って仕事を替わらせたのは、たぶんちょっと出来心のイタズラだ。
「ふーん……で?」
なんとなくあとの予想の出来た坂滝は、今日の仕事分担を思い出し一人のメイドに視線を飛ばしながら、蒼冶に言葉を促した。
「あの、その教えられた通りにやっていたはずなのですが……」
「真里菜ちゃんに教えられたとおり?」
「あ、はい……ぁっ!そ、その……」
坂滝の言った名前に思わず頷いて、ハッとして蒼冶は口篭もる。
どんなことがあっても仕事は仕事。ちゃんとこなさないといけないものだ。
なのに替わった人の名前を言っちゃうなんて……。
蒼冶が頭を項垂れると、どこからともなく声が聞こえてくる。
「いいんですのよ、蒼冶君。どうせ、坂滝さんは私達の仕事分担はご存知ですから」
どこに隠れていたのか、メイドを牛耳る真里菜がニコニコしながら坂滝の隣に現れた。
「それより、私も気になります。なぜ、ご主人様が蒼冶君をお嫌いになったとお思いになたのでしょう」
「あ……その、お前も一緒に入れと言われたので入ろうとしたんです」
「え」
「まぁ」
これには思わず坂滝も真里菜も貴久の突拍子抜けた行動に声をあげた。
「真里菜ちゃん、あいつにはお風呂ってシチュエーションは刺激強すぎたんじゃない」
「あら、これくらいやらなきゃご主人様はいつまでたっても蒼冶君をモノにはできなくてよ」
ヒソヒソ話をしつづける坂滝と真里菜に気づかないまま、蒼冶はもう一度小さくため息をした。
「それで僕……お仕事中ですからと申したのですが、め、命令だとおっしゃられて」
「げ」
「まぁ、まぁ!」
貴久が命令なんて横暴地味た言葉は使わないのは皆承知の事実。
過去使ったことがあるのは、やけどを負ったメイドの一人がそれでも仕事をちゃんとこなしてから病院に行きますと言ったのを聞いて、病院に行くように命令したりと、必ず誰かのためになる命令しかしたことがなかった。
それなのに、今回はプライベート中のプライベートだ。
どれだけ切羽詰ってたかが予想できる。
「それで、命令でしたから服を脱いでいたんです。そしたら、途中で『止めろ』とおっしゃられて」
「……理性が戻ったんでしょうか」
「さぁ。やっぱり、愛がなくっちゃ、とか思ったんじゃない。ロマンチスト、少女趣味」
「『お前は意味がわかってない。わかってないんだったら服なんてぬぐな』って……あの、僕、やっぱりご主人様を怒らせてしまったのでしょうか」
心配そうに覗き込んでくる蒼冶に、坂滝は苦笑しかできない。
今日だけはちょっとだけ貴久がかわいそうだとも思える。そりゃ、悶々としてしまうだろう。好きな人が自分の目の前で全裸になろうとしていたら。
「怒ってはいないし、嫌ってもいないんだけど、ねぇ」
坂滝は真里菜に目配せする。
「そうですねぇ……まぁ、ちょっと欲求不満というか」
「僕、何か他にしなくてはいけなかったんですか!?」
真剣に聞いてくる蒼冶は、本当に本当にわかっていないのだ。
「あの、どうすればご主人様僕を許してくださるでしょうか」
「うーん……」
キスの一つでもかましてやれば、機嫌もすぐに直るだろうけど。
そうもいかないしなぁ、と坂滝は悩む。
真里菜も、イタズラ心だしてお風呂の世話を蒼冶にまかせたばっかりにこんなことになったので、次の良い案が思いつかない。
けれど、そこは坂滝。
さらに追い討ちをかけるようなことを思いつく。
「よし、じゃあ……こうしよう」
「?」
「既成事実ってやつ。大丈夫、これで君もやっと貴久の本音が知れるかもしれないし」
「きせい……じじつ、ですか?」
真里菜と坂滝は凶悪な笑みで微笑んで、蒼冶に耳打ちする。
貴久がたまにこの二人は悪魔に見えると言っていたけれど、それも案外嘘じゃないかもしれない。
貴久の部屋は三階の一番大きな部屋。
その部屋の大きさに見合うくらいの大きなドアがついているから、蒼冶は寝ているご主人様が起きないようにそっとそのドアを開けた。
この部屋に入った事がないわけではない。
けれど、こんな深夜……ご主人様が寝静まった頃に入るなんて初めてだ。
「……既成事実……って、なんなんだろ」
坂滝たちには、とりあえず夜部屋に侵入して、ベッドの脇にでも寝ていればそれでOKと言われたのだけれど……。
「相変わらず僕って何もわかってない気がするんだけどなぁ……」
自分の無知さ加減にいい加減呆れてくる。
だからご主人様も怒ったんじゃないのかな。
蒼冶は再び静かに大きなため息をついえて、寝室のドアを開く。
少しだけ音が出てしまい焦ってドアを締めたけれど、貴久は静かに寝息をたてて寝室の中の大きなベッドで寝ている。
天蓋つきの大きな王様用のベッドは、貴久用の特注だ。
身長が貴久は百八十センチ以上あるから、大きなこのベッドでも丁度良いくらいに思えてしまう。傍に蒼冶が立つと、その大きいのが明らかになるけれど。
「ご主人様……」
穏やかに寝ている貴久の顔を見て、蒼冶はなぜだか泣きたくなる。
「僕、何かいけないことしたんですか?」
お風呂で受けた拒絶は今思いだしても、胸が痛くなる。
綺麗で、優しくて、仕事もできて、召使全員から信頼されているすばらしい人。
そんな人が、僕を引き取ってくれて教育まで施してくれた。
蒼冶は一生この人の傍にいたいと感じたのだ……あの、幼い日。
「ご主人様……」
再び小さくその名前を呼ぶと、シルクのシルバーの寝巻きを着た貴久は少しだけ小さく寝返りをした。
そうすることによって、よくよく見えるようになった貴久の顔は眠っているときですら凛々しく、男らしい。
再び胸が少しざわつく……。
「……ご主人様……寝てらっしゃいますよね」
確かめるように聞いても、もちろん貴久が答えることはない。
整いすぎている顔の頬に少しだけ触れてみる。
「……ご主人様…」
起きてしまうかとも思ったけれど、全然そんなことはない。
蒼冶は両の手を回し、その顔をよく見る。
美しい、と言う形容詞が似合う顔だとつくづく思う。
その手を滑らせて、唇に親指を当てると、赤いその場所はきゅっと引き締まっている。
本当はこんなのいけないことだ、いけないことだと思うのだけれど、貴久の身体に触れた瞬間、胸のうちに湧いてきたこの衝動は止められない。
初めて、誰かを触れたいと感じたのだ。
蒼冶は自分の意志とは反して動きつづけるその手に怯えながらも、貴久の胸元を開けていく。
第二ボタンまで外すと、そこには男らしく筋肉のついた貴久の鎖骨が露になった。少しだけ日焼けが見えるのは、先日バカンスとして旅行にいったから。
蒼冶はその鎖骨からもっと胸のほうへ触るように手を滑らしていく。
恐る恐るだから、触れるか触れないかの際どいくらいしか触ってはいないけれど、月明かり、自分を誰も見ているものはいないと言う事実が、少しだけ蒼冶を大胆にさせているようだ。
少しだけ骨ばった鎖骨に、蒼冶は微かな欲情を覚える。
拙いながらも、その鎖骨に軽く唇を合わせる。
身体全身がおかしくなったみたいに熱い。
もちろん、それを発情とよぶかよばないかを蒼冶は知らない。
ドクンと胸が震え、反応したことのない下半身が特に熱くなってくる。
十八歳にもなって自慰も何も坂滝の策略によって教えられなかった蒼冶はそういった身体の変化に戸惑いを感じる。
「ぁっ……ぇ……っ」
恐い、なんでだろう、何か恐い。
蒼冶は慌てて貴久から離れようとしたけれど、それより前に手首をとられる。
「蒼冶……誰に騙されてこんなところに……来たんだ」
「っ……ご主人様っ」
蒼冶が部屋に入ってきた瞬間から気づいていた貴久は、嬉いハプニングではあるが、どうせ真理菜か坂滝のイタズラだろうと思っていたのでタイミングを計って、寝たふりをしていたのだ。
それなのに、蒼冶はどんどん服を脱がし、果ては鎖骨にキスまで……。
理性の限界を迎え、とうとう名乗り出たのだ。
「す、すみませんっ……ご主人様っ」
「いい、謝らなくて良いから。どうせ坂滝が……」
「ごめんなさいっ」
貴久の言葉途中で、蒼冶は顔を真っ赤にして貴久の捕らえている腕から必死に手首を引き抜き全速力で部屋を出て行った。
「そ、蒼冶っ?」
貴久は呆然とした後、少しショックを覚える。
そして、その後坂滝に対して怒りがフツフツと湧き起こってきたのだ。
「坂滝っ!」
怒鳴りながら部屋を出て行くと、部屋のドアの前に、坂滝と真里菜がニコニコ顔で立っていた。
……力が抜ける。
「お前らな……俺に何をしてもいいが、蒼冶で遊ぶなっ」
「でも、良い夢見れただろ。この欲求不満男〜」
使用人という立場ながら、幼馴染と言う立場なので、人のいない場所での坂滝は、貴久より強い。
「よ、欲求不満とか言うなっ!蒼冶をお前らが汚すなっ」
「あら、汚したくない恋人なんて、恋人ではなくってよ。貴久様」
「真里菜……」
真里菜は親の代からずっとここのメイド頭をしているから、誰よりもこの屋敷をわかっていて安心できるが、この言い草は……。
「お、お前らが蒼冶に変なこと教えるから、そ、蒼冶がこんな……」
「?」
「え?」
乱れたパジャマの襟を指差して怒ると、なぜか坂滝と真里菜は首をかしげキョトンとすうる。
「あたくしたち、貴久様に触れなさいなんて教えてませんわよ」
「え」
「ああ、俺も保証する。俺はただ……貴久の隣にいるだけで良いって言ったはずなんだけど、ねぇ」
語尾に含みを持たせた坂滝の言い方に、貴久は踵を返す。
「え、あ、おい!貴久っ」
坂滝の呼ぶ声にも振り向かず、貴久は使用人の自室のある棟の方へ走っていった。
「って、こりゃどういうことなんでしょう。真里菜ちゃん」
「貴久様の愛の勝ちってことですわ」
驚く坂滝を前に、ふふんと真里菜が言い張る。
「あら、気づいておられなかったんですか」
「え、いや、まぁ…蒼冶もそうだろうとは思ったけど。まさか、蒼冶がこんな行動に出るとは思わなかったからさ」
「性欲はみな平等にあるものですわ」
相変わらず顔は可愛いのに、しゃべる言葉はどす黒い。
「ま、これで貴久が欲求不満で暴走する恐れはなくなったか」
「そうですわね」
坂滝の言葉に、真里菜はにっこりと微笑んだ。
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