−2− | −4− | 教師モノへ。

● 僕が先生に教えて上げる。 --- −3− ●

俺はどうしたいんだろう…。ああ、授業のこともあるし。でも…なんで北斗は俺が困ったことがあったことを知ってたんだろ。
 そんな問題を抱えながら次の日を迎えた泉は、機嫌最悪だった。朝からいつも以上に食は進まないし、授業はどうするか考えてないし。道久はああいったけど、学年主任くらいには相談しといたほうが良いのかなとか一晩中考えてしまって、結局一睡もできなかったし。プラス…北斗のこともあるし。
 「おはようございます。先生」
後からさわやかな朝に似合う、さわやかなアイサツが聞こえた。泉はうんざりした表情を浮かべる。振りかえらなくたってすぐわかるこの声。できれば逢いたくなかったのに。あれ…俺昨日もこんなこと思ってたような…。はあ。頭痛い。
「…北斗…」
 泉がうなるような返事を返すと、わざとらしく心配するしぐさをみせる。こいつはこんな体のいいやつではない。肌身でわかってる。なぜか北斗は俺の前だけ豹変するんだ。
「先生、具合が悪いんですか、保健室行きましょうか?」
保健室という単語を聞いて、泉はドキンとする。だって、そこは昨日二人が情事に励んだ場所なのだ。
 そんなとこ行くものか。泉は顔を悔しそうにゆがませて、北斗を睨む。目でそれ以上何も言うなっ、と訴えるように。
 感の良い北斗だからもちろん全てわかってるくせに、相変わらずとぼけたフリをする。
「やっぱり熱でもあるんじゃないですか」
そう言って、北斗は額を泉のおでこにコチンとぶつける。泉はすぐに硬直して真っ赤になる。
「な、何するんだっ」
泉はここが学校の玄関だと言うことを思い出し、周りをキョロキョロと見渡す。往来する生徒たちは、ほとんどが一年生でみんな気まずそうに目をうろつかせている。中には、カメラ片手にニヤリとしている生徒もいたり。
「何って…熱を計っただけですけど。他に何か?」
北斗は勝ち誇ったように微笑む。お前がはかったのは熱じゃなくて、悪事だろ!となんか心でザブトン一枚もらえるようなことを考えてたり。
 はう〜。ここで北斗のペースに入っちゃだめだ。
 泉は慌てて首を横にぶんぶん振って、よけいなことを振り払う。
「教室に行きなさいっ」
泉は命令口調でそういうと、北斗の背中を促すように押した。
 こんな行為も周りにはいちゃついているようにしか見えないのだけれど。それをしらない泉は不幸中の幸いなのか…。
「あれ…」
泉は職員用の自分の七瀬と書かれた靴箱を開けたとたん、変な声を発する。靴がない。おかしいな…。確かにいつも通りここに入れたんだけど…。
 泉は再び靴箱の扉を閉めて、名前を確認する。確かに七瀬と書いてある。
 泉の頭の中に、嫌なことが浮かぶ。
 もしかして……隠された?いや、もしかしなくてもそうだ。ここんとこの一連の行動から見て間違いない。誰か…生徒の誰かに隠されたんだ。泉は靴箱を右手で開けたままの状態で呆然とする。
「先生どうかしたんですか」
見計らったように聞こえてくる北斗の声に、泉はなんだかイライラが爆発して、やつあたりしてしまう。
「どうもしないっ、早く行け」
ただ聞いてきただけの北斗に泉は食って掛かる。泉は北斗が何か言う前に、靴箱を勢いよく閉め、来客用のオレンジ色のスリッパを一つダンボール箱から引っ張り出した。めったに使わないこのスリッパは少々年季が入っていて、ボロボロだ。
「靴がないんですか」
ああ、そうだよ。悪いかよ。この歳でいじめですよ。
「忘れてきただけだ」
強がっていないと涙が出てきそうになるから、泉はわざと厳しい言葉でそれをかえす。
「へえ…先生昨日持って帰ったんですか、なんでですか」
確かに、翌日が休みでもないかぎり靴なんて持って帰ったりはしない。おかしいと思うのは当たり前だ。泉はいい訳するのもネタ切れで、無言で歩きずらいスリッパで走って準備室に行く。
 これは逃げたんじゃないからな。逃げたんじゃないぞ。泉はそうぶつぶつ言いながら、準備室に逃げ込むように入っていった。
 北斗は自分の後ろ手に持っていたブランドの紙袋の中から、ナイキの少々使いまわされたような中ズックを取り出す。その靴の後側には、ご丁寧に七瀬とついてある。それを泉の靴箱の定位置に戻しながら、舌打ちする。
 「泉…早く素直にならないと大変なことになるよ…」
 北斗が恐ろしいことを呟いているころ、泉が今日一日どうしようかと机の上に上半身を投げ出してうなっていると、コンコンとノックする音が。
 泉は北斗かと思ってその体をビクッとさせるが、北斗ならばノックはしないはずだ。その事実を一瞬で思い出し、ドアの向こうの人に話し掛ける。
「どうぞ、開いてます」
めったに鍵をかけることはない準備室のドアだ。もちろん開いていた。ドアを開けてきたのは、道久だった。
「よ!ちゃんと来たな」
「先輩…じゃなかった陣内先生」
いまさらと思うが、泉は丁寧に言いなおした。道久も笑いながらそこを指摘する。
「先輩でも、なんでもいいじゃないか」
「いや、今は先生同士だから、先生って呼びたいんです」
けど、しょっちゅう間違えてるじゃないか。そう思いながら泉の目の前に道久は缶コーヒーの一番甘いやつとミルクと砂糖を渡してくる。道久にしてみれば、おいおい…という甘さになるこの味は、泉のこのみなのだ。
「ありがとうございます」
泉は朝から何も口にしていなかったためか、急に口淋しさを感じていた。だから、コーヒーはありがたかった。
「さて、本題だが…」
道久はコーヒーのブラックをズズッとすすりながら、話し始めた。泉は本題と聞いてピンとくる。昨日道久に授業のことを相談したばかりだったからだ。
「何かわかったんですか…?やっぱり俺の授業がまずいって?」
知りたい気持ち半分、知りたくない気持ち半分と言った心情で、泉は身を道久の方へ乗り出して聞いてくる。道久は缶を口で銜えて、両手を前に差し出し、泉を落ちつかせ、再び椅子に座るようにすすめた。
 泉がおとなしくチョコンと座ると、道久も胸をなでおろし、近くにたたまれていたパイプ椅子を立体の状態に直すと、背もたれを前にして、またぐようにして座って、泉を見た。泉は、小さな手をしっかりと閉じた両膝の上に置いて、まじまじと道久を見つめる。
「で、本題なんだが…」
内緒話でもするかのように声を潜める道久の言葉を聞き漏らすまいと、泉の顔はしだいに道久に引き寄せられていく。
「はい」
小声で返事する。その声は少し震えていた。
「Dクラスの小林いるだろ、ほらバスケ部の部長の」
「はい。小林進君ですね」
小林ならよくしっていた。バスケがものすごく上手くて有名で、うちの学校のほかにもいろんな高校から特待の誘いが来ていたらしい。高校卒業後も有名なバスケットチームを持っている、某有名企業に就職が決まっている。
「そう、その小林を昨日の放課後捕まえて、話をしてみたんだ。数学の授業のこともさりげなく……な」
泉はゴクンと生唾を飲む。その先は…?
「そしたらさ、あいついきなり口曇やがって…」
「そ、そうなんですか」
泉は内心少しだけほっとしたような言葉を発する。
「んで、今度は科学部の星野に聞いてみたんだ」
星野。Eクラスにいるが、それは一、二年と不登校が続いてたからで、本当はAクラスとかにいるくらい頭が良い子だ。
「星野…准一君ですか…」
泉はその子は何も話さないだろうと思った。それでなくても無口で愛想が悪い子だ。三年になりたての頃、数人が話しかけてやっていたが、全て無視といったかんじで。泉の授業もたびたびさぼっては、化学室でなにやらあやしげな研究をしていた。彼も、すでにある大学院からお誘いがきているらしい。
「良い情報がつかめたぞ」
え…。泉は胸を高鳴らせた。期待でというよりは…驚きで。まさか、彼から情報が出るとは思ってなかった。
「気弱そうなヤツだったから、すこ〜し問い詰めたけど」
かわいい泉のためだ。悪役にでもなってやるさ。道久は悪ぶれのない笑顔で口をあけて笑う。泉は、何もそこまでしなくても…と思わずひきつった笑いを返す。
「そ、それで…?」
泉は笑いの収まらない道久に、せがむように聞く。
 もう聞くならばさっさと聞いてしまいたい。
「ああ、実はな、十文字北斗が関わっているらしいんだ」
道久は再びコーヒーを一口飲む。すっかり飲みやすい温度に下がっている。
 北斗が関わっている?だって、あいつそんなこと一言も……。
 泉は缶を持った手を見つめて黙り込む。
「まあ、そこまでしか聞き出せなかったんだが……」
今度は首を締め上げてでも聞き出してやる。道久はそう言ったようだが、泉の耳には入っていなかった。
「ほ、北斗が、俺の授業をエスケープしろってみんなに言ったんですか」
泉はまさか北斗が関わっているなんて考えてもいなかったので、泣き出しそうな表情で道久にしがみつき、聞いてくる。
 俺はまた…裏切られてるのか?自分を好きだって言ってくれる人に…。
そう思うと、いてもたってもいられなかった。
「だから、まだそこまでは聞き出せなかったんだよ…」
泉の目をちゃんと見て、小さい子供にもわかるくらいのスピードと音量で説明を繰り返す。
 泉はようやく納得したようで、首をしょげさせたまま、道久から手を離した。
「あとでまた詳しいことわかったら教えに来るから」
道久は、泉の頭をくしゃっとかき乱すように撫でると、時計を見て慌てたように出ていった。
 泉はぐしゃぐしゃに乱れた髪もそのままに冷たくなりつつある、自分の手の中の缶コーヒーを見つめていた。
 道久は数学準備室を出ると、すぐ脇の渡り廊下を渡り隣の棟にあるAクラスへと足を急がせていた。
 それもそのはず。職員会議の資料をAクラスにおきっぱになってたのだ。あれがないとまずい。けれど、職員会議の時間も迫っていたのだ。
 普段から、一緒に歩く人には必ず文句を言われるくらい早足な道久の足は、どんどん速くなる。
 ふと、視線を上げると、そこに人が見える。だけど、窓からの朝日の逆光で真っ黒にしか見えない。道久は思わず足を止めた。向こうから声がする。
「陣内先生……」
生徒の声だ。わかる。今一番逢って話しが聞きたかったやつだ。二人っきりになるチャンスがなかったから話せなかっただけで。こんなチャンスはめったにない。ここには二人しかいない。
「十文字…だな」
黒い陰が静かに頷く。
「お前…一体何なんだ…泉に近づいて何するきなんだ」
ここが誰もないことをいいことに、道久は先生の肩書きを忘れ、怒鳴る。
「あなたは目障りです」
北斗は冷酷に告げる。
「は……?」
道久は突然のことでよくわからなかった。目障り…俺が?
「泉のただの先輩なら…それでも嫌ですが、目をつぶろうと思っていたのに。あなたはそうじゃないみたいですね」
急に自分の内心を言い当てられて、道久はドキッとする。なんでだ、このことを知ってるのは俺だけ。俺だけのはずなのに。
「なぜって顔してますね」
北斗は嫌味臭く笑う。
「わかるんですよね、嫌でも。同じような目でみてるやつって」
「それって……」
「だから、目障りなんですよ。それにしゃべりすぎ。あと、もうちょっとなんですから、邪魔しないでください」
北斗はそういうと、止めていた足を動かし始め、道久の方に向かってくる。道久は足と廊下が磁石になったみたいに動くことができない。
 北斗は道久の脇を通りすぎる瞬間、再び足を止める。道久は何をされるかわからなくて、全身で身構える。
「あなたにはしばし消えてもらうことにしましたから」
北斗はそう耳元で、オクターブ低い声で告げると、去っていった。
 道久はその言葉の意味を数十分後に知ることになる。
 泉は職員会議をパスしてしまった。頭の中がいっぱいで、それどころじゃなかった。保健室で仮眠でもとりたいところだが、あそこに行くのもなんか…。ねぇ。
 思い出しちゃうじゃん〜!うわっ恥ずかしい…。
 泉は顔が真っ赤なったのを机の上の教科書で顔を隠した。誰に見られるわけでもないけどさ。
 けど……北斗は一体何に関わってるんだろう…。
そう考えると、真っ赤になった顔はすっかり、通常の熱の温度に下がってしまうのだ。
 その日、予定されていたDクラスの授業に、昨日印刷したミニテスト用のプリントを持っていくが、やはり誰もいなかった。
 ふぅ……。
 泉は誰もいない教室を前に、教卓の前で小さくため息をつく。そして、机の上にぷりんとを人数分置き、黒板に置手紙(?)をした。
 このプリントは期末テストに出る大事なとこだから、やってみてください。
 泉はそう書き終えると、チョークで白くなった手を音を出して払い、教室を後にした。
 後でこれを見たDクラスの生徒が、みんなそろって胸をいためていたのは言うまでもない。
 彼らもわけがあってこうしてるわけで…。
 そのわけというのはさておき。
 泉はその日、明日EクラスとCクラスにも渡そうとプリントをせっせと準備すると定時で帰っていった。
 「おはようございます、先生」
泉が自分の靴箱に靴があって、一人ポカーンとしているところに、今日こそは本気で逢いたくなかったやつがさわやかに挨拶してきた。
 ―――十文字北斗だ。
 泉は靴を中ズックに履き終えると、北斗のほうに向き直った。そして、北斗はアイサツ代わりにもなった質問をしてくる。
「先生、何か困ったことはありました?」
泉は眉を寄せて、眉間にしわをつくる。
「別にない」
簡単に答えると、泉は準備室に向かおうとする。北斗はその態度が気に食わず、泉の腕を引っ張る。
「なんだよ…」
これ以上お前と話しなんかしたくない。じゃないと、本当に疑いたくなっちゃうから…。お前が俺の授業を妨害してるのかって…。
 泉は頭を左右に振る。
 やめろ…俺。こんなことで疲れたくないし、傷つきたくないだろ。
「先生!」
北斗は何度も呼びかけるが、泉は一度も振り返らずに準備室までの道のりを歩いた。
 昨日、職員会議を欠席してしまった泉は、今日こそはでなくてはと思い体を職員室につれいていくと、即効で校長室に呼ばれる。
 お、俺……なんかしたのかな…?
 一抹の不安を感じつつ、校長室のドアをノックする。
「ど、どうぞ」
にこやかだが、裏返った上ずった声が泉を中へと促した。
 泉はドアのノブをひねり、大きなブラウンの扉を開ける。
 中に入ると、校長の松尾がなぜか引きつった表情でこちらを見ている。泉は何か違和感を感じつつ、校長に勧められるがまま、校長室の中心部に位置する大きな黒い革のソファに座る。
 泉が座ったのを確認すると、校長は咳払いを何度もし、額の汗を愛用のハンカチでせわしなく拭く。
 なんか変だ。松尾先生はなんであんなに怯えてるんだ?
 泉を不安が襲う。これから松尾が何を言おうとしているのかまったくわからなかった。
 校長は何度目かの咳払いをすませた後、決意したような目をした。
 泉も思わず緊張してしまう。
「やあ…七瀬先生…、うん、近頃どうですか」
泉は思わずドキッとする。だって、近頃どうですかって、わざわざ校長室に呼び出して聞くことじゃないじゃないか。つまり、もしかして…ここ数日の授業放棄されてることを知ってるんじゃないか?
「えーと…」
泉は答えに困ってしまう。知っているなら相談したほうがいいんだけろうけど、ヘタに言って、ただの社交辞令では困る。
「いや、何もないならいいんだ」
校長は口篭る泉に、急いで付け足す。どうやら後者だったらしい。泉はホッと胸をなでおろす。
 じゃあ、なんで呼び出されたんだろう。
「実は…七瀬先生」
校長はすっかり気落ちしている声をだす。普段はおかしいくらいにテンションが高く、他の先生たちがひいているのも知らず、オヤジギャグを飛ばす人なのに。
 やっぱりなんか変だ!おかしすぎる。
「校長先生、何かあったのですか」
心配そうに聞いてくる、泉のまっすぐな視線に松尾は思わず目をそらしてしまう。そして、額からじわじわ溢れ出してきた汗を、すでに搾れるくらい濡れているハンカチでふき取った。
「辞めて欲しいんだ」
「何を……ですか?」
泉は顔面が真っ青になっていくのを感じた。松尾の言っている言葉が急に理解しずらいものになった。
「だから…学校を…だよ」
「校長先生っ?」
泉は目の前の高そうなガラステーブルを思いきり、バンッと両手で叩いてその勢いでたちあがった。
 学校を辞めて欲しい?それって、クビってことじゃないか。先生にそんなもの存在するのか?どっちにしろ理不尽極まりない。
「なぜですかっ」
泉はソファを通り越して、松尾の前に大きな存在感をあらわす、この部屋の中で一番高いものであろうデスクにその両手をもう一度うちつける。
 大きな音を出すつもりが、打ち所が悪かったのか、鈍い音がしただけだった。むしろ、泉の手のほうが痛かった。
 けれど、泉はあまりの怒りにそんな傷みも感じないみたいだった。
 ここ二、三日の嵐のような出来事に加えこれだ。泉じゃなくてもキレるにきまってる。
「どう言うことですか!」
泉はもう一度松尾に詰め寄る。しかし、松尾は震える声で繰り返しその言葉を言うだけだ。
「君には今日限りで辞めてもらう!それだけだ」
 泉は三度同じ言葉を聞いた時点で諦め、それまでの勢いをなくした。
 そして、華奢な体をさらに小さくして校長室を後にした。
 松尾はそのかわいそうな背中に、手を合わせて何度も頭を下げていた。この人は鬼じゃない。好きでこんなことしたのではないのだ。
 うしろで黒ずくめの男たちが、キャバクラに言った時の弾けてしまった写真を盾に脅してたらね。
 言うことを聞かないわけにもいかないのだ。これが五十代の妻子持ちの悲しい性なり。
 泉は職員室と数学準備室からとりあえず大切なものだけダンボールに乱暴につめると、学校をあとにしようとした。
 おかしい。おかしいじゃないか。どうしてこんな。
 俺は同じ疑問をさっきから何度となく繰り返した。泉は心身ともに疲れてしまったらしい。家へ向かう道中、どうやって帰ったのかまったく覚えていない。ただ、人ごみは避けたくて、タクシーに乗る気もしなくて、直帰する気にもなれなくて、帰りついたのは結構暗くなった九時半過ぎだった。
 泉は自分のアパートを階段の下から見つめると、ようやく今の自分の状況が把握できたようだ。
 仕事がなくなったんだよな…俺。
 教師という夢の仕事に就けて、まだ一年未満。それをあまりに急にやめさせられてしまって、泉は途方にくれる。
 泉は自分の家に入るのすら躊躇ってしまう。泉は何度も入り口のドアを見つめ、ため息をつき、そして、入ろうと決心する。これを嫌なくらい繰り返していた。
 そんな泉の肩をポンッと叩く人が。
「七瀬さん」
 泉は心臓が口から飛び出るかと思うほどびびる。
「うっわっ」
振りかえった泉が見たのはこの安アパートの管理人、吉田純子。通称、キングオブザ管理人吉田。この人、ゴミの管理から、家賃の収集、はては人のプライベート事情までにものすごくうるさい、むちゃくちゃな人だった。
 むしろ、他人の不幸を蜜に生きてるハチのような。いや、女王蜂だ。
 ここにすんでいる以上、誰も逆らえないのだ。
「キング…じゃなかった、吉田さん。こんばんは…」
泉は引きつった顔でアイサツする。
 職を失ったって言ったら、どうなるんだろ。
 そう思うと、胃がキリキリ痛む。うう…。
 しかし、その事実を告げる前にキングオブザ管理人吉田は、原子爆弾を泉の前に降下させた。
「さっさとでてってくださいね」
―――え?
 本日二回目の理不尽な命令に泉は思考回路が停止する。
「出てくって…俺がですか?」
女王蜂の前なのに敬語を使うことも忘れ、泉は聞き返す。
「当たり前です。今日ここは引き払われたんでしょ」
「引き払ったぁ!?」
泉は思わずアパートの前で大声を出す。吉田は厳しい顔つきで静かにしなさい、と忠告してくる。
「俺は知りません!引き払ってなんかいませんよ…」
そういい訳のように説明しても、吉田はムスッとしているだけだ。
「私こそ何も知りませんよ。いきなり不動産会社から連絡が来たんですから。ほら、礼金持ってさっさとでてってください」
吉田は泉の胸に五万円の入った封筒を投げつけるように差し出すと、不機嫌に言い放った。
不機嫌だった原因はこれらしい。
「でも、俺…ここでたら行くとこないんです」
泉は泣きつくように吉田にすがりつく。しかし、吉田はあっさりそれを振り払うと、荒い鼻息をますます荒くした。
「とにかく、明日にも不動産会社の方がきますからね、でてってくださいっ」
極めつけのように言い放つと、吉田は一階の自分の部屋に引っ込んでしまった。
 泉はわけがわからず、とりあえず住宅権利証を確かめようと、二階の端の部屋。自分の部屋に駆け行った。
 泉はポケットから鍵を取り出そうとするが、ない。慌てて、全身を触るが、やっぱりない。まさか…と思って真っ赤なドアの壊れそうな銀色のノブに手を伸ばすと、それは簡単に右に回った。
 開いた…。
 泉は靴を脱ぐのも忘れるくらい慌てて中に入り、電気をつける。
 中に人の気配はしない。
 泉は自分の部屋の、大切なものだけ(ハンコとかね)をしまっている、クローゼットの中の一番奥に備え付けてある引き出しを開けた。
 そこにあるはずの住宅権利証は存在を消していた。これがないと言うことは、泉はここにいる権利はないのだ。
 泉はペタンとその場にあひる座りで座りこんでしまう。
 そうだ…先輩、先輩に相談してみよう…。
 泉は動揺する自分を抑えつつ、受話器に手を伸ばした。泉は近くに知り合いが道久くらいしかいないのだ。道久の家の電話番号は既に頭の中にメモリーされている。泉は震える手で、ボタンを押す。
 トゥルルルル…、トゥルルルル…。ガチャ。
「ハイ、陣内です」
電話口から、道久のあの声が聞こえて安心して涙が出そうになる。でも、出たら会話にならないから、泉はグッとこらえて、その分言葉を勢い良く発する。
「先輩ですか?なんだか、大変なことに…」
泉は言葉を続け様と思った瞬間、聞こえてきた陣内の言葉で一気にどん底まで追いやられる。
「只今出張中で〜す。一ヶ月後に戻る予定です。緊急連絡先は…」
泉は通話ボタンと押して、留守電のメッセージを最後まで聞く前に切った。
 最初はサイフがなくなって、生徒が消えて、職を失って、家を失った。そして、今や陣内までいない。
 泉の顔から元気と言うものが消えてしまった。
 もう何もどうする気にもなれない。頼る人もいない。……頼る人…?あれ、いないんだっけ…確か、アイツ…。
 泉が朦朧とする頭の中で北斗を思い出したとき、泉の部屋のインターフォンが申しなさそうに弱々しく響いた。
 泉は駆けていき、ドアを勢い良く開けると、そこには今しがた考えていた北斗の姿が。
「泉…」
囁かれる声は、泉の涙腺を簡単に緩めた。
「北斗ぉ!」
泉は泣きじゃくりながら、北斗の胸に飛び込んだ。北斗は泉の体を強く抱きしめてくる。
「俺…なんかしたのかなぁ…なんでこんな…」
泉は嗚咽を繰り返しながら、あまりの理不尽さを北斗にぶつける。
 北斗はそんな泉を黙って抱きしめてくれた。
 それが、今の泉にはとてもありがたかった。人肌の温かさがなんとも言えず、安心感をくれた。ここ二、三日で心から安心できた瞬間だった。
 「俺の家に来いよ…」
北斗の優しい言葉に泉は頷かないが、否定はしない。北斗はそれを了承したと読みとって、泉の体を抱きかかえるようにして外に連れ出した。
「こうまでしないと俺に頼れないのか…泉は…」
北斗は一人ため息と苦笑を漏らした。
 外には運転手付きの黒い外車が待っていた。
 北斗は泉を中に導き入れ、自分も乗りこむと、運転手に出発するよう命令した。
 翌朝。泉は意識のはっきりしない状態で目を覚ました。あんまり頭が働いていないようだけど、ここが自分のアパートじゃないことだけはわかる。
 泉の寝ていたベッドは天蓋付きで、金色の糸で孔雀が刺繍まで入っている真っ赤なベッドで。壁にはいくつも高級そうな絵がかけられていて、その上電気は小さなシャンデリア。ホテルのスウィートというよりは、どっかの国のお城みたいだった。
 泉は頭を抱えて、機能の出来事を思い出そうとする。
 えーと、確か…学校で校長先生に呼ばれて、辞めろって言われて…。
「泉、起きたのか」
泉がいいとこまで思い出したところで、これまた高級そうな純白のドアの方から、上機嫌な声がする。
 泉は顔をあげて、驚愕する。
「ほ、北斗!?」
「何を驚いているんだ」
北斗は手に持っていたコーヒーを手渡しながら、泉の顔を不思議そうに見てくる。泉は唖然としてコーヒーを受け取った。コーヒーはもちろん、泉の好みの極甘に仕上げてあった。
 泉は全てを思い出して、顔から赤みを消す。
 そうだ…俺は確か、アパートもなくなって北斗に助けてもらったんだ…。
「ここはどこなんだ…?」
泉は思い出したことで、ここに北斗がいることは理解でき、少し冷静になれた。
「俺の家だよ。昨日ここにどうやってきたのか覚えてないんだ」
泉はコクンと頷く。そこまでは記憶できてなかったみたいだ。ただただ動揺してしまって、されるがままここに来てしまったのだ。
 泉はとりあえずベッドから抜け出そうと思って、自分の上にかかってたベッドと同じも用の真っ赤なブランケットをどけようとして、また驚く。
「うわぁぁ!なんで俺何も来てないんだ!」
泉は慌ててブランケットを全身に巻きつかせる。
 泉が驚くの無理なかった。泉が叫んだように、体には何一つ身に着けられてなかったのだ。もちろん下着も全てなかった。
 北斗は泉の慌てようを見て、クスクス笑う。泉は北斗を鋭い目で睨む。
「お、お前が脱がせたのか!」
北斗は何か問題でもあるのか、という表情で答える。
「そうだよ。だって、泉スーツ姿で寝て、スーツにしわが残ったら大変だろ」
た、確かに。確かにそれはそうだけど。
「下着までとる必要なないだろっ」
耳まで真っ赤にして泉は怒鳴りつける。
「本当に覚えてないんだね。昨日雨降ってたんだよ。あのままじゃ風邪ひくだろ」
北斗はあっさり答える。
 雨…。そう言えば降ってたような、降ってなかったような。
「そうか。ありがと…」
泉はとりあえず素直に謝っとくことにした。北斗は、泉のその素直なかわいい反応にいてもたってもいられなくなり、キングサイズのその大きなベッドに自分も乗っかると、泉の唇に、寝起きではっきりしてないと言うのに、熱いキスをおみまいする。
「んんっ…ほ、ほ…くとぉ」
ねっとりとした感触に、泉は一瞬にしてぱっちりと目を覚ましてしまう。
「んはぁ…んっ」
北斗は今までおあずけ食らった分だと、舌を巧妙に使い、泉の舌に絡ませてくる。
 泉は抵抗しようと、その舌から逃れるように左右に口の中で動かすが、それを誘っていると勘違いされ、ますます絡めとられる。
「ぁ…はっ…んぅっ」
舌先を軽く吸い上げられ、快感が体中に走り出す。泉は北斗の口を離すことができなくて、北斗が離れてくれるのを待つ、すっかり受身態勢だ。
「北斗…んっ…やめろ…んんっ」
深い口付けが終わると、今度は何度も何度も浅いキスを繰り返す。唇の周りを軽く吸ったり、歯の辺りに口付けたり。
 もう、愛しくて愛しくてたまらいない気持ちを表現するキス。
 泉は違う感覚に朦朧としてくる。
「やめろ…って…」
泉はようやくのことでキスを終わらせることに成功した。
 最後は拒まれたものの、キスの最中はトロンとした瞳を潤ませて感じていた泉を見れたことで、北斗は上機嫌の上機嫌だった。
「おはようのキスだよ…おいしかった?」
「知らないっ」
泉は、北斗がベッドから降りたのを見計らって、ブランケットをまとったままベッドから自分も降りる。
 その姿がどんなに悩殺的か、官能的か泉はわかってない。
「誘ってる?」
北斗はからかうように聞く。泉はようやく自分がどんなに恥ずかしい格好をしているか理解して、真っ赤になる。
「服を貸してくれよ…これじゃ帰れない」
泉は片手で胸元のブランケットのつなぎ目部分を抑え、片手を北斗に差し出した。
「ちょーだいってお願いしたら、あげるよ…」
北斗はベッドに座り、長いその足を格好良く組みなおすと意地悪そうに微笑んだ。
「意地悪…」
泉は悪口のつもりで言ったのに、北斗にはお褒めの言葉に聞こえたみたいだ。
 人間、考え方がどうも違うみたいだ。
「それは、どうも。でも、ほら言わないとずっとそのままだよ。俺はいいけどねどっちでも」
北斗は真っ白い腿を覗かせながら、真っ赤なブランケットを羽織っている泉を上から下まで舐めまわすように見て言った。
続く。
−2− | −4− | 教師モノへ。
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