ぱぱコン

−7− −9− 学生モノ


−8−


放課後の理化準備室ってどこかエッチくさい。
 何がって言われると、説明は出来ないんだけど。
 そんなところで、蜜事をしていた……なんて、マンガやドラマじゃなくて、実際にあるからもしれない。
 そして、ここBL学園でもまた一組、家に帰る道のりすら我慢できなくて、必死に愛を確かめ合っているカップルがいたり……。
「……ふっ……や、め」
 止めろと言いたくて、必死に腕や足を動かしてみるけれど、そんな動作は蚊が止まっているくらいにしか思えないのか、自分に跪き、下肢に顔を埋める男は微動だにしない。
 身体全部を崩さないように、窓ガラスに両手をかけ支えていると、外で何が起こっているかが見えて、余計に羞恥が生まれる。
 自分がされている――している事を思えばさらに、だ。
「宵威……っ、もういい……いいからっ」
 立ったままの自分の正面で両膝を突き、自分のあられもない場所を奉仕する恋人のあられもない姿に、ここの生徒会長でもある愛実はイケナイ気持ちでいっぱいになり、必死に身体を支えている片手をどうにか振り絞り宵威の頭に持っていき、引離そうとする。
 どこから?
 ……愚問。
 自分のナニから、宵威の舌を。
「どうしてです……?気持ちよくないですか?」
「良くない、とか、良いとか、そういう問題……アッ」
 本日一番の嬌声が愛実の可愛い口から飛び出す。
 可愛い……なんて言うと、愛しい恋人は確実に怒るから言わないんだけど。
「そういう問題ですよ。恋人が気持ち良くならなきゃ……僕は嫌です…」
 恋人になってから数ヶ月、進展も進歩もなかった自分たちの恋愛に、やっと起きた転機。――それが、例え、エロ生物教師の魔の手にかかった愛実に嫉妬しての行動だった、と言うのは置いといても。
 この機会を逃すわけにはいかないのだ。
 それでなくても、愛実は恋愛に奥手で、臆病で……まぁ、またそこが可愛いんだけれど。
「宵威、お願……い」
 止めてくれ、のお願いなのか、それとも、もう最後までしてちょうだい、のお願いなのか、もう愛実自身にもわからない。
 とにかく、この疼きと、羞恥から逃れたい。
 その一心だ。
 宵威が初めて自分にこういう行為を強いた日から、宵威はいつどこでも人気がなくなると身体に触れてくるようになった。
 ずっと、ずっと俺はゲイが苦手で、そして、また、そういう人達からよく身体を触れられる事が多々あった。
 それが嫌で、嫌で、ますます嫌になっていったのもあって、自分に好意を持つ男達全てが怖く、強暴なものに思えたときもあった。
 けれど、自分から初めて、尊敬……というか、なんかこう、オーラのようなものを感じた人が、宵威で。
 初めて、恋愛に、男も女も関係ないんだな、って思ったのはこの時。
 ま、まさか、男同士で身体を交える事があるなんて考えてもみなかったけど……。
 だ、だって、これまで宵威は俺に……別段触る事もなければ、強要することもなかったから。
 だから、だから!
 困るんだってばぁ〜!こんな事急に増えると!
「大丈夫です、ちゃんと達かせてあげますから……ね、だからお願いです、言ってください、いつものように」
 愛実の一番大事な場所を唾液でぬるぬるにしながら、盛る吐息混じりに、上目遣いの宵威が囁く。
 少しかすれ気味のその微かな声は、何よりもエロくて、愛実の幼いその場所をピクッとさせる。
 少し乱れてはいるけれど、二人ともまだ制服をきたままで、その上学校。そんなシチュエーションで盛り上がらないほど、宵威は老いてはいない。
「ん……っ……馬」
 ソコを握られたままで、顔を歪め宵威を見つめるが、宵威はムッとした様子で、再び強く扱いた。
 もちろん、根元はせき止めたままで。
「ひゃあっ……ぁ痛……」
 生理現象を押さえられる形になっている愛実が辛いのは当たり前だ。
「本当なら僕は恋人にはこんな真似したくないんですよ」
 焦っている自分を余裕の笑顔で隠しつつも、宵威の額からは欲情した自分を抑え切れず、汗が滴る。
 自分を詰りながらも、笑顔に見える恋人の顔を見ながら、愛実は空ろな頭の中で、悪態をつく。
「嘘……つき」
 あまりに可愛い愛実の反撃に、宵威はドクンと触れてもいない自分の熱棒が反応すのがわかる。
 愛実がまだ触れたことのない、その場所。
 そこは、今だ制服と言うバリケードで隠していた。
 なぜ……?
 それこそ、聞くにもみたない質問だ。
 何故なら……。
「ね、別にあなたに同じ事をして、って言ってるわけじゃないんですから……」
「なっ……出来な……っ」
 宵威が今自分にしている事って……。
 つまり、宵威のソコを舐めるって事……?
 愛実は涙目になりながら、宵威の頭を引き剥がそうと躍起になる。
 そんな愛実に苦笑しながら、宵威は愛実の一番感じる、裏を根元から舐め上げる。
「ふっ……っアァン」
「知ってますよ、出来ない、事は。だから……です。だから、言ってるでしょう。貴方は愛を囁くだけでいいですから、僕はそれで絶頂に達ける…」
 そこで囁かないで欲しい。
 ねっとりと絡ませられる舌はまた絶妙で、後から思えば不可解な声を思わず出してしまうけれど、そこに微かに吐息がかけられて、撫でられるように優しくされるのも苦手な愛実は、腰をくねりながら、逃げるように抵抗する。
 いつも、だ。
 宵威は愛実に言葉を求める。
 いつも、いつも同じ言葉を。
 けれど、それをいつも愛実が照れてしまうのは、愛実の性格で。
 そんな愛実の性格も全て、全部を愛しているから、宵威はいつでもその言葉を聞きたくなるのだ。
「……好き……っ」
 生徒会長で、モラリストで、ゲイ苦手で、そして人一倍恋愛に疎い、美少年愛実君にとって、この言葉は偉大であり、そして最大限の愛の言葉だ。
 それがわかっているから、宵威は口元を思わず緩ませ、微笑む。
 その微笑を、愛実が好いている事は、たぶん知らないんだろうけど。
「俺もです……大好きです、愛実さん」
 カリッ……と少しだけ歯を立てて、愛実自身を虐める。
「ァア……酷…い……俺、言った…!」
「ええ、そうですね……そう、だから、もう少し…」
 愛実の先端から溢れ出してきている透明の液体を舐め取りながら、そこを吸い上げる。
 身体中で感じていた解放されたい欲求がさらに押し寄せて、愛実の口元から苦痛の喘ぎが聞こえる。
 本当に今まで身体を誰にも触れさせた事がないのだろうか…?
 そう疑いたくなるくらい、愛実は最初から敏感だった。
 疑いがあるとすれば、愛実をおかしいくらい溺愛している誉と薫。後は、あの鬱陶しい親友ぶっている隆二と正宗の二人……。
 でも調べている限り、隆二と正宗は今まで愛実と一緒だったのに、押し倒す強行に至らなかった経緯を思うと、愛実に触れている可能性は低い。
 それに、愛実はこの二人を絶対的に信頼していて(むかつきますけど)恋人である俺よりも信じている部分もあるくらいだ。
 それは、愛実の大嫌いな、「愛実に恋愛感情を持った人間」じゃあないと、愛実が判断しているからだ。
 本当はどうかは、別として。
 ってか、俺だったら、愛実と友達をやるなんて考えられないんですけどね。
 だって、愛実と一緒に居ても、それじゃあ何の意味もない。
 そして、パパたち…だ。
 一番怪しいのがこの人達だ。
 なんせ、本当のパパかも怪しいくらいだから。
 興信所を使って調べてもみたけれど、戸籍を手にいれることは出来なくて、その上、三人とも確かに本名は「田宮」であっているらしい。
 でも、苗字が同じだけなら、親戚ならありうる事出し、従兄弟以上に系統が離れていれば、恋愛だってありうるわけだ……。
 法律上。
 男同士、と言う事を抜けば。
 そう考えていくと、宵威は居た堪れない気持ちに陥り、愛実がこの好意をあまり良く感じていないと知りつつも、縺れ込ませてしまうのだ。
 俺しか知らない、愛実の表情が見られるから……。
「愛実……愛実……お願い、もう一度…っ」
「っ……好き、だから……ちゃん……と」
「愛してます……愛実っ」
 せき止めていた親指と人差し指を離せば、宵威の口腔に愛実の吐精が流れ込む。毎日一回は必ずどこかでこの行為をしているせいで、いくら若い愛実と言えども、普段よりも甘く飲みやすくなっているそれを、宵威は美味しそうに喉を鳴らし飲みこむ。
 出しきった愛実は、窓の外で生徒達が走りまわっているのをチラリと見ながら、宵威よりも低い目線になるくらい、床に倒れこむ。
 宵威の口元を見ると、口内から抜き取る時についたのか、はたまた勢い良く放ちすぎたのか、口元に白い粘液がついている。
 愛実は理化準備室にお誂え向きなリトマス紙のように顔を瞬時に赤くすると、今だ乱れたままの自分の下肢のチャックを閉めた。
 宵威は今だ愛実のソレがついた唇を少し指で擦り、指についたソレまでを綺麗に舐め乾すと愛実の唇すれすれまで唇を近づける。
 馨りとか、味とかそういうのが伝わってきそうで、愛実は思わず顔を叛ける。
 いくら自分の出した物だといわれても、本来口元に近づけるもとでもなければもちろん、飲むものでもない。
 そういうのをやっぱり顔にもっていくのはどうかと思う……って思っちゃうのは、俺…だけ、なのかな。
 放った自分はいいけれど、目の前で満足気に微笑みながら、今だ変化したままの宵威のソコを見て、愛実は宵威と再び目が合わせられなくなる。
 制服を着ているからって、男同士だからだいたいどんな状態なのかはわかる。
 それがどんなに辛い状態かも、だ。
 いくら髪がさらさらだって、目が透き通るくらい綺麗で大きいからって、まつげがまるで箒みたいにバサバサしているからって、愛実はれっきとした男なのだ。
「気持ち良かったですか」
 汗でべたつく髪を掻き揚げてあげながら、宵威はうつむく愛実に囁く。
 達かせてあげたばかりだからか、頬に赤みが残っていて、真っ白い肌が上気している。それがまた色っぽくて、淫らで、扇情的だから困るのだ。
 なんせ自分はここでは達けないから。
 達けるものなら、達きたいのだけれど、愛実の前、と言うのは今のところ宵威は抑えていたりする。
 それが、引きがね。
 もし、その一線を向かえてしまったら、宵威はきっと、愛実をむさぼりつくまで食べ尽くしてしまうだろう、と自分でわかっているから。
 愛実の存在がそれほど宵威を食べ尽くしているのだ。
 親のスネばかりを齧って生きるただの生意気な血統書付きの犬から、野生の狼へと変えるのは愛実。
 愛実の肌、愛実の髪、瞳、吐息、足、手、そして、淫らなあの部分。
 考えれば夜も寝つけないほどの熱が自分を包んで、おかしくする。
 それを悟られたら、あるいは、そんな情熱に日々胸を焦がしている自分が見透かされたら、愛実はたぶん、逃げてしまう。
 今の、触れられるようになったギリギリの関係ですら壊れてしまう。
 それがわかっているから、宵威は愛実を気持ち良くするだけさせて、この行為にもなれさせようとしているのだ。
 だから、触りたくてもそれ以上に指もステップも進めることはない。
 ただの自慰をやってあげているような、セックスとも呼べないようなこの幼い行動が、今の愛実には精一杯な事など、宵威はわかっている。
 けれど、けれど……。
 日を重ねるごとに押し寄せてくる不安。
 愛実の敏感過ぎる身体も、過去も、現在も、全てが、あの家に、「田宮」家にあるという、嫉妬。
 家族だ、と愛実は言うけれど。
 実際、どうなんだろう。
 愛実と一回りしか違わない、誉、薫。
 一回り離れたカップルなんて世界にはザラだ。むしろ、年齢なんて関係ない今だ。
 あの二人のどちらかが、愛実に自慰行為を教えたとしたら…?そして、愛実に性の快楽を教えてたりしたら……?
 嫌な考えは募る……。
「会議……っ」
 居た堪れなくなった愛実は、その今しがたセックスしてましたという空気の立ちこめる部屋の窓をどうにか少しだけ開け、諦めるように呟く。
「会議?」
 恋人の会話には程遠いその単語を聞き、宵威は首をかしげる。
 ――というか、本当は何の事かなんてわかっていたんだけれど、愛実が今、この瞬間、その話題を持ち出すのはどうか、と少し非難も込めていた。
 だって、今しがた、呼吸も乱れるほどにイヤラシイ事をしたあとだと言うのに…。
「生徒会……の会議……遅れる」
 しどろもどろになりながら言うのは、愛実にも少しは申し訳ないという気持ちがあるからなのだろうか。
「ああ、そうですね」
 自分は息も今だ絶え絶えで、床に座ったままあまり動けないと言うのに、目の前の男の冷静な態度に、愛実はいささかムッとする。
 本当に、今、自分の……その……ナニを……咥えていた男なのだろうか、と疑いたくもなる。
「そうですね、ってお前…っ!」
「愛実さんは、僕なんかより仕事や勉強や会議の方が大切なんですよね、知ってますよ」
 ツンとした態度なのは、鈍い愛実にすらわかった。
 鈍い、と言うのは、愛実は認めていないけれど。
「宵威……」
 普段嫌味なくらい大人っぽくて、冷静を決め込んでいるくせに、こういう話題になると、年相応……というか、それ以下なくらい幼い態度をとる宵威に、愛実は肩を落とす。
「そういうわけじゃない、けど……」
「けど?」
 続きを聞き返され、愛実は思わず声を詰める。
 その続きがないわけじゃない、ただ、そんなに意気込んで聞かれると、どうしようもなくなるのだ。
 どうしようもなくなって、宵威を選びたくなる。
 けれど、それが出来ないのが、この愛実様なのだ。
「今は、ほら……決める事とかある、からさ」
 その当たり触りのない解答に、今度は宵威が肩を落とした。
 いつもこうだから、わかってはいたけれど。
 でも、一回で良いから、自分を選ぶようなセリフをしゃべってほしいって望んでしまうのは、そんなに……そんなにいけないことなのだろうか。
 愛実相手に恋愛をしてしまったその瞬間から、多少のリスクはわかっていたけれど。
 いきなり無言のまま、手持ちぶたさになった両手を頭に抱え、横になる宵威に、愛実は乱れた制服を直しつつ、フォローをいれる。
「が、学生会は会議ないの…か?」
「今日は学生会会長がデートのため、お休み……なんですよ」
「えぇっ!?」
 学生会会長と言うのは、もちろんこの芦屋 宵威の事だ。そのお人がデートするというのは、愛実が知る限り……一人だけで。
「宵威、それって…っ」
 顔を真っ赤にさせたり、真っ青にしながら、愛実が宵威の顔を覗き込もうと、背中の方から宵威を覗きこむと、その華奢な片腕を痛いくらいに握り締められ、キスを強引に奪われる。
「っ……」
 お遊びみたいな舌の動きが、やがて愛実の性感帯を確実につく、確信犯的なフレンチキスに変る。
 深い、深い、そのキスは愛実の口からどちらのものとも言えぬ唾液がこぼれ落ちるまで、続いた。
「しょ、宵威……っ」
 やっと腕を解放され、唇を離せると、愛実は艶めくその唇をふき取りながら、宵威を咎める。
 いきなりキスをしてきたこともだけれど、そのキスした宵威の唇は、今しがた、愛実の白濁とした精を受けとめた場所であり、飲み込んだ場所なのだ。
 少しだけいつもと違う味を感じたせいで、愛実は少しだけその蕩けるようなキスに不快を感じたのだ。
 それも、居た堪れないような羞恥に追い詰められる不快感……が。
「冗談ですよ」
「ぇ?」
「デート。本当にそうなら僕はいつでも大喜びで仕事を投げ出すんですけれど。あいにく僕の恋人は恥ずかしがりやな上、多忙なお人ですから」
 自分の事をわざと他人行儀に言われ、愛実は宵威の上からゆっくりと退いた。
 こういう時、謝った方がいいのかな、とも思うんだけど、素直になれない愛実の中の難しい部分が、口篭もらせる。
 そんな愛実に宵威は今度は啄ばむような軽いキスをする。
 それすらも愛しいと言うように、優しく、愛を確かめるように……。
 だって、こんなキスですら、つい最近まで出来なかったのだ。
 宵威にとって、キスもエッチもしたいものだけれども、なによりも愛実に触れられるというのが一番嬉しい事だった。
「今日は部活で試合の者たちも多くて、会議はお休みにしたんです。――それより、愛実さん……今日の会議ってまさか、あの話じゃないですよね」
「あの話?」
 火照った顔を押さえ、それがばれないように外を見ながら、愛実は宵威の方を見ないで何気なく聞き返す。
「あの話ですよ、学校に泊まりこんで親睦会を開くといっていた、あの……」
「え……ぁあ……」
 妙な感じがして、言葉を濁らせれば、嫌に勘の良い宵威はムッとしたように、切れ長の瞳を愛実に向ける。
「そうなんですね」
「ぅ……そ、そうだよっ……なんだよ、お前、どうしてそんな不機嫌になるんだよ」
 愛実にとって、この『お泊りで親睦会★』なんて、初の試みで、その上、その上、最近深〜い仲になりつつある宵威と一晩一緒にいられるのだ。
 邪な考えなどに結びついていない愛実にしたって、それはちょっとドキドキな体験になるわけで。
 その上、あの超サンコン(?)で、息子ラブなパパズから、たとえ一泊だとしても離れられるかもしれないのだ。
 これは、子離れ、親離れのチャンス……かなぁ…なんて。
 と、とにかく、隆二たちも乗り気だし、宵威も宵威も……喜んでくれると思ったのに、なんだかこの話になると嫌な顔をする宵威の邪な気持ちなんて知る由もない愛実は、宵威以上にムッとした顔になって、立ちあがる。
「どうしてわざわざ泊まりにする必要があるんです」
「……そうした方が親睦が深まるだろ。もともとそういう会なんだし」
 本当は、友達の家にも泊まらせてもらえないお家事情があるから、余計に『お泊り』というものに、新鮮味を見出してしまったからなんだけど。
 もちろん、隆二と正宗の策略も入っている――けど。
「はぁ……」
 宵威があからまにため息をつくのを感じ、愛実は身支度を整え終えた男を上から睨みつける。
「なんだよそれは…っ……」
 一応年上で、そしてこの学園の生徒の中で一番偉い位置にいる愛実は、人にため息をつかれるなどされることはめったにない。
 成績も上位で、運動神経もあって、身長こそ低くはあるが、昔の天草士朗を思わせる風貌に魅力は、生まれ持っての天性と言えよう。
 そんな愛実だから、プライドも高く、多少甘ちゃんに育ってしまったのだけれど。
 そんなわけで、恋人であるはずの相手にもちょっとだけ偉そうな口ぶりで、そのため息の訳を問う。
「……貴方はわかっていないんです」
 上目遣いで見つめられると、それは鎖のように愛実の視線を縛る。
 赤くなる事も許さないその意思の強い瞳で、宵威は愛実を見つめるだけだ。
「……何を……わかってないんだよ」
「……周りが貴方をどう見てるか、ですよ」
 愛実が鈍感なのは知っている。けれど、男の俺が愛実の身体に触れ、毎日、毎日どうしようもないくらい欲情してしまっているというのに、他の男が愛実にどんな感情を抱いているかなんて想像もしない真奈美に、宵威は時々苛立ちすら感じる。
「周り?」
「隆二さんや正宗さんでもいい、生徒会の他の役員でも良いですし、それにクラスメイトでもいいです。よく考えて見て下さい、貴方に……貴方に何か視線を向けてはいませんか」
「……視線?」
 回りくどい宵威の言い方に、愛実は頭をひねる。
 なんの事を言いたいのか、さっぱりわからない。
 言いたい事があるなら、はっきり言ってくれた方がどんなにいいか。
「っ…!」
 宵威は愛実の頬に手を滑らせ、正面から愛実を見つめる。
 それも、後味の悪いねっとりとした感触のするような視線で。
 男の本能丸だし……の視線で。
「こういう……ネチネチとしていて、欲望が露になったような、纏わりつくような……視線、ですよ」
 耳元でカラカラの声で囁かれて、再び身体中がズクンと疼く。
 そんな身体の変化になんて気付かれたくなくて、愛実は空ろになる頭の中で必死に考える。
「視線……なんて、わかんな…い」
 見つめられている目が怖くて、でも反らせレなくて、ゆっくりと瞼を閉じると、愛実は消えそうな声で必死にだした答えをしゃべる。
 そこらへんのモデル以上に整った顔立ちをしている宵威にねちっこく見つめられ、恥ずかしさでどうにかなりそうな頭で考えたにしては、良く出来た回答だと思った。
 だけれど、やっぱりこれも宵威の機嫌を損ねたようだ。
 宵威は愛実の頬から手を話すと、急に何を思ったか立ちあがり、愛実に背を向けた。
 愛実より頭一個分以上でかい宵威の背中は、年下ながらも大きく広く見える。
「僕がもし、今の僕じゃなかったら……僕は嫉妬で狂いそうです」
「?」
「もし、貴方に僕以外の恋人がいて、僕はそれを見ているだけ……という状況なら、僕はきっと貴方を穴があくほど見つめてしまいでしょうね。毎日、毎日。見ているのは自由なんですから」
 それはつまり、宵威の話を一つにまとめると、えーと……。
 クラスメイトの中にも俺を宵威みたいに思ってるやつがいる、って事……か?
 まして、隆二や正宗までそんな対象に入っているって言うんだから、冗談甚だしい。
 愛実は今だ背を向ける宵威を一瞥し、準備室の小奇麗な部屋を大またで通り抜けると、ドアのところで振り返りもせず、つぶやいた。
「…そこで、一人で頭を冷やせ……」
 横びらきのドアは、嫌になるくらい大きな音を立てて開き、そしてそれより大きな音をたてて閉まった。
 宵威は愛実の足音が聞こえなくなったのを確認すると、その場に両手両足を伸ばし、倒れこむ。
「はあっ……っ」
 どうしてわからないんだ。
 あんなに可愛い顔して、わかんない、なんて犯罪じゃないのか。
 どうしたら、まわりの煩悩に気付かず生活が出来るのか聞いてみたい。
 今まで愛実の貞操を守ってきた誉や薫のその根性には感謝するが、育て方をもう少し改めた方がよさそうだ。
 これじゃあ、本当に箱に入れられて育てられたお姫様だ。
 それも、防弾ガラスの箱に。
「我慢してる俺が馬鹿みたいじゃないか」
 愛実の吐息が頬に触れるたび、愛実の声を聞くたび、愛実を見るたび発情期を迎える自分に強いている十戒は、キリストのそれよりも厳しいに違いない。
「汝、姦淫するべからず……か」
 言葉に呟けば、それがどんな聖人君主にも難しい事かが嫌でもわかる。
 愛しい恋人を前にして、これを守れる人を見てみたい。
 触りたい、触りたい、触りたい。
「そう思っているのは、俺だけじゃないんですよ、愛実さん……」
 瞼を閉じれば、先ほどまで自分の手の中で悶え震えていた愛実が蘇る。
 一体誰が愛実に恋心を抱いているかなんて把握できない。
 そんな無数の敵たちから愛実を守ろうと必死なのに、その張本人のお姫様は、学校で泊まりこみ親睦会を開きたいなどとほざくのだ。
 泊まり。
 泊まりだ。
 普段、俺ですら家にもめったに呼ばないくせに(まぁ、それは誉や薫の事があったからし方のないことかもしれないけれど、だ)、他の男たちのいる中で寝顔を見せようというのか。
 普段の愛実さんを惜しげもなくさらそうというのか。
 それは、宵威にとって耐えきれない屈辱だった。
 自分ですら愛実の普段着や、寝顔は見たこともないのに。
 それに!
 もし、もしも(絶対、させないけれど)夜這いなんて企んでいる馬鹿がいたらどうする。
 誉さんや薫さんが許すとも思えないけれど、あの愛実がここまで言い出したら効かないのもわかっているし……。
 考えるだけで嫉妬の渦に飲み込まれてしまいそうになる。
 そんな宵威の悩みをこれっぽっちも愛実は理解していないと思うと、なおさらだった。
 こんなに触っているのに、こんなにキスしているのに。
 愛実はイマイチ宵威にそういった警戒心を抱かない。
 それが嬉しくもあり、疑問にも思うところがあるのだ。
「俺も男……なんですよ……」
 本当は学生会の会議もあったのだけれど、宵威は不貞寝を決め込んで、薄汚れたその部屋で欲求不満の残る体と頭を投げ出した。

 その日の会議で生徒会で決まったことは、やっぱり以前とほとんど変わっておらず、泊りがけで親睦会をするというのは、やっぱり決定らしかった。
 もちろん、これは生徒会役員こと愛実シンパの方々が、愛実を悦ばすためにはどうしたら良いかと考えたゆえの結論で、愛実が拒否するわけではないのだが。
 らしかった、と言うのは、未だ数名渋い顔をしている人が、愛実の頭の中によぎったからだ。
 とりあえず、(案)と言う言葉を残し、その日の会議は終了した。
「愛実、本当に誉さんや薫さんが許可だしてくれるかぁ」
 会議では一言もそんなそぶりを見せなかった隆二が、半ば呆れモードのような声をだす。
 さすが親友……誉や薫の愛実支配を理解している。
「……説得する。……と、言うか、俺だってもう高校二年なんだ。泊まりくらいあの二人だって許してくれなきゃ、俺将来一人暮らしもできないじゃないか」
 愛実が一人暮らしをしたいなんて聞いたのは初めてだったので、隆二と正宗は顔を見合わせて、冷や汗をたらす。
「……一人暮らし?」
 そんな焦った様子が顔にでない正宗が、できるだけ落ち着いて聞き返すと、一歩前を歩く愛実が夕日に映える黒髪を揺らし、振り返る。
「なんだよ、俺じゃあ一人で暮らせないって言うのか?」
「そんなわけじゃねぇけどさ……それこそあの二人は許さないな。って言うか、お前をあの家から出すわけないじゃん」
「……」
 さすが親友。
 けど、でも、それじゃあまるで俺は小さい子供か、人形のようだ。
 けれど、否定の言葉は出すことが出来ない。
 なぜなら、隆二の言葉のどこにも、ハズレはなかったから。
 愛実は再び振り返り、真っ赤に燃え盛る夕日を流し見る。
「でも、なんであの二人はあそこまで過保護かねぇ」
 隆二の何気ない呟きが、本当に素直に考えさせられた。
 思えばあの二人の愛実に対する執着は一体いつからなのか。
 覚えているはずも無い。
 愛実はこのことを考えるととてつもなく寂しさを感じる。だって、そうしたら、どちらかはきっと『ぱぱ』じゃないのだ。
 それが誉でも、薫でも、嫌……だ。
 愛実が唇の端を噛み締めるのを見ると、隆二は愛実の背中を叩いた。
「まぁ仕方ねぇよな。あの人たちにとって、たった一人の息子なんだから、お前は」
「気にするな」
 さすが親友。
 二人の言葉に、愛実はその日一番の微笑みを浮かべた。
 そんな透き通るような天使の微笑みに、二人が『親友』を保つのをどんなに刻苦したか言うまでも無い。
「さんきゅ」
 愛実は重々しい真っ黒の鉄の門をくぐり、木製の玄関のドアを開いた。

 「おかえり、愛実」
 家の扉を開くと、入ったと単に鼻をくすぐる愛実の大好きなシチューの馨り。
「薫……仕事は?」
 愛実のぱぱの一人……薫の職業は恋愛小説家だ。
 普通、小説家にこんな単独な分類名はつかない。みんな、好きな文章を好きに書き、エッセイや児童書なんてものにも手を出す人もいる。
 けれど薫はデビュー依頼恋愛小説以外書いていないらしく、異名がついたのだ。
『恋愛主義小説家皇子』なんていうお堅いネーミングが。
書いていないらしい……と言うのは、俺は小説を読まないから、ちゃんといえないのだ。
いや、本を読むのが嫌いなんじゃなくて、あとがきとかを見ちゃうのが恐くて。
何か……薫や誉の何かが書いてありそうで、恐くて見れないんだ。
まぁ、一般向けに発売されている本に、几帳面な薫が何を書くわけではないと思うんだけど、ね。
 そんな自由家業な仕事だから、小説の仕事がない時は、家の家事とかもこなし、料理にも手が込む。
 でも、今は確か少女雑誌の連載物が入ってるはず……だと思ったんだけどな。
「とりあえず終わる目星がついたから……それに、後もう一人も帰ってくるから、ね。仕方なくお持て成し準備中」
 薫はもともと誉に対する口が悪いけれど、誉が家にいない時はもって酷くなる。
 けれど、クランクアップして撮影場所から帰ってくる日はちゃんと料理作って待ってるんだ……仲がいいんだろうな…これは。
 本人は認めなさそうだけど。
「そっか、今日だっけ。誉ちゃんが帰ってくるの……あ」
「ん」
 誉ちゃん……って言っちゃった、って思って俺は思わず口を塞いだ。
 そんな俺を見て、薫は優しく笑った。
「無理しなくていいんじゃない?そういうのって。そのうち自然と変わるよ」
 少年が自分のことを僕って呼ぶのから、俺って呼ぶのに変わるみたいに。
 なんだかこういうことを諭す薫は本当にぱぱって感じだ。
 優しいけど、弱いわけじゃなくて、笑顔とか寛大で、こう……頼れるって言うか。やっぱり……薫がパパなのかなぁ。
 だとしたら……誉は何になるんだろ。
 や……だな、なんか、こういうの。
 愛実はなぜか痛む胸を抑えながら、それがばれないように自分の部屋にあがっていった。
「ただいま〜っ!愛実ぃ」
 BL学園の、英国風味な制服を脱ぎハンガーにかけていると、階下から1週間ぶりの誉の声が聞こえた。
 普段なら、あ〜煩いっ!なんて憎まれ口の一つも叩いてやるところだけれど、やっぱり、長期家をあけてたわけだから、誉だって……さびしかったんだと思うんだ。だから、なんとなく……だけど、愛実も少しだけ素直になって、こんな誉の声も少しだけ嬉しく聞こえる。
「愛実っ……」
 ゴツーンっ!
 愛実の部屋のドアをいきなり開けようとしたのか、誉の勢いあまった声は愛実のドアの前で変に止まった。
「……誉……」
 ブルーのシャツに、すらっとしたジーンズを着こなした愛実は、変な音のした自分の部屋のドアを内側からあける。
 すると、頭でも変なところに打ったのか、誉が微妙な表情でその場に立っていた。
「愛実〜っ!なんでお前、部屋に鍵なんてかけてるんだよっ」
「急に開ける方が悪いだろ。人の部屋はノックしてから入るって決まってるじゃないか」
「それは他人に対して。俺たちは家族だろっ」
「着替えしてたのっ。家族でもプライバシーは必要だろっ」
 もともと俺の部屋には鍵がついていた。だけど、三人で暮してきていまさら鍵なんてつける時がめったになかっただけで。
「愛実っ!誰かにセクハラでもされたのかっ。覗きでもされたのかっ」
「な……なんで発想がそっちに行くんだよっ」
 外れてもいない……ような。
 誉のいなかったここ数週間で、俺と宵威の関係はなんだかすごいところにまで進展してる気がするから……。
 そんな、宵威とのあられもない事をついつい想像してしまった愛実は、誉の前だというのに、赤くその可愛い頬を染めた。
 その変化に気付かないほど、誉は親ばかを卒業したわけじゃなかった。
「愛実……」
 青ざめた表情で自分を見下ろしてくる男に、愛実はハッとわれに変える。
 そう、ここは超心配性で過保護な巣の巣窟なのだ。
「ほ……誉?」
 190近い大きな身長の誉は愛実に迫ると、愛実の第二ボタンまで外されたシャツの合わせ目を強引に閉じる。
「こんな肌蹴た服を着るなっ!いいか、これから夏でも冬でも長袖にズボンだ。いや、家から出さないのがいいんだっ。な、愛実そうしよう!そうすれば愛実は――」
 ゴツン。
 今度は愛実の目の前であり、誉の背後にいつのまにかいた薫のフライパンが誉の頭を直撃していた。
「あ」
 痛そう……。
 だって、うちのフライパンって料理好きで凝り性の薫が買ってきたやつで、ちゃんと料理人仕様なんだ。
 つまり、あの鉄の黒くて重くて、固くて……殴ったら痛そうなやつ。
 鈍い音に一瞬止まった誉が、勢いよく振りかえった。
「薫っ!何して……っ」
「こっちのセリフだ。愛実に何してるんだ、アホ」
 顔に似合わず毒舌な薫は、それだけを告げると再び踵を返し、ダイニングへと去って行く。
「後5分でご飯。誉はさっさと着替えてダイニングに来る。愛実も誉なんかに構ってないでさっさとこっち来る」
「……わかったよ」
「はーい……」
 普段は薫に反発する誉も、これ以上してたら夕飯が抜きだと判断したのか大人なしく返事をし、歩いていった。
 俺はそんな共通点のキの字も見当たらないような二人の男を、改めて見つめてみた。
 どちらも、自分の本当のぱぱだとすると、14とかそこらの子供だから、ない……とも言いきれない。
 でも、やっぱり男同士じゃ子供はできない……し。
 夫夫って言うのはやっぱり無理がある。じゃあ、二人の関係は?友達……って言うんじゃないだろうし。親戚って言うのでもない。
 仲がすっごい良いわけじゃなくて、でも全然悪くなくて、何て言うんだろ、こういうの。ほら、なんていうか、傍にいるのが当たり前…って感じ。
 でも、それがふうふの普通一般の定義だよね。
 傍にいたいと思うから結婚する。
 あ、あれ…?そう言えば、俺、指輪って見た事ない、んじゃないか?
 ほら、結婚指輪とか、婚約指輪とか。
 そうか、そういうのがないから、いまいち俺、二人を恋人同士って認められてないのかも。
 でも、隠してる……って事も考えられないわけじゃないし…。
 うーん。考えれば考えるほどわかんない。

 「ごちそうさま……」
 箸をきちんと揃えて茶碗を重ね、シンクへ持っていった俺の中で、小さな挑戦がはじまろうとしていた。
 そう、打ち明けるなら今だ!
 『お泊り交流会』の許可を貰うなら今だ!…と、ココロが囁いているのだ。
 でも、でも…そうは決心したもの。水道の水を流しっぱなしで、ぼーっと戸惑っていた。
 どう切り出そうか。どう話しを進めようか。
 愛実は必死に頭の回路をめぐらし、一番誉と薫を納得させる説明を考えていた。
 でも……。
 やっぱり一番は、宵威と一緒の事を打ち明けなきゃいけない…ってことだよなぁ。
 どう考えてもOK貰える自信がない……。
 先に食べ終わった愛実がいつまでたっても台所にいるので、薫は自分の食器を運びながら、愛実の背中を軽く叩く。
「わっあっ……薫…」
 予想以上に俺が驚いた事で、薫の方が目を丸くしてきょとんとしていた。
「愛実?どうかした?悩み事とか…?」
 心配そうに覗き込んでくる薫の目を見た瞬間……。
「お、俺……」
 紡ぎ出すところだった言葉は、その続きをまったく選び出そうとはしなかった。
「……も、勉強するから上行くね……」
 そう告げると、愛実はわざと明るく振舞って階段をかけあがった。
 もちろんそれは、薫に不信感を抱かせるのに不足などなかったのだけれど。
 はぁ……俺って勇気ないなぁ。
 なんで誉や薫にははっきり言えないんだろ。これって、やっぱり俺、二人に依存してるのかなぁ…。
 まさか、ファザコン……。
 ……。
 …。
 い、いーやっ!違うぞっ。違うんだから…な。
 飾りで開いた参考書はもちろん頭に入るはずもなく……。
 なんだか宵威と話したい、そんな気分になった。
「何してるんだろ……お風呂とか?」
 そう言えば、宵威のこんな事を考えたのは初めてだ。何気ないいつもの風景なんて、考えた事もなかった。
 電話番号は知ってる……。
 愛実は電話の子機を握り締め、電話番号を何気なく一つずつ押していく。
 なんでだか怖くなったり、ワクワクしたり、そんな気分を一気に味わいながら、愛実は宵威に電話番号を教えられて、初めてその番号を押し始めた。
1、5、6の……。
 …。
 ブツッ!
 最後の一つを押す前に、愛実は通話ボタンを切った。
「はぁ……」
 やっぱり勇気ないのかもしれない。
 これじゃあ、BL学園の生徒会長の名前が廃る…な。
 そう思って、愛実は再びため息をついた。

 いつのまに眠っていたのか、気付いたのは自分の机の上に、真っ白な参考書のページを下敷きにしているトコロだった。
「ぁ……」
 八時ぐらいに部屋についたから、もう四時間くらい寝入っててしまったようだ。机脇のイギリス土産の置時計は、十二時近くを指していた。
 いつもはこんな事ないのに……。
 少しだけ寝癖のついた髪を掻き揚げながら、愛実は眠る前の自分を思い出す。
 勇気のない自分。
 意気地なしな自分。
 考えただけで……腹がたつ!
 やっぱり今日中に、誉たちに言おう。
 急に思い立った愛実は、そのまま部屋を飛び出すように出ると、一階の誉の寝室に行く。
 誉の寝室は、一階の一番奥で、一番広い部屋。この部屋をとるか、とらないかで、誉と薫は何度ももめたんだって言う、伝説まであったりして…。
 大きなその木製のドアの前にきた瞬間、俺の憤った勇気は急に小さく成り果てる。
 だって、やっぱり……。
 ドキドキするんだよ。
 なんかさ、親に百万円ちょうだい、とか言う気分なんだって。そ、それくらい無理みたいな事なんだよ。外泊って。俺の家じゃ。
 むしろ、百万円の方が簡単に出てきそうなくらい。
「はぁ〜……っ」
 とりあえず大きく息を吸って、心拍数を下げる。
 金縁のノブに手をいよいよ手をかけようとした瞬間……ドアの中から声が聞こえた。
「……あれ」
 いや、テレビもあるし、ラジオもあるし、電話もあるんだから声くらい聞こえてもいいんだけど…。
 俺がここまで不思議に思ったのは…。
 聞こえたのは、誉の声じゃなくて、薫の声だったから、だ。
 別に同じ家に住んでるんだし、部屋を行き来するのも別に珍しいことじゃないんだけど……。
 なんとなくドアを開ける事が出来なくて、俺はノブに手をかけたまま、その場に立ち尽くした。
 すると、あたりの静けさに慣れ、トビラの中の声は次第にはっきりと耳に届くようになる。
「……愛実が何か悩んでる?」
「……たぶん」
「それって、この前の愛実がいなくなったのとか、生物教師だかが乗りこんできたのとか関係あるのか」
 何、これ…。俺の話してるの…?
 早く寝れば良いのに……二人とも。
「さぁ」
「『さぁっ』てお前…」
 ベッドに越しかけている誉は、お風呂からあがったばかりだから、上半身は裸で、バスタオルを首に下げている。
 その斜め前あたりで、薫が両腕を組ながら、ベッド脇のチェストに寄りかかり足元を見つめていた。
「愛実……は、離れて行くなんてこと…ないよな」
 薫が珍しく誉に弱音を吐いた。
 誉は、スッと立ちあがると、薫の正面に立ち、うつむく顔をあげる。
「馬鹿言ってんじゃねぇよ」
 暫く海外での撮影だったせいか、少しだけ焼けた肌の誉の指先が、真っ白い薫の頬に手を滑らせる。
「お前らしくもない」
「……そう、だな」
 薄く笑った薫の清楚な唇に、逞しい誉の顔が近づき、荒々しく唇を奪った。
「……んぅ……ぁっ」
「アレは俺たちの子供だろ……」
「っ……ああ…んっぁ」
 舌を絡めれば、声も漏れる。一週間ぶりのお互いの肌を感じ取るように、どちらともなく指を動かし、お互いの肌に触り、ベッドに倒れこむ。
 ギシ…と沈む大きなベッドは、男二人分の体重も支えてしまうキングサイズだ。
「ぁっ……ン…っ」
 動作が激しくなるにつれて、漏れる声も大きくなる。
 けれど、二人はその声が二人だけしか聞いていないと思っていた。
「ぁ……っ」
「薫……」

 少しだけ開けてしまったドアを後悔した。
 
「ふっ……」
 耳を塞いで、愛実はドアの前で歩けなくなっていた。ガタガタと震える体は、明かに拒絶反応を出している。
 確かに部屋にいるのは、誉と薫。
「っ…嫌だ……ぁっ」
 苦しくなって、嗚咽を漏らせば、それが中の二人に聞こえないように、必死に歯おを食いしばる。
 なんで、なんで、なんで。
「……っ」
 艶かしい声を漏らす薫の喘ぎを聞くたびに、酷く自分が惨めに感じた。
 がっしりと塞いだ耳は、痛いのももう感じていない。
 目も、耳も、口も塞ぎ、身体すら収縮して、愛実はその現状に追いついていかない心を必死に閉ざす。
 嫌だ、嫌だ、嫌だ……っ!
 ここにいられない。
 しばらく出てこなかった、ゲイに対する嫌悪がいっきに爆発した感じだった。
 身体中が何か堅いもので圧迫されるような、無残に部屋を立ち入られるようなそんな気分。
 音だけで感じる部屋の中の様子に、愛実はとうとう耐え切れなくなり、おぼつかない足取りで、その場を脱し、急いで玄関に行くと、左右間違えている事なんて知らずに目の前にあった靴を履き、ドアを開け飛び出した。
 行き先なんて決めてない。
 でも、あの家にはいられない。
 もし、今あの二人にあってどんな顔をしていいのかわからないから。二人の事はわかっていたはずなのに、どうしても罵倒を止められないから。
 愛実は瞳の恥じから零れ落ちてくる涙を止めきれず、夜中の道端で静かに顔を手で覆った。
「ひっく……ふぅ……ぁっ…」
 泣きっ面に蜂……とはこういう事なのか。お誂え向きに雨まで降ってきて、愛実の身体を濡らす。
 涙なのか、雨なのか…。顔から流れていく水分で、全てがなくなってしまう気がした。
 どうしたいのかわからない。
 何が、正しいのかわからない。
 ただ虚無感が募り、大人になりきれない自分と、何にショックを受けているのかすらわからない自分が交差する。
 誰か…。
 指し伸ばそうとした手を掴んでくれる人……。
 弱りきった愛実の心の中に浮かんだのは、たった一人。
「宵威ぃ……っ」
 土砂降りになり始めた天気などまったく感じない愛実は、ずぶぬれのまま、夜の町を走った。
 宵威、宵威……助けて。お願いだから、傍にいて…。
 そう泣きながら…。


−7− −9− 学生モノ


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